2022年5月20日金曜日

フランスでよくある「2個買うと2個目半額」の罠

   



 スーパーマーケットに買い物に行くと、「ー50%!」とか、表示されていて、「うわっ!」と思うと、よく見ると「2つ目が半額」・・などというのが、よくあります。この2つ目半額というのが、出始めた頃は、その「2つ目が・・」というところをちゃんと見ずに、半額だと思って1個だけ買ってきて、実は定価のままだったりしたことがよくあって、特に夫は、このあたりの注意力が欠如していて、何度も同じ過ちを繰り返していました。

 この「2個目は半額」というのが出始めて以来、敵もさるもの、「2個目は40%引き」とか「3個目は無料」とか、手を変え、品をかえ、さまざまな試みをしているものの、大家族でもない限り、また、よほど保存のきくものでない限り、そんなにチャンスはないのですが、それでも、せこい私は、2個目が半額ということは、1個あたり・・いくらか? 3個目が無料ということは・・などと、一応、その場で立ち止まって、考えたりするのです。

 しかし、この「2個目半額」や「3個目は無料」には、最終的な落とし穴も待っていて、実際に買い物が終了して、レジに行って、支払いを済ませて、レシートを確認すると、まったく割引になっていないこともしばしばで、返金となると、その場ではしてもらえずに受付にまで行かなければなりません。

 最近はオートレジになったので、その場で自分でピッピッと値段を確認していくことができるのですが、「2個目半額」、「3個目無料」などのケースは、最後にトータルになった時点で割り引かれるとかで、最後まで確認することはできず、しかも、結局、割引になっていない場合は、やっぱり返金手続きに行かなければなりません。

 レジで並んだ後、支払いをして、また、さらに返金のために受付で並ぶことを考えると、なかなかウンザリします。

 また、量り売りの野菜なども自分で量ってキロ単位の価格に従って、自分で選んだ商品を量りに置いて、自分で選んだ重さの分だけの値段がついたステッカーを袋に貼り付けるのですが、その量りで出てくるステッカー自体も表示価格と値段が違うこともあり、(重さを量ってステッカーを貼っただけで、なんか安心しがち・・)値段を気にし始めたら、本当に気が抜けないのがフランスのスーパーマーケットでの買い物です。

 とにかく、間違いが多いので、この急激なインフレのおり、いつも以上に値段は気にして、買い物をするようになったのですが、実際に支払いの段になって、「えっ?こんな金額になっちゃった???」と思ってレシートを確かめると、たしかに一つ一つの値段はあっていて、やっぱり、全てが値上がりしているんだな・・と、最近は思います。

 しかし、これだけ安くなっているから、この値段なら、買ってもいいかな・・と思って買ったものが、割り引かれていないのは悔しいもので、返金のために並ぶのもめんどくさいので諦めていたこともあったのですが、このトラブルを減らし、問題を改善してもらうためにも、やっぱり、返金してもらいに行こうと、最近は諦めないことにしています。

 これは、間違えられる可能性がある・・と思った時には、その値段の表示を写真に撮って、返金の時にすぐに、「ほら、この値段って書いてあった!」と見せられるように構えています。こんなところも、いつも戦闘体制、戦うことが前提で備えます。

 しかし、これで少しでも改善されるかと思えば、全くそんなことはなさそうで、受付でも、まあ慣れたもので、日本だったら、「すみませんでした」とか、「大変、申し訳ありませんでした」とか、すごく謝られそうなところですが、フランスの場合は、しれっとしたもので、まったく謝ることなどもなく、しかし、びっくりするほど、あっさり返金してくれます。

 これは、完全な分業制がなせるところでもあり、返金の場合なども、フランス人お得意の「それは、私のミスではない!」というところで、たしかに返金係の人のミスではないにしても、その人が会社を背負って謝るということもしないのです。

 あくまでも返金係はその人の仕事をしているだけの話で、堂々としたものです。やもすると、返金手続きを「やってあげた感」満載の場合もあります。

 まあ、この手のトラブルも全て、間違えられること前提にしていれば、怒りも軽減できます。

 私もフランスでの生活が長くなって、自分なりのストレス軽減法を身につけました。


2個目半額 3個目無料

 


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2022年5月19日木曜日

フランス 5月の記録的な熱波

  


 ここ数年、フランスの夏の猛暑は毎年のことで、珍しいことではなくなってきました。

 私がフランスに来た頃、20年くらい前は、夏の間、暑い日があってもせいぜい2〜3日のことで、湿度も低いせいか、夏は断然、フランスの方が過ごしやすいと思っていましたし、建物自体が木造ではないため、外が暑くても建物の中に入ると、冷房がなくとも、すっと涼しい感じでした。

 年間を通して、あっつ〜 い!と感じる2〜3日のためにエアコンを買うこともないし、実際、一般家庭にエアコンのある家はほとんどありませんでした。

 フランスでも、日本のエアコンのように壁面に取り付けるものも、もちろんないことはありませんが、それよりも大きな箱のようなものが多く、場所もとるし、また一年のほとんどを使わないとなるとしまっておく場所も必要で、我が家はフランスのアパートではたいていあるカーヴ(地下にある物置のようなスペース)もないため、収納スペースがごくごく限られていて、そうでなくとも、普段使わないものが多い我が家には(夫の妙な美術品の収集癖のため)、そんなものを置く場所はないので、ハナからエアコンを買うつもりはありませんでした。

 それがここ数年、夏の暑さは毎年のように40℃前後にまで上がる日が数日あり、天気予報を見ながら、そろそろヤバいとなると、もう戦闘体制で、朝早くに家の空気を入れ替えた後は、ベランダの植物にはたっぷりと水をやって、窓もあけず、光も遮断して、お風呂に水をため、家に籠ってバスタオルに水を浸して肩からかけて、なんとか凌ぐというのが、ここ数年の猛暑対策として、定着しています。

 しかし、この猛暑もこれまでは、せいぜい7月から8月にかけてのことで、今年は、まだ、なんと5月! まだ5月というのにここ連日30℃近い日が続いており、これは、5月としてはフランスでも歴史的な記録なのだそうです。

 昨日は、フランスの南西部を中心に13地域で軒並みこれまでの5月の気温の記録を更新し、ソール・オスゴール(ヌーベル・アキテーヌ地域圏)での35.18℃をはじめとして、トゥールーズで33.4℃、パリで30℃とこれまでの記録を軒並み塗り替えています。

 それでも暑いとはいえ、まだパリは30℃、例年なら、暖かい気温が安定しはじめる5月まで待って、ベランダに野菜の種を蒔き、それから1ヶ月ほどして、苗を分けていくのですが、今年は早々に芽をだしたと思ったら、気温が高いだけあって、育つのが早いこと!

 もう苗を分け始めなければならなくなり、ベランダで、畑仕事?をしていたら、どうにも暑くて耐えられなくなり、一旦、中断して、夕方になって少し日が傾いてから再開したくらいでした。

 4月までは、暖かくなったとはいえ、まだまだ朝晩は肌寒かったりしたのに、徐々に暑くなっていくのならともかく、急激な気温の変化に身体がついていきません。

 昨夜は寝苦しく、冷凍庫に入れっぱなしになっていたアイスノンを引っ張り出して眠りました。(この時代に原始的な方法・・)

 フランス気象庁は、今年は早く、長く、激しい熱波が発生していると発表しています。水曜日、フランスの3分の1が30℃以上の気温を記録していたそうで、数日後には、再び多くの場所で35℃を超えるという予報が出ています。また、この気温の上昇は、少なくとも5月24日まで続くそうで、この高い気温の連続も記録を更新しそうだということです。

 また、この天気続きで干ばつの被害も心配されています。テレビのニュースでは、燃料費の高騰に始まり、あらゆる物価の上昇の次は、この干ばつで、野菜や果物にまで影響が出て、新鮮な野菜は高級品になると騒いでいます。

 やっぱり、ベランダ菜園はやめられません。

 アフリカに住んでいた頃は、朝起きて、曇っていると、心の底からホッとしたり、また四季のある生活というものは、やはり良いものだな・・などと思ったことを思い出しますが、本来ならば、一番過ごしやすい季節のはずの5月がこのようなことになるとは、地球環境問題も本当に早急に対応しなければならないことだと実感しています。

 いつもは当てにならないフランスの天気予報ですが、こんな時だけは当たるんだな・・と恨めしく思うのです。


フランス5月の記録的な熱波


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2022年5月18日水曜日

カンヌ国際映画祭開幕セレモニー サプライズゲストはウクライナのゼレンスキー大統領

  


 パンデミックのために2020年には、開催が延期されたり、今ひとつ盛り上がりに欠けていた2022年カンヌ国際映画祭が開幕し、久しぶりにコロナ前の人出に沸き、ようやく取り戻したこの国際的なイベントの盛況ぶりに、カンヌの街、ホテルやレストラン、映画関係者は、祝祭ムードに包まれていることで喜びに湧いています。 

 昨日、今年が75回目にあたるこのカンヌ国際映画祭の開幕セレモニーが行われ、レッドカーペットが敷き詰められた会場は、満席状態、華やかな服装にマスク姿はもうどこにも見当たりません。

 煌びやかにセレモニーが始まって、まもなく、司会の女性に、「今日はスペシャルゲストが登場します」と紹介されて、スクリーンに登場したのには、なんと、ウクライナのゼレンスキー大統領、これには、会場も一斉に立ち上がり、彼は大きな拍手で迎えられました。



 最初は、少々、緊張した面持ちだったゼレンスキー大統領も、すぐにいつものスピーチモードに入り、彼はこの晴れやかなカンヌ映画祭のオープニングで「チャーリー・チャップリン」の映画を引き合いに出し、映画と戦争の密接な関係について語りました。

 そして、彼は、チャップリンと1940年に公開された映画「偉大なる独裁者」に賛辞を送り、語り始めました。

「この物語では、始まりではなく、終わりが最も重要なのです」とこの物語の終わりとは、主人公が広場で行った演説のことを指していると思われます。それは大勢の兵士の前で、自由と寛容、人種の壁を越えた融和を訴えるもので、希望を捨てないことをラジオを通して語りかけるシーンです。

 そして、同時に「映画は沈黙ではないことを証明する新しいチャップリンが必要だ」とも語っています。

 20世紀の最も恐ろしい独裁者たちは映画を愛していました。以来、「人類は数々の素晴らしい映画を作ってきました。皆が、戦争の恐怖に続編はないと思っていましたが、当時も今も、再び、独裁者が現れました」

「現在の私たちの毎日に拷問を受けない日はありません。皆さんも、マリウポルの市立劇場がロシアの爆撃を受けたのをご覧になったことと思います。その劇場は、今日、皆さんが集まっている劇場と同じような感じでした。そこに避難していたのは、民間人でした」

 中略

「しかし、我々は戦い続ける、他に選択肢はありません、私は「独裁者」が負けると確信しています」

 そして、最後に彼は「私の話を聞いてくださっている全ての方々、絶望しないでください、憎しみはやがて消え、独裁者は死ぬでしょう・・私たちは、この目的を達成するために、常に自由の側に立つ映画を必要としているのです」と、楽観的な言葉で締めくくりました。

 元俳優でもあるゼレンスキー大統領ですが、こんな形でカンヌ映画祭に参加することになるとは、彼自身、俳優時代には、想像もしていなかったでしょうが、彼の発信力は、甚大なもので、今や彼をテレビで見ない日はないほどです。

 しかし、まさかカンヌ映画祭にまで登場するとは・・驚きで、本当にサプライズでした。フランスでは、カンヌ映画祭のオープニングセレモニーそのものよりも、ゼレンスキー大統領のスピーチばかりがクローズアップされる皮肉なことになっています。

 あらゆる国で、あらゆるツールを使って、彼は世界中に語りかけています。

 カンヌ国際映画祭には、ジャーナリストだけでも世界90カ国から4,000人以上が集まっています。この彼のカンヌ映画祭での演説も世界中でまた、報道されることになるでしょう。

 長期化する戦争の中で彼は世界中からの関心が失われないように発信し続ける役割を見事に果たし、世界中の協力を求めています。

 この彼の演説の数時間前、ゼレンスキー首相は、当日もマクロン大統領と電話会談をしています。この演説に臨むにあたって、彼らがどんな話をしたのか、気になるところでもありますが、マクロン大統領は、この電話会談の直後に、「ゼレンスキー大統領に対しては、防衛装備品、人道支援、経済・財政支援、燃料など、ウクライナのニーズに応えるとともに、司法の仕事を支援していくことを再確認しました」

 「ウクライナの人々の勇気は尊敬に値するものであり、私たちの連帯を期待するものです。これまでにフランスからウクライナに送られた人道支援物資はすでに800トンに達しています。我々はゼレンスキー大統領と、ウクライナの主権と領土保全の尊重を確保するための国際協定の枠組みの中で、フランスがウクライナに提供できる安全保障について議論しました」と発表しています。

 マクロン大統領は、プーチン大統領との電話会談では、一向に話が進展していきませんが、ゼレンスキー大統領との連携は頑強にとれているようです。


カンヌ国際映画祭 スペシャルゲスト ゼレンスキー大統領


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2022年5月17日火曜日

フランスに女性新首相エリザべス・ボルヌ現労働相が就任

  


 マクロン大統領の再選が4月24日に決定して以来、新内閣の組閣について、長いこと発表されないままでしたが、特に首相の選出については、注目されてさまざまな憶測が流れていました。

 しかし、大統領選直後にJDD(Le Journal du Dimanche)が行った世論調査によれば、国民の74%が次期首相には女性を任命してほしいと思っているという結果が発表されていたので、もしかしたら、次期首相は女性なのかも?と思っていました。

 74%といえば、マクロン大統領の支持率よりも多い数字、この世論を無視するわけはないと思っていましたが、数日前から新首相予想に上がっていた数名も女性ばかりでした。

 昨日までのカステックス首相が首相に就任したのは、2年前の7月のこと、エリゼ宮での首相交代のセレモニーの記憶もそんなに遠いものではありません。パンデミックの第一波を乗り切ったばかりの頃で、前フィリップ首相の辞任により、突然、登場した感じでした。

 彼が最初に現れた時は、その経歴からも、かなりのエリートであることは歴然としていたものの、彼の南仏訛りのきついアクセントやどこか冴えないスーツ姿に、フランスの首相としてどうなの?みっともない・・などという声もあがっていました。

 しかし、結果的に首相に就任してからの彼の言動は、アクセントはそのままでしたが、暖かい人間味あふれる感じや誠実さ、そしてどこかコミカルな印象を与える人柄(決してウケを狙っているわけではないし、本人大真面目なのに、どこかコミカルという感じ・・)が、常に論理的で、口が立ち過ぎて、どこか反感を持たれるところのあるマクロン大統領のマイナス面を見事にカバーする役割を果たしていたように思います。

 首相退任後にまず何をしますか?という記者からの問いに、「家でペンキ塗りをする所がある」と答えたとかで、家でのペンキ塗りもしっくりきそうなほんわかした人柄です。

 実際に、パンデミックの感染悪化、テロ、暴力事件などの問題が起こるたびに、現地に出向き現地の人々声に耳を傾け、誠実に応対する姿勢をこの2年間、度々、報道で目にしてきましたが、これまでの首相の出張記録回数の新記録を樹立していたそうです。

 新旧首相の挨拶では、お互いに向ける言葉の中でそれぞれを"Tu" (フランス語では親しい間柄で使うYouにあたる言葉)で呼び掛け合い、同じ内閣で長く働いてきた親しい間柄を窺わせるものでした。

 この挨拶の中で二人、それぞれ、ちょっと面白いことを言っていました。

 カステックス首相の話の中でおもしろかったのは、「フランス人は要求の多い国民で、額面通りには受け取らない。しかし、彼らはそれに対処する方法を知っている。彼らは偉大な人々であり、政治的な人々だ」「また、マティニョン(首相官邸)の住人に批判が集まるのは必至だ」と彼女に警告したことです。

 「フランス人は要求の多い国民で額面通りに受け取らない・・」まさにそのとおりです。

 また、国民に向けて、エリザベスについて、「この2年間、一緒に仕事をしてきた中で、彼女の高潔さ、誠実さ、有能さ、自発性という計り知れない資質を確認している」、「彼女は信頼できる人物であると伝えたい」と語っています。

 そして、彼女もまた、彼のフランスという国に対する揺るぎなき献身と、人間性、誠実さ、仲間への共感力を讃えました。

 また、彼女の挨拶の中で最も印象的だったのは、最後に彼女が語った一言でした。

「ご想像のとおり、私は今晩明らかに非常に感動しています。そして、この地位にあった最初の女性、エディット・クレッソンに思いを馳せずにはいられません(フランス史上初の女性首相)。そして、おそらく、この私の首相就任をすべての少女たちに捧げ、「夢に向かって頑張れ」と言いたいです。社会における女性の地位のための闘いを減速させてはならない」という言葉でした。

 見渡してみれば、ヨーロッパでは、すでに女性の首相がすでに、数名登場し始めています。民主主義を叫びながら、フランスとてこの世界の潮流から遅れるわけには、いかないというマクロン大統領の思いがあったのかもしれません。

 この首相就任という事実をすべての少女たちに捧げると語った彼女ではありますが、彼女の経歴は、並大抵のものではありません。

 1961年パリ15区生まれ。父親は彼女の父親はフランスに避難したロシア系ユダヤ人で、第二次世界大戦中にレジスタンスの一員として活動し、強制送還させられており、決して容易いものではなかったであろうに、1981年エコール・ポリテクニック(フランスの理工科公立高等教育機関のグランゼコールの一つで超エリート校)卒業、その後も数校において学業を続け、MBAを取得したエンジニアでもあります。

 彼女自身も「自分は小さい時に父親を失い、国の奨学金で教育を受けてきた」と語っています。

 ここまでの時点で、もう普通の少女とは違っていたと思われますが、彼女自身が苦労してきたからこそ、全ての少女たちに向けて、チャンスはあるとエールを送ったのかもしれません。

 公共事業省に入省したのが彼女のキャリアの始まりで、その後、国民教育省の顧問、運輸担当テクニカルアドバイザー、SNCF(フランス国鉄)の戦略担当ディレクターを経て、ポワトゥー・シャラント県知事とヴィエンヌ県知事に就任、その後RATP(パリ交通公団)社長を経て、運輸大臣、エコロジー連帯移行担当大臣を経て、昨日まで労働大臣を務めていました。

 マクロン大統領は、次期首相について「社会問題、環境問題や生産性の問題に長けている誰かであろう」とだけ語っていましたが、彼女の経歴を見る限り、まさに彼女であったと思わされます。

 華やかな感じはありませんが、カステックス首相が語ったように、高潔さ、誠実さ、有能さ、自発性が感じられる印象で、真面目そうで、どこか、厳しい学校の先生のような感じがする彼女が今後、フランス二人目の首相として、着実に活躍していってくれることを祈っています。

 ちなみに、全然、関係ありませんが、エリザベットという名前はエリザベスのフランス語読み。昔、娘が英語の授業で「エリザベットに手紙を書いたの!」と言うので、「誰?エリザベットって誰?」と聞き返したら、エリザベス女王のことで、後日、バッキンガム宮殿から返事がきたのに驚いたことを思い出しました。


フランス女性新首相誕生 エリザベス・ボルヌ


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2022年5月16日月曜日

お客様を招く時の簡単フレンチレシピ

 


 日本にいた頃は、友人に会ったりする時は、「飲みに行こう!」とか、これが食べたければ、あのお店に行こうとか、外食が多く、あまり友人を家に招くということはしませんでした。

 しかし、フランスに来て以来、仲良くなった友人には、「家においでよ!」と友人を家に招くことが増えました。私の場合、子供が小さい頃などは、子供を連れていくのでは、ゆっくりできないし、ましてや子供を一人で家においていくわけにもいかなかったので、自ずと友人に家に来てもらって、ゆっくり飲んだり食べたりしたかった・・ということが主な理由なのですが、フランスの場合は、外食が高いこともあり、仲良くなると、「家においでよ!」となることが日本よりも多い気がします。

 私の場合、お客様によって、メニューは変えているのですが、日本食を特にリクエストされない限り、フランス人のお客様の場合は、材料が手に入りにくいこともあり、また、本当にその味をわかってもらえそうもないので、いわゆる日本の洋食のようなもの、ドリアとか、トンカツとか、唐揚げとか、オムライスとか、比較的、彼らの好みに合いそうなものを作ります。

 日本人の場合は、和食っぽいものを作ることも多いのですが、飲む人(ワインだけど)と、飲まない人でも、メニューは変わってきます。

 先日、家にいらしたお客様は日本人でしたが、近々、日本に帰国されるという方々だったので、それでは和食というのも、なんか、しらける気がして、ちょっとフレンチもどきのものを用意しました。

 お酒はあまり強くないので、たくさんは飲めないけど、ワインも好きです・・ということだったので、一応、ワインも用意(というか、ワインだけは、けっこうたくさんあるので、その中から選ぶだけですが・・)。

 お客様がワイン好きだというだけで、なんか、ワインでかなりごまかせる気がして、気が楽になります。

 できるだけ、出来立てのものをお出ししながら、私も一緒に食べたいので、とりあえず、つまめるものを探し、今回はアーティーチョークを茹でておき、少しずつちぎって食べられるように冷やしておきました。

 アーティーチョーク用のソースは、バルサミコ酢にガーリックパウダー、マスタードちょっととお醤油ちょっとを混ぜただけの簡単なものです。

 そして、アントレがわりにブリック、マッシュポテトにバター、生クリーム、茅乃舎の野菜だしを少しまぜたものをブリックの皮に包んで焼くだけです。あらかじめ包んでおいて、食べる直前に焼くだけで済みます。

 サラダは、レタスやマッシュルーム、人参、きゅうり、トマトなどをドレッシングで和えただけの簡単なもの。

 そして、帆立貝とエビを使ったお魚屋さんに教わったちょっとフレンチなレシピ。名前は知りませんが、フランスのお魚屋さんが教えてくれたので、フレンチだと勝手に思っているのですが・・なかなか簡単で美味しいお料理です。

 エシャロットのみじん切りをバターで炒めたところに、小ぶりの帆立貝(私はピカールのものを使っていますが)とエビを入れて、軽く塩胡椒して火を通し、そこに生クリームとマスタードを少々、最後にコニャックで香りづけしてできあがりの簡単なメニューですが、ちょっと、プロっぽい感じにできるわりには、簡単なメニューです。

 最後にお肉、お肉は軽く塩、コショウ、おろしニンニクを塗って焼き、お好みの焼き具合に火が通ったところで、一旦、あげて、フライパンに残った肉汁に、みじん切りにしたネギ、おろし生姜、おろしニンニク、お醤油、みりん(無ければちょっとだけお砂糖)、ちょっとだけごま油、ちょっとだけお酢を混ぜたものを入れて、少しだけ煮詰めます。

 焼いたお肉をザクザクと切って、この肉汁入りのソースをかけて出来上がりです。ちょっと、普通のステーキとは違う変化球バージョンな感じが気に入っています。

 デザートには、コンテ(チーズ)とコーヒーゼリーにイチゴを添えたものを用意しました。フランスだとゼリーというものは、ほとんど売っていないので、日本人のお客様には喜ばれます。

 なんか、作りながら、自分も食べて、飲んで、おしゃべりも楽しくて、写真を撮るのを忘れてしまいましたが、次回、お客様をする時には、忘れないようにして、また、別のメニューもいつか、ご紹介したいと思います。ただし、分量などは、適当なため、正確にはお伝えできません。

 あまり強くないので、そんなに飲めない・・とおっしゃっていたお客様でしたが、結局、3人でワイン3本飲みました。

 今回のお客様は、ちゃんと家に帰られましたが、我が家のソファーはよほど寝心地がよいと見えて、ソファーで寝てしまう方も結構おられます。

 昔、日本で「突撃、となりの晩ごはん」という番組がありましたが、人の家の食事って、なかなか興味深いものです。

 フランスにいるゆえ、材料等が偏りがあるかもしれませんが、ちょっとでも参考になれば、幸いです。

 上に添付した写真は、最後の最後に「あ!写真撮ってなかった!」と気付いてギリギリ最後に撮ったお肉のメニューです。


簡単フレンチレシピ


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2022年5月15日日曜日

海外で暮らしていると日本ではきっと会わなかったであろう人に出会う

  


 海外で長く生活していると、日本からの客人をお迎えすることがあります。今は亡き母も一度、友人とパリに来てくれたことがありました。その後、叔父夫婦、従兄弟が新婚旅行で来てくれたこともあったし、パリの大学と交流のあった大学教授の叔父(現在は退官しています)などは、 在任中は毎年のように学生を連れてパリに来ていました。

 この叔父は、どちらかというと私にとっては、その度に叔母が用意してくれる大量の日本食を運んでくれる宅配便のような存在でした。

 その他、親友も一度、弟、叔母二人、従姉妹たちやその友人など、思い起こせば、これまでずいぶんたくさんの人が来てくれました。

 家に泊まってくれた人もいれば、友人などと一緒でホテルに滞在していた人もいましたが、こちらもせっかく日本から来てくれているのだからと、できるだけ都合をつけて、一緒にパリの街を歩いたり、家に招いて食事をしたり、外食したりと、その度に楽しい時間を過ごしてきました。

 友人や叔父、叔母、従兄弟、従姉妹など、直接の知り合いはもちろんのこと、遠い親戚で、母の従姉妹の娘さん(はとこ?)など、日本では会ったこともなかった女の子が「ワーホリで1年、パリに行くので、何かの時は、よろしく!」などということもあり、パリ滞在中に、何度か家に食事に来たりしていたこともありました。

 それが、このコロナ禍以来、ぱったりと日本からの客人が途絶えてしまったのですが、コロナ騒ぎが始まってしばらくして、従姉妹から「知り合いがパリのグランドエコールに留学するので、何かの時のためにあなたの連絡先を教えても良いですか?」と連絡が来て、グランドエコールに通うような人に私がチカラになれることはないと思うけど、まあ、何があるかわからないので、どうぞ・・」と返事をしておきました。

 その方は、律儀にも時々、パリに来られてからは、律儀にメールで近況などを知らせてくださっていましたが、いつもなら、「一度、家で食事でもしませんか?」と声をかけるところが、今回ばかりはパンデミックで、あまり人と食事というのも躊躇われ、たまにメールで連絡を取る程度で、一度もお目にかかることもなく、なにやかやと毎日が過ぎていき、正直、私はその方はとっくに日本に帰国されたとばかり思っていました。

 しかし、先日、「しばらくご連絡しておりませんでしたが、学校のプログラムも終了の目処がたち、来月、日本に帰国することになりました。つきましては、お世話になった(結局、私はなにもしていないんだけど・・)お礼に一度、お伺いしたいのですが・・」というメールを頂き、一時のような感染騒ぎでもなくなったので、「それでは、よろしければ、家で一緒にお食事でもしませんか?よろしければ、奥様もご一緒にどうぞ」と連絡したら、快諾してくださり、彼らと一緒に家で食事をすることになりました。

 家の道順を知らせて、「バスを降りたら電話してください」と約束をして、当日になって、食事の支度をしながらふと、「そういえば、私は彼のことを全く知らない」ということにその時になって気がついて、従姉妹からは、お花の生徒さんで、学生時代(なんと東大生)に通ってきていたお花の生徒さんとしては、極めて異色な生徒さんで、卒業後は日本企業に勤めたのだけど、この度、その企業からパリに留学することになった・・普通の人なら、放っておくんだけど、とても良い人だったから・・なにかあったら、チカラになってあげて・・」と言われていただけで、彼の年齢もどんな人なのかも全く知らないのでした。

 しかし、従姉妹が良い人というのだし、同じ日本人でもあり、こちらでも、すこぶる優秀な学校に通っているということもあり、メールの文面なども極めて丁寧で丁重で家に招くということもあまり心配はしていませんでした。

 さすがの日本人、約束した時間ぴったりに来られるあたりは、日頃、時間にルーズなフランス人に慣れてしまっている私には逆にびっくり!さすが日本人だと感心!フランス人の場合、約束の時間を過ぎた頃にようやく電話がかかってきて、「これからバスに乗るところ・・あと何分くらいで着きます」などと連絡がくる感じ、下手すると少し遅れるのが礼儀・・などと言い出す人までいます。

 結局、お昼の食事をしながら、日本でのこと、こちらに来てから色々な国の学生と関わった話など延々と8時間近くも食べて飲んでおしゃべりをして、楽しい時間を過ごしました。もう帰国まで1ヶ月程度しか残っておらず、もう少し早く気付いていたら、色々なところにご案内もできたのに・・とパンデミックボケしていたことをちょっと後悔したくらいでした。

 考えてみれば、もしも日本にいたならば、絶対に接点のなかった人たちです。前述したワーホリに来ていた親戚の女の子とて、日本では会ったこともなかった遠い親戚です。しかし、海外にいるということで、思わぬ繋がりができて、一緒に食事したり、話をしたりする時間を持つということも楽しいものです。

 彼らにとっても、私にとっても長い人生のうちの、ほんの一瞬ではありますが、日本にいたら、絶対に会うことがなかったであろう人に会えるということも海外生活ならではのことなのかな?と思ったりしています。


留学生 海外生活


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2022年5月14日土曜日

日本一時帰国の後遺症 マイおにぎりブーム

   


 コロナ禍、戦禍の中、日本に一時帰国して、フランスに戻って、あっという間に約1ヶ月が経ちました。今回の一時帰国は3週間弱のつもりでしたが、長距離フライトを甘く見ていて、思っていたよりも滞在期間は短くなりました。

 そのうえ、日本到着翌日に娘が機内濃厚接触者になったと通知が来たために、ほぼ、最初の一週間は外食もできずに、「せっかく日本に来たのに外食もできないなんて!」と不満たらたらでした。

 今回は、長距離フライトのせいだったのか、結局、時差ボケも日本滞在中はずっと治ることもなく、次から次へと用事が立て込み、スケジュールはキツキツになり、体力的にも限界を感じていました。

 しかし、だからといって、外食ができなかった期間も食べることを諦めたわけではありませんでしたが、外食解禁からは、なかなかのペースで追い上げ、思い返してみれば、ほぼ食べたいものは網羅し、満足して、フランスに戻ってきたのでした。

 当然、フランスに帰国する際の荷物は、ほぼほぼ食糧で満杯で、最後に荷物を入れたり出したりしながら、23キロ×2個の荷物は重量制限ギリギリまで詰め込み、フランスに戻ってからもたくさんの日本の食糧に囲まれてご機嫌の日々を過ごしております。

 考えてみれば、フランスに戻ってからというもの、野菜などを除いては、ほぼほぼ日本のものしか食べずに、1ヶ月を過ごしてしまいました。

 特に今回は、フランスに戻ってからは、なぜかお米が食べたくて仕方なく、特にお漬物や佃煮などがたくさんあることもあり、気がつけば「おにぎり」ばかりを作っては食べていて、先日、久しぶりに友人と食事にでかけて、久々にフレンチの食事をし、「そういえば・・帰ってきてからバゲット食べたの初めてかも・・」とこの食事の偏りに自分でびっくりしたくらいです。

 しかし、炊き立てのごはんに、刻んだ柴漬けやひじき、ちょうど折りよく育ってきた紫蘇の葉などを刻んで、梅干し、明太子や昆布の佃煮などをちょっと入れて、フワッと握ったおにぎりに香りのよいパリパリの海苔を巻いたり、とろろ昆布で包んだりするおにぎりは、何よりも簡単で美味しいご馳走で、それに大量に持ち帰った贅沢な出汁でお味噌汁でも添えようものなら、もう至福・・。

 


 この「おにぎり」のマイブームのループから、抜け出すことができません。 




 その「おにぎり」でさえも、作るのが面倒な時は、日本から持ち帰ったお煎餅をポリポリ・・しかし、これも結局はお米です。

 帰国後、1週間ほどで時差ボケは治ったものの、このもう一つの日本一時帰国の後遺症の「マイおにぎりブーム」からは抜け出すことができません。




 この「おにぎりループ」から脱却しようと、近くのスーパーマーケットに買い物に行っても、一向に食指の動くものは見当たらず、最低限必要な野菜や、せめて野菜を摂れるようにと野菜ジュースを買ってみたりするだけで、日本に帰国した際にお土産に持ち帰って、「やっぱり、美味しい〜〜〜」と感激された、チーズやバターや生クリームも、よりどり見どりに沢山あるにも関わらず、全く私の目を捉えることはありません。

 しかも、なんだか全ての食品が少しずつ値上げしていて、ますます購買意欲が削がれます。

 しかし、しばらくして、持ち帰った日本食材が底をつき始めたら、おのずと元通りの生活に戻らざるを得なくなりますが、日本からの食材が尽きるまで、しばらく続くかもしれません。

 思い返してみれば、日本に住んでいた時には、私はそれほどお米を食べていなかったし、最初に海外に出た頃には、これほど、日本食に固執してはいなかったのに、今回ばかりは、なぜかダメ。

 年齢のせいもあるのかもしれませんが、おにぎりを頬張りながら、これがソウルフードというものか・・などと思いながら、夜中にまでおにぎりを作る誘惑に耐えているのです。

 これまでは、食事を作るのが面倒だとバゲットを買ってきて、せめてバターくらいは贅沢にエシレバター・・などとバターをパンに塗りながら、結局、これが一番簡単で確実に美味しい・・などと思っていたのですが、1ヶ月経っても、バゲット生活には戻れていないのです。

 しかし、おにぎりにしろ、バゲットにバターにしろ、シンプルなものが一番、飽きずに美味しいということは同じようです。


日本食 おにぎり


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