2019年8月4日日曜日

海外で暮らす才能




 私の実家は、東京にあり、親戚は全て東京、学校も勤め先も東京で、今から考えると、私は、本当に狭い世界に、似たような環境にいる人たちとの中で暮らしていました。

 ところが、海外に出るようになってから、海外で知り合う日本人は、むしろ、東京の人は少なく、海外では、色々な所の出身の方に接し、日本の中でも世界が広がったような気がしています。

 しかし、長く、海外にいると、日本人でも本当に色々な方がいらっしゃるもので、パリには、まあ、なかなか、個性的な日本人が多いのも事実です。

 特に、団塊の世代の方は、数も多く、世代的なものもあるのか、なかなか強烈です。
外見からしても、恐らく、日本だったら、相当、人目を引くだろうと思われますし、パリの中でもかなりの存在感を感じます。
 しかし、それは、決して悪いことではありません。

 話は、少し逸れてしまいました。

 このように、海外在住の日本人にも、色々な人がいるのですが、そんな中でも、ある共通点が、あると思うのです。

 それは、自分というもの、自分なりのスタイルというものを強固に持っているということです。

 そして、異文化を寛容に受け入れつつ、それを上手にかわしていける能力を持っていることです。ゆる〜くかわしつつも、自分が持っているものは、貫いている。

 人の意見にも耳を傾けつつ、自分自身も主張するべきことは、主張する。

 それは、長い海外生活の中で培ってきたものであると同時に、その人の中にそのような素質があったと思わざるを得ないところもあります。

 海外で暮らすのは、日本の文化や習慣、生活との違いに事あるごとにぶつかります。
それを乗り越えていく強さがどうしても必要になります。そして、自分の中で、それを昇華させ、自分を支えていくものは、自分自身なのです。強い自分を持っていなければ、できることではありません。

 それは、一種の才能と呼べるものではないかと思うのです。

 日本に住んでいる私のいとこたちにも海外留学や転勤の経験のある人が多いのですが、日本で暮らしている様子を見ても、ものの見方や考え方が非常に柔軟です。

 海外で得た経験や能力を日本に持ち帰って、また日本という社会に立ち戻って、たくましく生きています。これはこれで、大変なことだと思いますが、その多くの人がしっかりと頑張れています。

 異文化に浸って生きて、また、日本に帰ることは、また、それなりに様々な葛藤や、今まで、日本にだけ住んていた頃には、見えなかったことも見え、逆に日本を異文化と感じて大変なことも多いでしょう。

 でも、海外生活の経験は、自分の中での何よりも、代え難い経験となったに違いありません。海外生活を乗り切る才能はまた、日本で生きていく事にも活かされると思うのであります。










2019年8月3日土曜日

フランス人のおしゃれの仕方




 ” おしゃれ " という言葉は、もう死語だと聞いたことがありますが、ここは、ちょっと恥ずかしながら、他の言葉も見つからないので、敢えて、” おしゃれ " という言葉を使わせていただきます。

 フランスでも、郊外や、地方の街に行って、パリに帰ってくると、” やっぱり、パリは、洗練されていて、おしゃれだな〜" と思います。まあ、パリのメトロなどに乗っていると、その路線によって、ある程度の違いはありますが・・一般的に言って・・の話です。

 バッグと靴の色の合わせ方とか、ちょっとした小物の使い方など、とても上手に組み合わせて、着こなしています。そして、それもまた、必ずしも、高価なものばかりを身につけているわけでもありません。

 街中でも、見知らぬ女性から、声をかけられることもあります。
” そのアクセサリー、素敵じゃない!?” とか、逆にこちらから、いいな、と思って褒めると、得意そうにどこで、いくらで買ったとか、自慢げに教えてくれたりします。

 むしろ、ブランド物は、それなりの人が身につけなければ、自分が引き立たないと考えていますし、ブランドに頼っておしゃれをすることは、自分自身で、おしゃれができないことだと思われてしまいます。

 ですから、フランス人は、アジア系の人たちがブランド物にたかって、買い漁る様子を冷たい目で見ています。

 ある程度は、今年は、このメーカーのものが流行っているな・・とか、この色が今年は、流行っているな・・というくらいのものは、ありますが、杓子定規にみんなが同じバッグを持って歩いているとか、そんなことは、まず、ありません。

 それは、きっと、個々の価値観と審美眼に自信を持っているからだと思うのです。

 また、日本の人は、” すごく、素敵だけど、この色は、ちょっと日本だと・・何を言われるかわからないから・・ ” と、大して目立つ色でもないのに、そう言って、比較的、地味で、無難な色を選ぶことが多いように思います。

 自分の好みよりも、人からどう思われるのかを、まず、第一に考えるようです。
 それも、時と場合によっては、大切なことであるかもしれません。

 でも、私は、おしゃれを楽しむなら、自分に似合う、自分なりのおしゃれができるものを選べばいいのに・・と思ってしまいます。

 たとえば、日本人は、世界遺産が好きですよね。
それは、ある種のブランド物好きと通ずるところがあるように思うのです。

 誰かが価値を認めたものに群がるような、そんな心理の働き方が、とても、似ているような気がするのです。

 もっと、自分のセンスに自信を持って、人と違う何か光るものを表現できるような、そんな、おしゃれができるようになりたいものです。































2019年8月2日金曜日

隔世遺伝 不気味なほど父にそっくりな娘 




 私は、娘をアフリカで出産し、その3ヶ月後にパリに引っ越してきて、それ以来、ずっと、フランスに住んでいるので、彼女は、フランスで育ちました。

 毎年、夏休みには、娘を日本語に触れさせたくて、そして、私の両親や親戚にも会わせたくて、日本へ行っていました。日本滞在時には、実家に寝泊まりはしていたものの、それも、せいぜい2〜3週間のことで、娘は、一度も日本に住んだことはなく、当然、私の両親とも一緒に暮らしたことは、ないのです。

 しかし、娘は、驚くほど、父に似ているのです。顔かたちではありません。
 まず、人並みはずれて、食い意地が張っていること。ケチなところ。そして、味覚がとても鋭いこと。食べ物の好み。辛辣な口の利き方。愛想のないところ。妙に手先が器用なところ。異様に耳がいいところ。

 私の父は、どちらかというと、気むづかしいタイプで、私が子供の頃は、私は、どちらかというと、父を敬遠しており、あまり好きではありませんでした。

 それが、まあ、孫は特別に可愛いと思うものなのでしょうか? それとも、同じ匂いがしたのでしょうか? 娘とは、すぐに打ち解け、父と娘は言いたいことを言い合い、娘の方も皆が敬遠する父を他の人と分け隔てなく? 無邪気に周りの人と同じように接して、パピー!パピー!(フランス語ではおじいさんのことをパピーと言います)と言って、懐いていました。

 父も娘には、至極、甘く、例えば、一時、DSが流行った時も、私は、”そう言うものは、絶対買いません!” と宣言し、頑として、娘に買い与えることは、ありませんでした。
 すると、娘は、ちゃっかり、父に自分でメールを送っていて、DSを買ってもらう約束を取り付けていて、日本に着くやいなや、二人でいそいそと、DSを買いに出かけたりしていました。

 パリで、娘と一緒に買い物に言って、私がダメ!と言っても、娘は駄々をこねるでもなく、” じゃあ、今度、日本に行った時に買おうか!” と言って、すぐに気持ちを切り替え、ちゃっかり日本で手に入れていました。

 いくら、こうして、父が娘を手なづけようとしていたとはいえ、普段は一緒に生活しているわけでもないので、言動や、食の好みまでは、父の真似をしているということも考えづらく、嫌味なことを言う、その言い方まで、そっくりなのには、本当にいつまでも父に取り憑かれているようで、気味が悪いほどです。

 例えば、仕事終わりに娘を迎えに行って、もう今日は、疲れちゃったから、何か、すぐ食べられるものを買って帰ろうかな〜? とお店の前につい、立ち止まって考えていたりすると、背後から娘が、ボソッと、” まずいよ! " と言うのです。
 それは、いかにも父が言いそうなことで、その言い方までがそっくりなのです。

 また、食べ物の好み、そして、その味覚の鋭さ、厳しさもまったく同じなのです。
例えば、あるお料理を食べると、これに何が入っているか、二人は見事に言い当てます。
水の好みまで同じです。

 また、まずいもの、嫌いなものに遭遇した時にも一緒です。
父は、よく言っていました。” まずけりゃ、食わない。”と。
 本当に嫌な言い方です。
それが、同じようなことを娘も言うのです。
 面と向かっては、さすがに私にはそうは、言えなくても、ちゃんと顔に書いてあるのです。” まずけりゃ、食わない。” と。

 そして、とにかく、二人は、食べ物に関しては、決して妥協しないのです。

 普通の人は、” まあ、あまり好きじゃないけど、一応、食べよう・・" となることもあるでしょう。しかし、二人は、決して、そうは、ならないのです。

 娘はコロニー(合宿)に行ったりして、フランス料理嫌いの彼女の口に合うものがなかったりすると、どんなにお腹が空いても、水を飲んででも、嫌いなものは食べずに、空腹を満たしてしまうのです。おかげで、コロニーから帰ってくると、いつも、3〜4キロは減ってしまっています。

 また、ある時、冷やし中華を作ったら、娘が、”冷やし中華” にトマトは入れないで!と言うので、ビックリしてしまいました。父も以前、同じことを言ったからです。そんな、ピンポイントなことまで、一緒のことを言うのです。

 ずっと、一緒に暮らしてきたならともかく、娘は父の好みなど知る由もないのです。

 だから、怖いのです。これが、DNAというものなのでしょうか?
だとしたら、まったく、嫌なDNAを引き継いでしまったものです。

 父は、数年前に他界しましたが、今でも娘の言動の端々から、父の存在を感じ、まるで、私は、父の死後も姿を変えた父に呪われるように生きているのであります。











2019年8月1日木曜日

理系の人間がまともな日常生活を送れない話 娘が理系の道に進んで・・





 私は、以前、日本のある大手メーカーの本社に勤めていたことがありました。
私のいたセクションは、研究所の上のセクションで、今後、会社全体が、どういう研究をしていくか、その研究をどのように進めていくのか、またその進捗状況などを統括していく研究開発の企画をする部署でした。

 当然!?その部署には、各部門から、社内でも有数の、その道の権威であるような優秀な人材が集められており、東大、京大、阪大の院卒、MITなどの博士たちが集結していました。

 それは、いわゆる理系のトップの人たちの集まりで、なかなか、ユニークな人材の集まりでもありました。最初は、ちょっと浮世離れした感じの人が多いなと思ったくらいでした。

 しかし、仕事を始めて、しばらくすると、彼らの言動に、ときに、おかしな点が見受けられることに気がつき始めました。彼らは、ごくごく普通のスーツを着て、ネクタイをして、メガネをかけたおじさんたちなのに、どうも普通ではないところがあるのです。

 ある日、私は、目撃してしまったのです。

 ファックスの前でファックスに付属した電話が鳴るのを、通りかかった博士の一人が、受話器を取っていいものかどうか迷って、前を行ったり来たりした挙句に、ファックスに向かって顔を近づけて、両手をあげて、” ハーイ!” と返事をしているところを・・。

 また、ある時、会社の地下に、とある業者がクリスマスプレゼントになりそうなグッズを売りに来ており、私は、誰にあげるというあてもなく、20センチくらいの大きさの何の動物だかわからないけれど、やけに愛嬌のあるお人形を買いました。

 その人形を部内に持って上がって、” これ!可愛いでしょ!" と周りの女性に見せびらかせて、周りの同僚からは、” なにこれ?カエル?・・でもないし、人間でもないし!また〜変なものを買ってきて!!” とからかわれていました。

 すると、そこに、博士の一人が通りかかったので、” 〇〇さん、これ、何だと思う?” と聞いたのです。すると、彼は、何のためらいもなく、即答したのです。
” うん、これは、ポリウレタンだな・・” と。

 最後の極めつけは、博士の一人が定年退職する際に、みんなでお花をプレゼントしようということになり、隣のパレスホテルの地下にあるお花屋さんに同僚とブーケを作ってもらいに行ったのです。あの人には、こんな色が合うとか、それなりに、苦心して、心を込めて、作ってもらったのです。

 そして、退社時刻になり、" 長い間、お疲れ様でした。・・" と、お花を渡したのです。
 すると、その博士は、”ありがとうございます。” と言って、頭を深々と下げたかと思うと、おもむろに、手にしたブーケをぐしゃぐしゃぐしゃーっと、カバンに押し込んだのでした。
 
 もちろん、彼には、何の悪気もありません。
 しかし、一同、絶句! まさに、大きく息を飲みました。

 私は、その博士たちの間で、しばらく働いていましたが、ある面では、恐ろしく優秀な人たち(特に理系)は、往々にして、ごく普通の日常生活が普通に送れないということがわかりました。ある一つのこと、研究にあまりに没頭して生活していくうちに、周りの普通のことに注意が行きにくくなるのかもしれません。

 そして、最近、娘がフランスで、理系の道を歩み始めました。
 まずまず、良い学校に入れて、ひと安心といったところです。
 当初は、日本での博士たちのことなどは、とうに忘れていました。

 ところが、ここ数年、娘にも、ある変化が訪れ始めたのです。
やたらと転ぶ、物を壊す、失くす、こぼす。

 こんな子では、なかったはずなのに・・!?
そんな時、ふと、私に、あの博士たちのことが頭をよぎったのです。

 まさか・・・!?。
















 

2019年7月31日水曜日

日本人の外国人アレルギーと外国ごちゃ混ぜ問題




 「I can not speak English. 」アイ キャンノット スピーク イングリッシュ。
ある、お店の店内に入ってくるなり、そう言って、手を振って、うつむいて、通り過ぎようとした日本人の中年の男性がいました。

 日本人の私に向かってです。
しかも、ここは、フランスで、英語の国でもありません。

 それだけ、外国で、他人から、話しかけられることを恐れているということと、そして、ご自分がフランスにいるにも関わらず、外国語=英語、という先入観があるのでしょう。私がその方に、何か、話しかけたわけではありません。
 これには、私も苦笑するしかありませんでした。

 また、ある人は、これから、ヴェルサイユ宮殿に行くという話をしようとしていたのですが、ヴェルサイユ宮殿という言葉が出てこなくて、” ほらほら、あの〜それ〜兵隊さんがさ・・赤い服着て、時間になると、交代するやつさ・・・”

 それは、バッキンガム宮殿、しかも、イギリスです。

 きっと、その方は、パッケージツアーか何かで旅行をしている方で、もう、自分がどこの国にいて、どこへ行こうとしているのかさえ、よくわかっていないのかもしれません。
 なんか、せっかく、はるばるヨーロッパまで来て、とても残念なことだと思いました。

 日本にも、最近、観光客であれ、移住であれ、外人がずいぶんと増えたようですが、欧米に比べるとまだまだ、外人は少なく、外人となると、日本人は、日本国内でさえも、少し身構えてしまうようです。

 日本は島国ですし、外国人をあまり受け入れてこなかったので、外国人に慣れていないのは、仕方のないことかもしれません。慣れるのには、一朝一夕というわけには、行かないでしょう。

 うちの娘でさえ、日本に行くと、”あっ!!外人だ!!” という視線を感じると言います。

 フランスでは、もはや、純粋なフランス人を探すことの方が難しいような状況なので、外人に対する抵抗は、あまり、感じられません。だいたい、学校のクラスの中にも色々な国の人が混ざっていますから、みんな、外人を外人とも思わないくらい、慣れているのです。

 その証拠?に、私は、街で、よく道を聞かれます。それは、ロンドンにいた時もそうでした。もちろん、パリでも、よく、聞かれますが・・。

 特に、ロンドンは、私が最初に海外生活を送った街だったので、最初の頃は、” こんな、外人の顔してる私にどうして、道なんか聞くのだろうか? ” (しかも、私は、ものスゴい方向音痴なのです。)としばしば思ったものです。

 しかし、気付いて見れば、ロンドンもパリも外人だらけの都市なのです。

 でも、パリの街で日本人を見かけると、遠くから見るだけでも、私は、かなりの確率でそれが日本人であることがわかります。

 それは、日本人が日本人のたたずまいというか、日本人の持つ特有の雰囲気を身にまとっているのを感じることができるからです。

 逆に、私たち、外国に住む日本人は、よく、他のアジア圏内の国とごちゃ混ぜにされ、”ニーハオ!と言われたり、両手を前で合わせてお辞儀をされたり(これは、 "サワディーカー” と挨拶するタイと混同していると思われます)することがよくあります。

 ヨーロッパの人は、とかく、アジアの国々をいっしょくたにする傾向にあります。
私たちから見れば、” 全然違うでしょ〜!!” と思うのですが、例えば、日本人が、アフリカ大陸全体がもうアフリカという一つの国であるかごとく印象を持っているのと同じ感覚なのかもしれません。 

 私は、海外にいるときは、自分が外人であるということをいつも意識しています。そして、同時に、日本にいるとき以上に、自分が日本人であるということも意識します。

 自分が外人という存在になる経験は、自分自身を客観的に考える上でも、とても意味のあることだと思っています。



 

 











2019年7月30日火曜日

子育ては、根気が勝負  生意気盛りの娘との対決




 子供は、よ〜く見ているのです。親のことを。周りの大人たちのことを。

 そして、当の親が、忘れてしまっていることも、よ〜く覚えているのです。
 子は親を写す鏡とはよく言ったもので、時々、ギョッとさせられます。

 娘が3才くらいの頃だったでしょうか? ある時、娘がコップを倒して、中にある飲み物をこぼしてしまいました。

 ”あ〜あ!” と睨みつけた私に、間髪入れずに、娘がそのこぼれた飲み物めがけて、バーンとタオルを投げつけたかと思ったら、足を使って、ゴシゴシと拭いたのです。

 あまりに素早い彼女の行動を目の当たりにした私は、呆気にとられて、苦笑いしかありませんでした。私は、そんなこと、やった覚えはないのですが・・。

  そして、案外冷静で、客観的な目線も持っているのです。

 5〜6才の頃でしたか? 娘は、何でもやってみたい子でした。しかも、自分で・・。何かやってあげても、それを元に戻して、最初から自分でやってみる子でした。

 例えば、どこか高い場所に抱っこして、のせてあげても、一度、下まで降りてから、もう一度、自分で登るような子でした。
 よく言えば、自主性があるというか、まあ、悪く言えば、可愛げがないというか・・。

  その頃の娘は、”やりたい〜やりたい〜!!やらせて!やらせて!” というのが、口ぐせのようでした。何でもやりたいお年頃には、どんどん褒めて、やらせてみよう!と思っていた私は、台所のお手伝いをしてくれている娘をとにかく褒めちぎっていました。

 ”スゴい!お手伝いしてくれるとママ、ホント助かるわ〜!” と、私は、ひたすら、褒めることに一生懸命になっていたのです。すると、ふと、娘が手を休めて言いました。

 ”あなたも何かしなくちゃね!” と。

 ギャフンとやられた感じでした。

 飛行機に乗って、CAさんに、" りかちゃん、ちゃんとお座りしててね” と言われれば、”あなたもここにお座りね!” と切り返し、洋服を買いに行って、欲しい服があれば、さっさと着替えて、自分の服は、置き去りに。

 また、私が何か、同じことを注意しても、何度、言っても、きかないと、ついつい頭にきて、”一体、何度、同じことを言ったら、わかるの?” と言えば、すかさず、

 ”じゃあ、数えましょうか?” と切り返す。

 朝、何度も何度も起こしに行って、それでもなかなか起きなくて、ようやく起きてきた娘に、”もう〜!!何回、ママが起こしに行ったと思ってるの?!!” と言うと、娘は、あっさり、”一回・・。

 ”さっき一回、聞こえたから、起きてきた・・” と。

 幼少期の娘とのやり取りは、四六時中、こんな感じでした。

 娘は、とにかく、エネルギーの塊で、睡眠時間も短く、寝る直前まで、活動し、寝るとなったらあっという間に寝てしまう。そして、寝たら最後、なかなか起きず、そして、少しの睡眠によって驚くほどにエネルギーを回復します。

 お昼寝などただの一度もしたことがなく、休みの日など、私の方が疲れて横になると "
寝ないで〜!!寝ちゃダメ〜!!” とまるで拷問のようでした。

 娘から切り返される問答に思わずため息をついて、笑ってしまうこともしばしばでしたが、子育ては、根気と根性。強烈なパワーの娘に引きずられるようにして、生きてきました。それでも、めげずにそんな日々を淡々とこなしてきました。

 でも、今になってみると、現在の娘の強烈なキャラクターの根本は、もうすでに、この頃、出来上がりつつあったことを、振り返ってみると、改めて、確認させられる気持ちになるのであります。


 ヤレヤレ〜。ƪ(˘⌣˘)ʃ

 

 

 

 

2019年7月29日月曜日

国際カップルの習慣の違い  ギャ〜!ヤメて!なんで、そんなことするの?




 違う環境に育った二人が一緒に生活を始めれば、日本人同士とて、様々な問題が浮かび上がってくることと思います。

 これが、やはり、国際結婚ともなれば、なおさらのことです。

 それでも、私の場合は、主人が4年間、日本に赴任していた経験があったので、ある程度は、日本のことを知っていてくれ、日本人の習慣なども、ある程度は理解してくれていたので、とても救われました。

 アフリカや、パリでも、日々、ことごとく起こる、日本ではあり得ないことに、私がへこたれそうになっても、”そんなのパリでは、当たり前だよ・・” などとは、決して言わずに、” そりゃあね〜 日本みたいな国は、他にはないからね〜” と、言ってくれていましたので、少しでも、私のやるせない気持ちを理解してくれる人が側にいてくれたことは、私にとっては、とても大きな支えでした。

 とは言え、個々の文化、習慣の違いは、一緒に暮らしていれば、ところどころに出てくるものです。

 食べ物に関しては、概ね、何でも、美味しい美味しいと言って食べてくれる主人ですが、私が手をかけて育てた日本のきゅうりは、私は、カリカリと歯ざわりが良く、とても美味しいと思うのですが、このきゅうりは、水分が少ないな・・などと言います。

 また、ブロッコリーの茹で方なども、これは、日本風の茹で方だね・・(フランス人は柔らかいものが好き)と言い、猫舌な彼は、(全般的にフランス人は熱いものが苦手)、アツアツのものをと思って出すと、熱くしないで、料理ができないの?などと言って、わざわざ、冷まして食べたりします。

 そして、フランス人は、平熱が高いのをご存知でしょうか?
日本人なら、だいたい、平熱は、36℃くらいですよね。フランス人の平熱は、37℃くらいです。なので、私と主人、両方の血を引く娘の平熱は、何度なのでしょう?
 
 これが面白いことに、36.5 ℃くらいなのです。

 普段、少し風邪を引いたくらいでは、私は、熱を測りません。熱を測っても熱が下がるわけでもなし、ここらへんに、私のいい加減さが表れています。何となく、触ってみれば、どの程度なのかわかります。(笑)

 でも、ある時、娘が高熱を出した時、主人は水風呂に娘を入れようとしたのです。
主人曰く、熱が高いのだから、全身を冷たく冷やして、熱を下げるのだ、と言うのです。

 しかし、日本人の私としては、熱がある時は暖かくして寝かせ、頭だけ冷やす、と言うのが、習慣です。高熱のある娘を水風呂に入れようとした主人を見て、” ヤメて〜っ!!” と私は、恐ろしくて、身を呈して、娘を守ったものです。

 私には、熱を出して臥せっているときに、” 暖かくして、寝ていなさい” と布団をかけ、頭に冷たいタオルをのせてくれた母の面影が深く刻まれているのです。

 それから、こちらの人は、赤ちゃんに、シュセットという、哺乳瓶の先がついたような、おしゃぶりのようなものをくわえさせるのですが、これも、私は、あまり、好きではありませんでした。
 
 これは、幸いにも、娘の方が、吸っても何も出てこないので、ぺっと、すぐに吐き出してしまい、勇んで買ってきた主人もガックリして、諦めてくれました。

 また、靴のことでも一悶着ありました。
 娘が生まれた時、いや、生まれる前から、主人は娘のための靴を買ってきたのです。
まだ、歩けもしないのに・・、いや、生まれてすらいないのに・・です。
” 歩けない子供の靴がなんでいるのよ!!”  と。

 そして、生まれてからは、歩けないうちから、外出の際は、必ず、靴を履かせるのです。
なんと、もったいない!!と私は、思っていたのですが、靴を履かせないと足の形が悪くなる・・そして、冬は、靴を履かせなければ、寒いだろう・・と言うのです。

 冬、寒いフランスでは、靴は防寒の意味もあるのだと、私は、初めて知りました。
(娘は、そのうえ、その寒さゆえ、冬には、耳を守るために必ず耳を覆う帽子も被らされていました。)

 これには、ハッキリとフランスの靴文化などの文化の違いをまざまざと感じさせられたものです。

 こんな風に、細かいことではありますが、一緒に暮らしていれば、数々の違いに驚かせられる日々なのです。