2019年10月3日木曜日

フランスの異母兄弟


私には、子供は娘一人だけなのですが、娘には、お兄さんが三人います。

 お兄さんといっても、異母兄弟で、お兄さんたちは、主人の前の奥さんとの間の子供なので、年齢もかなり離れています。

 一緒に暮らしたこともないので、ガッチリと、兄弟というわけでもないのですが、もう成人している今でも、彼らは、時々、家を訪ねてくれたり、メッセージを送ってくれたりしています。

 異母兄弟といえば、私は、日本では、もう少し、暗いイメージを持っていたのですが、彼らは、実にさっぱりとフランクに付き合ってくれています。

 離婚・再婚の多いフランスでは、こういうケースも少なくないからなのかなぁ・・と、私は、勝手に思っています。

 相手がさっぱりとしていてくれれば、こちらも、意外と気楽なもので、彼らがいなければ、娘は、一人っ子のような状態でもあるので、先々、私に何かあっても、何かと頼りになるかもしれないと思うと、彼らの存在は、今となっては、少し、心強くもあります。

 ところが、一番上のお兄さんは、パリの経済系の大学を卒業後、フランスの大手の銀行に一旦は、就職したのですが、せっかく務めた銀行も数年で辞めてしまいました。主人は激怒していましたが、私が口を挟むことでもありません。

 というのも、彼は、母親の影響で、かなりの熱心なクリスチャンで、彼の生活は、宗教が中心になっていってしまったからなのです。今では、教会の関係の子供たちに勉強を教えたり、その他の教会関係の活動で、収入も少ないようなのに、本人は、とても使命感と強い信仰からか、充実している様子で、何やら、いつも忙しそうにしています。

 真ん中のお兄さんは、それこそ、高校卒業後は、何かの学校に行っては、やめてしまい、結局は、何か建築関係の仕事をしていると聞いていますが、何やら、会うたびに、いつも、違うシチュエーションです。
 彼のすごいところは、そんな今ひとつの状況にも関わらず、いつも自信満々で、妹である娘に対しても、堂々としているところです。

 一番下のお兄さんが、一番、娘とも年が近く、(と言っても、結構、離れていますが)彼が小学生の頃などは、週末には、家に泊まりに来ていたりしたので、一番、身近な感じがするのです。

 しかし、彼は、グランドエコールを卒業後、スイスでエンジニアとして働いているため、今となっては、一番、会う機会は少なくなってしまいました。

 それでも、それぞれのお兄さんたちは、今でも、ノエルや娘の誕生日などには、家に来てくれたり、時々、娘をどこかに連れて行ってくれたりと、付かず離れずといった感じの付き合いが続いています。

 異母兄弟という、一見、難しそうな関係ではありますが、意外とさらっとした感じで、でも、どこか、繋がっているという不思議な関係なのであります。

 











 

2019年10月2日水曜日

下町のお節介おじさんのようなフランス人の夫





 同じアパートの5階の住人の家族には、二人の男の子がいました。

 私が見かけるのは、朝の出勤時と、夕方の帰宅時でしたが、その家のお母さんは、一体、いつ家にいるのかと思うほど、四六時中、アパートの外で、誰かをつかまえては、延々と立ち話をしていて、なんとなく、落ち着かない人だなぁという印象を持っていました。

 私は、仕事が終われば、バタバタと娘を迎えに行って、帰ってきて、娘の公文の宿題を見ながら食事の支度・・と、家に帰ってからの時間は、特に、忙しく、いつもそんな時間帯に外で誰かとおしゃべりをしている彼女を、この人は、自分でお料理をしないのだろうなぁ・・くらいにしか思っていませんでした。

 そんな彼女とは、顔を合わせれば、挨拶する程度でしたが、アパートを出入りする彼女の子供たちの成長も、それとなく、見ていました。

 最初に会った頃は、小学生くらいで、娘より少し年上だったでしょうか? 近所の公立の小学校に通う、ふつうの少年でした。

 それが、中学生になった頃からでしょうか? みるみる生活の様子が崩れ始め、見るからにヤバい感じの友人がアパートに出入りするようになり、アパートの前には、ヤバい少年たちがたむろするようになっていったのです。

 そのヤバそうな少年たちも、何をするわけでもないのですが、あまり、感じのいいものではありませんし、娘も怖がり始めました。当然、他のアパートの住人も同じことを思っていたようで、他の住人からの話も耳に挟んだ主人が5階の住人に話をしに行きました。

 そして、彼女と彼女のご主人と話をするうちに、これは、タチの悪い友人関係を早い段階で、断ち切る必要があるということになり、主人も手伝って、その少年のための全寮制の学校探しを始めたのです。

 まるで、近所の悪ガキにも容赦無く、口を出す、下町のお節介おじさんのようです。

 それでも、彼らも、彼らなりに、自分たちの息子の様子に危機感を抱いていたようで、息子の転校話はどんどんと進み、少年は、全寮制の学校へと転校して行きました。

 近所の少年の不良化のおかげで、むかしは、日本にも、こんな風に、人さまの子供のことも放っておけない、お節介なおじさんやおばさんがいたんだろうなぁ〜〜と思いつつ、主人の意外な一面を見た気がしたのです。

 

 

 

 

 





2019年10月1日火曜日

未だに霜取りが必要なフランスの冷蔵庫

                                       



 電化製品には、なぜか、当たりハズレがあるようで、もうそろそろ、新しいのに変えたいと思うのに、なかなか壊れないくらい長持ちするものと、定期的にちゃんと壊れてしまうものとがあります。

 我が家の場合は、例えば、炊飯器、これは、まだ、パリに引っ越して来たばかりの頃に夫が、” 日本人なら、これは、絶対にいるでしょ!" と、どこかから、買ってきてくれたもので、まるで、昭和初期に存在していたような、いでたちの炊飯器なのです。

 とてもシンプルな作りで、炊き上がるとカチッと音がして、スイッチが上がり、炊き上がります。保温もできなければ、もちろん、予約タイマーなんていうものもついていません。

 これが、もうかれこれ20年以上、壊れずにいるので、なんとも買い替えるのも忍びなくて、こうなったら、骨董品になるまで使い倒そうと思っている次第です。
 他に、壊れないのは、掃除機、電子レンジ です。これは、当たりだったというべきなのか、ずーっと壊れません。

 それに比べて、洗濯機、冷蔵庫は、定期的に壊れてしまうので、これらは、いつもハズレです。もう、それぞれ、パリに来てから3台目になります。

 しかも、冷蔵庫は、色々といわく付きです。

 電気屋さんに行って、新しい冷蔵庫を選び、配達と壊れた冷蔵庫の引き取りを頼みました。配達の日時を指定しましたが、これがなかなか時間通りには来ないのは、まあ、フランスなら、よくあることです。                             

 さんざん待たされた挙句にやっと、あと10分くらいで着きますと電話があり、やれやれと、古い冷蔵庫の電源を切り、冷蔵庫の中のものを出して待っていました。

 ところが、10分待っても来ません。30分ほどして、ようやく再び電話がかかってきたと思ったら、ちょっと問題があるので、アパートの下まで降りてきてくださいと言われました。

 降りていくと、運ぶ途中で、冷蔵庫に穴が開いてしまったので、値引きしますから、これで、良いですかというのです。あまりのことに、呆れて、内心、” 良いわけねーだろ!”と思いながらも、お断りし、また後日に配送ということになったのです。

 フランスの冷蔵庫には、もう一つ問題があり、それは、未だに定期的に霜取りが必要なことです。日本に住んでいらっしゃる方なら、冷蔵庫の霜取りなど、それこそ、昭和の初期ならまだしも、現代の冷蔵庫で霜取りなど、ありえないことでしょう。
 きっと、今の日本の子供は、霜取りという言葉の意味すらわからないのではないかと思います。

 最初は、冷蔵庫の霜取りなんて、うちの冷蔵庫だけがポンコツなのかと思っていましたが、どうやら、会社の同僚に聞くと、かなり良い冷蔵庫を買っても、みんな冷蔵庫の霜取りをしているらしいことが判明しました。

 一番、最近、冷蔵庫を買った際には、これが、もしかしたら、私が買う最後の冷蔵庫になるかもしれないなどと、理由をつけて、かなり奮発して良いものを買いました。内心、日々、技術は進んでいるし、今度こそ、霜取りが必要なくなるかもしれない・・と期待していました。

 ところが、冷蔵庫が配達されてきて、使い始める前から、その期待は、見事に裏切られたのです。なんと、新品の冷蔵庫には、” どうだ!” と言わんばかりに、霜取り用のプラスチックのヘラが付いてきたのです。


霜取り用に冷蔵庫についてきたヘラ
         


 冷蔵庫を運んできたおじさんが、得意そうに冷蔵庫の使い方と合わせて、得意げにそのヘラまで説明する様子を、ニッコリしながらも、内心、” そこじゃねーだろ!” と突っ込んでいました。

 冷蔵庫の霜取りの解決策を霜ができなくなるような冷蔵庫を作ることは考えずに、霜を取るためのものをつけることで解決しようとするフランス人の考え方が、どうにも理解できません。

 

2019年9月30日月曜日

アフリカにいた日本人の美容師さん




 私がアフリカで、生活をしていた中で、困ったことの一つが美容院でした。

 なぜならば、一度、アビジャン市内の美容院に行ったら、どういうものか、カットの前のシャンプーで、シャンプーをひと瓶まるまる使い切るが如く、髪をゴシゴシと何度も洗われて、髪の毛からは最低限必要な油分も全て洗い落とされて、頭皮はカサカサになり、髪の毛がガビガビになってしまい、カットの出来がどうとかいう以前の問題で、これなら、自分で、切った方がマシ!二度と行くまい!と思ったからです。

 そこで、知り合いのツテをたどって、自宅に出張で髪を切りに来てくれるという日本人の美容師さんを知り、それからは、彼女に来てもらうことになったのです。

 彼女は、日本の公的機関に勤める現地の男性と結婚し、子供を二人持ちながら、自宅を廻る出張美容師さんをしていました。

 当時、アフリカで出会う日本人といえば、駐在員の奥さん連中(私は、あまりお付き合いはありませんでしたが・・)か、フランス語の勉強のために通っていた大学で知り合った、海外青年協力隊の一員として来ている人くらいでしたので、彼女の存在は、そのどちらにも当てはまらず、アフリカで仕事をしながら、しっかりと家庭を持って、強く、生きている女性でした。

 アフリカは、パリなどとは違って、日本人を含めて、外国人の多くは、長期で滞在している場合でも、期間限定の転勤族です。私自身の場合もそうでした。

 今から思うに、転勤族と、その土地に根を張って、家庭を持ち、子供を育てている人は、意識も生活の仕方も違うのは、当然です。

 しかも、アフリカのように外国といえども、治安も行政も日本とはかけ離れた発展途上国での厳しい暮らしの中では、なおさらでしょう。

 よほどの覚悟と強さがなければ、そう簡単にできることではありません。

 小柄な彼女は、明るく、バイタリティーに溢れ、非常に大らかな女性でしたが、その芯には、確固とした強さが感じられる素敵な女性でした。

 その方は、私の髪の毛を切りながら、ご主人との馴れ初めや、ちょうど妊娠中だった私に、自分が子供を産んで、まるで、自分自身も生まれ変わったようで、自分の表情が変わったことが自分でもわかるほどだと、少し興奮気味に話をしてくれました。

 当時、初めての出産、しかも、アフリカでの出産に少し不安を感じでいた私は、彼女の言葉に元気をもらいました。

 私が、アフリカを去ることが決まったとき、彼女は、お別れにと言って、自分でしめた鶏を丸焼きにして、わざわざ家に届けてくれました。

 その後、フランスに来てしまってからは、お付き合いは、続いていませんが、フランスとはいえ、その後、転勤族ではない、海外暮らしを長くしてきた今の私だったら、もっともっと彼女と話したいことがあったと、最近になって思うのです。

 

 

 

 

2019年9月29日日曜日

イクメンと家族サービス




 最近、日本では、「イクメン」という言葉が生まれて、フランスで子育てをしてきた私には、とても、妙な印象を受けます。

 だいたい、「イクメン」という、育児という当然のことをしている男性のことを褒め称えるような言葉自体に、とても違和感を持っています。

 少なくとも、フランス語で「イクメン」に当たるような言葉はありません。

 私が、「イクメン」と同じくらい嫌いなのが、「家族サービス」という言葉です。

 たとえ、女性が働いていたとしても、家族に対してすることを「家族サービス」という言い方はしないと思います。それを男性側から「家族サービス」などと言われたら、気分が悪いことこの上ないでしょう。

 「家族サービス」は、家族と一緒に出かけたり、旅行に出たり、父親が自分も一緒に楽しむはずのことを、どこか、上から目線で、まるで、自分は、家族の一員であるというよりも、どこか違う位置付けにいる人のような言い方です。

 フランスは、ダメダメなところもたくさんありますが、こと家庭、家族のあり方に関しては、個人差はあるにしても、育児に男性が関わることも、家族で出かけたり、家族としての過ごし方も、父親も同じように家族の一員であり、家族みんなで楽しんでいます。

 そこには、「家族サービス」という観念はありません。

 それでも、日本でも、昭和世代の家庭よりは、改善されてきて、実際に「イクメン」も増えてはいるのでしょうが、「イクメン」という言葉が生まれるあたり、やはり、それは、「イクメン」ではない人が多いからこそ生まれる言葉なのだと思ってしまいます。

 また、日本でも、女性の社会進出が増えているとはいえ、やはり、女性に対してのハンディは大きく、ましてや仕事をしながら、子育てをするとなると、さらにハードルは上がります。

 子供を預ける保育施設なども充分ではないのでしょう。

 私の日本の実家の近くに、ほんの小さなスペースのみの保育所がずいぶん前にできて、こんなに狭い、施設としても、粗末なもので、すぐに潰れてしまうだろうと思っていましたが、現在でも、その施設は続いています。

 それだけ、正規の保育園が足りていないということだと思います。

 その上、日本の教育費は、驚くほどに高額です。

 子供を育てていくために、また、子供の将来の教育費のためにも、富裕層でなければ、女性も働かずに子供を育てていくことは、大変な事だと思います。

 フランスでも、より豊かな教育を子供に受けさせようと思えば、それなりにお金はかかりますが、特に大学などに関しては、フランスの教育費は、日本に比べると桁違いに安いのです。

 それに加えて、フランスは、各家庭の子供の数が増えれば、(特に三人以上の子供を持った場合)働いている親に対しても税制上の大きなメリットがあります。

 この日本とフランスの子育て環境、事情を比べてみただけでも、なぜ、日本が少子化の一途を辿り、フランスが少子化の問題を克服したのかもうなずけます。

 女性の社会進出を推進する一方、男性も育児を含めた家事を負担すべきであるということが、社会的な責務であるとされる風潮はある一方、それは、どこか、中途半端で、女性側に、より負担が大きくなる傾向があるように思えてなりません。

 そもそも、育児や、家庭を築くことは、手伝うことでも、サービスでもなく、男性も女性も主体的に関わるべきものだと思うのです。

 


2019年9月28日土曜日

ハーフの娘の祖国 アイデンティティーの帰属




 アフリカで生まれ、フランスで育ち、フランス人の父を持ち、日本人の母を持つ娘の祖国は、どこなのでしょうか?

 祖国を生まれた国とするならば、アフリカですが、育ってきた国とするならば、フランスです。

 祖国と母国という言葉は、似ているようで、微妙にニュアンスが違います。
 
 彼女の母国はフランスです。
 
 母国語という言葉がありますが、彼女はバイリンガルではありますが、彼女の母国語は、フランス語です。

 それに対して、祖国というのは、その人の家族である祖先も含んだ歴史的、文化的な背景も多く含みます。

 フランスでは、主人の両親がすでに他界していたこともあり、彼女が物心ついてからは、祖先、親戚といえば、日本にいる私の家族や親戚との関わりが多く、日本に住んだことはないものの、幼い頃から日本語も話し、日本語の勉強も続け、日本にいる祖父母や親戚とも関わり、日本の絵本も読み、日本のテレビ番組を見て(これは、私が日本語を覚えさせるために意図的に、テレビは、一部のフランスの番組を除いて、日本の番組のみとしていました)、日本食も食べて、育ってきた娘の中での日本という国は、彼女にとって、大きな位置付けを持ってきたと思います。

 ですから、彼女にとっての祖国は、フランスであると同時に、その一部は、日本でもあるのです。

 彼女のキャラクターを見る限り、フランス人のキャラクターが濃いと思うのですが、彼女は、フランス人に対しても、日本人に対しても、その良いところも悪いところも、どこか、客観的に、冷静に、眺めているようなところがあります。

 それは、人種的、文化的なアイデンティティーの帰属感を二つの国に対して持っている人間のサガのようなものなのかもしれません。

 私の両親も他界してしまった今、私より上の世代や、私の世代は、どんどんいなくなっていくことを見越している娘は、自ら、日本にいる、自分と同世代の人とのつながりを繋ぎ、保っていこうとしています。

 それは、きっと、これから将来、彼女がどこで生活しようとも、彼女の中での、フランス以外のもう一つの祖国をどこか繋ぎとめておきたい気持ちの現れなのだと私は、どこかしんとした気持ちで見つめています。

 








 

2019年9月27日金曜日

子供の可能性を遮る親になってはいけない




 私には、一緒に、イタリアを旅行した友人で、イタリアが大好きで、イタリア語も独学で勉強してマスターし、イタリアの文化や歴史も熟知してる人がいます。

 でも、彼女は、イタリアに留学経験や長期滞在の経験があるわけでもないのです。

 彼女は、日本で仕事をしながらも、あまりに頻繁にイタリアへ旅行するので、彼女ほどのイタリアへの愛情と、イタリア語のレベルをもってしたら、イタリアでの生活もありえるのではないか?と思い、それをしない理由を尋ねたことがありました。

 すると、彼女は、自分自身を吹っ切るように答えたのです。
” うちの母親は、私がいないとダメになってしまうから・・” と。

 一度、彼女がせっせと貯金をして、イタリア留学を試みた時のこと、彼女の母親が半狂乱になって、彼女を止めたのだそう。彼女曰く、その時の母親の反応から、母親の人格崩壊への恐怖と懸念を抱いたのだそうです。

 それ以来、彼女は、留学や移住の長期の海外滞在は、母親のために、諦めて、代わりに短期の旅行は、思う存分することにしたのだとか・・。

 ですから、彼女は、自分の境遇の中での彼女の道を選んで、彼女なりの人生を歩んでいるのです。それもまた、彼女の生き方ですし、何が正解なのかは、わかりません。

 私自身も、なんだか、他人事ながら、モヤモヤとしたのを覚えています。

 というのも、そんな話を聞くのは、彼女が初めてではなかったからです。
 そういう親というのは、結構、いるものなのです。

 私が最初に留学したいと母親に話した時、私の母は、自分自身も、若い頃に、留学願望があったため、” どうぞ、いってらっしゃい!” と、寛容に私のやりたいことを受けとめてくれました。今となっては、そんな母には、感謝ばかりです。

 留学に関わらず、子供の可能性を狭めて、遮ってしまう親というのは、結構いるものです。大切に育てた我が子、自分のそばにいて欲しい気持ちは、痛いほどわかります。

 それでも、私は、イタリアに行くことを断念した彼女と彼女の母親の話を聞いて、思ったのです。” これは、いけない!!・・” と。

 経済的な問題等のある場合は別として、若いうちにしか出来ない経験を親が遮ってはいけない、すべきではないと、親となった今、私は、誰よりも自分自身を戒めているのです。

 逆に、私の従姉妹の家庭では、母親の方が、子供たちに留学してみたらと勧めているにも関わらず、頑として、日本を離れたくないと言うのだそうです。まあ、これは、これで、その子たちの選択なので、もったいないなぁ・・と思いつつも、私が口を挟むことでもありません。

 可愛い子には、旅をさせよ!と言いますが、今は、旅をしたがらない子供も少なくないようなのです。