2023年11月21日火曜日

高齢者の一年と代がわり

  海外に住んでいると日本にいる家族や親戚とも久しく会わないことも珍しくありません。たとえ、定期的に一時帰国していても、必ずしもみんなに会い切れるものでもないのです。 少なくとも、パンデミックの間2〜3年は、全く日本に帰ってこれなかったので、その間には、全く会えなかったし、我が家系は両親ともに、兄弟姉妹が多く、叔父・叔母も多く、また、とても親戚付き合いが緊密で、結束が固いために、小さい頃から、度々、親戚が集まる機会も多く、それは、現在でも続いているのです。 私の両親はすでに他界しているので、その本来の繋ぎとなっていた部分は存在しないものの、その濃淡はあるにせよ、かなり私との繋がりが密?な、叔父や叔母もおり、彼らとは、日本に一時帰国をする際にこれまで一度も会わなかったということは、一度もありませんでした。 特に、その中の一人である叔父などは、つい最近までは、必ず羽田空港まで車で迎えにきてくれて、滞在中も最低でも一回は一緒に食事に行ったり、お墓参りにいったり、また、自分の得意料理を作っては、わざわざ家に届けてくれたりと、もういい歳をして、私は大変に甘やかされた状態だったのです。 彼らは亡き母の弟や妹たちで、まるで使命感にかられているのではと思うほどに、もう私たち親子の面倒を見る?のが、当然のように思っている気もするのです。大変、愛されていることを実感しているわけですが、その叔父や叔母もある程度の年齢までは、いつまでも、あんまり変わらないなぁ・・(見た目もフットワークなど)と思っていたのに、ここ数年で突然、めっきり老け込んだ感じがして、車の運転なども危ないのではないか?と思うようになりました。 叔母の方は、きっぱりとすでに運転はやめてしまったのですが、叔父については、まだ運転を続けています。なので、今回の帰国なども、帰国することを知らせてしまえば、誰がなんと言おうと、叔父は空港に迎えに来てしまいそうで、私は、遠慮して、その叔父家族には、事前に帰国を知らせませんでした。 人というものは、個人差もあるでしょうが、中年以降、しばらくは、そんなに変化がないものの、ある年を境にめっきり変化してしまうタイミングがあるようで、今年は、叔父、叔母たちに顕著にその姿に表れていることに接し、少々、戸惑っています。 そもそも、日本に来ると、来るたびに高齢者が増えたことを実感し、地下鉄に乗っても、街を歩いていても、高齢者を目にすることが増え、日本の高齢化を再認識させられます。 特に今回の帰国では、まだ叔父・叔母全員に会ったわけではありませんが、80代になった叔父や90代に突入した叔母が、この一年でかなり加速度的に変化していたことに、驚いています。 代がわりというのは、やはり節目なようで、昨年から考えるとずっと腰がまがってしまい、また歩き方なども危なっかしい感じだったり、また、会話の様子などからしても、噛み合わない部分が表れたり、もともとの性格的なキャラクターがより一層濃くなって、より頑固で頑なになっていたりして、「去年は、こんなじゃなかったよね・・」と思うことが増えて、たった一年の間に??と、びっくりしてしまいます。 小さい子供の一年での成長ぶりならば、「大きくなったね〜」とか、「ずいぶんとおにいさんになって、しっかりしてきたね〜」などと、頼もしく、また嬉しくもあるのですが、この代がわりの高齢者の一年の変化には、複雑な思いにかられます。 それでも、ある日、一日を境に劇的に変化したわけでもなく、ごくごく周囲の人々にとっては、その老化のスピードは以前よりも早くなったとはいえ、徐々に変化していることに周囲も慣れてきているのであって、「最近、こうなのよ・・」とか、嘆いてみせたりするのですが、一年以上のブランクがあった私にとっては、歴然とした変化がかなりショッキングでもあるのです。 しかし、考えてみれば、これから先は、本当にこのようなことが増えるのは、まさに不可避で、わりと早くに亡くなってしまった母には、このようなことが訪れたこともなく、父に関してみれば、そもそも性格的にもかなり特異であったために、それが加齢によるものなのかどうかという判断もつきにくかったのです。 しかし、ここへきて、一年のブランクがこれまでの数倍の変化をもたらしていることは、これまでには、感じることのなかった厳しい現実なのです。<関連記事>「フランスでも日本でも、最近、もっぱらよく聞くようになった、けっこうキツい親の介護の話」「海外在住者が母を看取る時」「娘の卒業式」「京都...

2023年11月20日月曜日

パリに持って帰りたい食材を買いたいお店の一つ 上野 吉池

  私の携帯のメモには、いつも「日本に行ったら買いたいものリスト」があって、何か思いつくたびに、それに追加していきます。 一時帰国の日が近づくと、逆に友人や親戚へのお土産ものや頼まれものを買い集め、日本に来る時の私のスーツケースの大部分は、誰かにあげてしまうもので、日本にいる間に少しずつ会う人々に渡していくのです。 しかし、日本に到着した途端に、お土産を渡して少しずつ持ってきた荷物が減っていくのと同時進行で、今度は、パリに持って帰るものの買い物がスタートするのです。 こんなことをしていると、この期間は、常にスーツケースをつめ、それを空にして、また、別のものをつめていく、なんだか運び屋みたいだ・・と妙な気分にもなります。 もちろん、パリにいる友人に頼まれているものや他人に渡すものも少しはあるのですが、フランスに戻るための荷物(買い物)は、ほぼ日常の私の食材などがメインで、それからしばらくの私の食生活に重大に関わってくるので、真剣味も違います。つまりは、日本に着いた瞬間から、もうパリに持ち帰るものを物色する毎日が始まるわけです。 もう端的に言えば、ごくごく普通のスーパーマーケットでさえも、はっきり言って、正直、目に入るものは、次から次へと、全部欲しいのですが、持てる荷物には限度があり、その中から、選んでいかなければならないわけです。 そして、こうなってくると、できるだけ持ち帰ることのできる他のお店では、あんまり見かけない、これはあったら、絶対便利だ!と思われる商品をたくさん扱っているお店に行くのが効率的ですが、その一つが上野(御徒町)の「吉池」というお店です。 もちろん、このお店には、ふつうのスーパーマーケットにあるような食材もおいているのですが、特に海産物関係の乾物や缶詰、乾燥だし粉末、薬味系などが充実していて、ちょっとテンションがあがります。 わかめやひじきなどのポピュラーな、わかりやすい乾物から鰹節なども種類が豊富で、特に私は、あさりやしじみ、カニやエビなどのエキスのパウダーやお魚のおせんべいなどが気に入っています。 また、カニ缶やウニの瓶詰めなども、比較的、お手頃価格のものから、ちょっといいものまで置いていたり、行くたび(とはいえ、毎回、必ず行けるわけではないですが・・)に、「うわっ!こんなのあるんだ!」と、我を忘れてお店の中をウロウロしたり、気になった商品に釘付けになったり、食い意地の張っている私はしばし、時が経つのを忘れてしまいます。 もちろん、鮮魚も充実しているので、海外に持って帰ることは不可能でも、日本滞在の間に食べることもでき、同列経営の食堂も同じビルの中に入っています。 もともと、この界隈、あまり行かない場所ではあるのですが、それでも、何かにかこつけて、日本にいる間にできれば行っておきたい、そんなお店です。 吉池本店 東京都台東区上野...

2023年11月19日日曜日

親友と語り明かした至福の時間 今さら発見した彼女と親しくなった理由

   彼女と知り合いになってから、ちょっと年数を明かすのも歳がバレる・・とはばかられるほどの月日が経っています。 私は、昨年も一時帰国をしていましたが、その時は、彼女の職場でコロナウィルス感染者が出たために、彼女は濃厚接触者として分類され、泣く泣く会うのを諦めていました。なので、考えてみれば、パンデミックの期間プラス1年余計に彼女には会えなかったわけです。 彼女とは、若い頃、一時、同じ会社に勤めていた時期があり、その時以来、付き合いが続いているのですが、それからお互いに職場を変わっても、そして、私が海外に出てからも、ずっと付き合いは続いていました。 今のようにネットが一般的ではなかった頃は、彼女は実に筆まめな人で、頻繁に手紙のやりとりをしていましたし、その後、ネットが通じるようになってからは特に定期的に連絡をとりつづけてきたので、遠く離れていても、会えば、すぐに昔のようにいつまでも話していられる・・そんな存在です。 会えるはずだったのに会えなかった昨年、私がフランスに帰国してしばらくして、彼女は彼女の人生において、なかなか大変な出来事、二人暮らしであった母親を看送るという一大事を経験していたのです。 お互いに大変な食いしん坊で、彼女は、仲間うちでは、食べログなどのサイトができる前から、「歩くグルメマップ」と呼ばれるほどの食通で、とにかく「食」へのこだわりがものすごく、また、その味覚もたしかなことから、帰国して、何が食べたい?どこで?というリクエストだけで、瞬時にいくつものお店の名前が出てくる・・そんな人なのです。 彼女がそんな仕上がりになったのも彼女の母親の影響が大きく、また若い自分からお互いを知っているだけあって、彼女の家に電話したりして、たとえ、彼女がいなくても、ついつい彼女のママと長話をしてしまう・・そんな付き合いだったのです。 海外で一人で子育てしていた私たち親子を彼女親子はいつも暖かく見守ってくれていて、娘が成人した時などは、まるで自分の家族のことのように喜んでくれたりしていたのです。 彼女の住まいは葉山の方にあり、私の実家からはえらく遠いために、大昔に一度、娘を連れてお邪魔したことはあったものの、たいていは都内のどこか美味しいお店で美味しいものを食べながら、おしゃべりするという感じでした。 しかし、今回ばかりは、彼女は母親を亡くしたばかり、彼女のママのお参りもかねて、今回は、彼女の家でゆっくりおしゃべりをしようと彼女とのおうち時間を過ごしに行ったのです。 ...

2023年11月18日土曜日

日本到着後の身体のメンテナンスは至福の時間

   ここのところ、日本行きのチケットを取るとすぐに、日本到着翌日に日本での美容院の予約を入れて、伸び放題になっていた髪を切り、カラーリングをしてもらったり、ヘッドスパのようなことをやってもらったりと、至れり尽くせりのお気に入りの美容院で、ゆったりした時間を過ごすのが大きな楽しみの一つになっています。 今回は、たまたま翌日に美容院の予約が取れなかったので、その代わりといってはなんですが、中継ぎとして、整体・マッサージを予約していました。 大昔に祖母のお供で、若い頃に整体に通っていたこともありましたが、今から考えてみれば、少々、胃が痛かったり、それにつれて脾臓が腫れているとのことで、...

2023年11月17日金曜日

日本に到着して、次から次へと私はトラブルを呼ぶ女

   日本到着直後から、自宅に到着するやいなや、食の予定を遂行するために、荷物を置くとすぐに、靴もコートも脱がないうちから、お気に入りのお寿司やちょっと食べたいものなどをみつくろいにでかけ、まずまず希望のものをゲットして、ようやく、家にもどり、荷物を解きはじめ、2つある大きな荷物の一つをあけ、大きい方のスーツケースをあけようとした時のことです。 今回は、なんと、いつもお願いしていた運転手さんがパリにいなかったことから、少々、甘い考えを起こし、それなら、電車で行ってやろうじゃないの!などと、慣れないことをした私が悪かったのです。 とりあえず、空港に着くまでは、荷物は大きいスーツケース...

2023年11月16日木曜日

パリ・シャルル・ド・ゴール空港発 日本行きの今

   前回、日本に行ったのは、コロナ禍がどうやら少し鎮まり始めた頃で、フランスから日本に入国しても、施設での強制隔離が必要なくなってしばらくした頃で、ヤレヤレようやく、なんとか日本に行けるかも? と思っていたところに、今度はウクライナでの戦争が起こり、ヨーロッパから日本への道は一時、ほぼ遮断された状態になり、パリからの直行便もなくなってしまいました。 それでも、前回、昨年の3月から4月にかけて、娘が日本で就職することになった折に、最後の母としてのお勤めと、娘の日本での、長らく空き家になっていた実家での生活のスタートを見届けるために、日本に来たのが最後で、あれからもう1年半が経ちました。 当時はロンドン経由、迂回経路での長時間身動きも取れず、マスク着用のフライトはつくづく負担そのもので、ちょっと嫌気がさすほどでした。 あれからコロナウィルスは少しおさまり始めましたが、今度はイスラエル問題、燃料費高騰による航空運賃爆上がりと、次から次へとまるで障害物競走をしているようにハードルが立ちはだかります。 今回のフライトはパリからのJALの直行便、今の時期は、通常ならば、かなり低価格のはずが、それでも往復1,400ユーロ強で、以前であれば、真夏のハイシーズンの価格です。 私が乗った便は満席ではなく、ビジネスクラスなどは、むしろ、ほぼ満席でしたが、エコノミークラスは、一列おきに3席の真ん中が空席なくらいな感じでそんなに混んではいませんでした。 もうマスクをしている人もいなくなり、羽田空港で感染症に関するチェックなどももう全くありませんでした。 ビビりの私は、それでも、この来日の前にコロナウィルスとインフルエンザのワクチンを済ませてきました。 フライト時間に関しては、一時よりは若干、短縮され、13時間30分、通常だと12時間程度、あるいは、運がよければ12時間を切ることもあったことを考えれば、まだ元どおりにはなっておらず、出発時の機長さんのアナウンスによれば、パリから日本までは、なんと15ヵ国の上空を通過するとかで、このご時世に、なにかと物騒な気さえしてしまいます。 離陸してまもなく、CAさんが、「VISIT...

2023年11月14日火曜日

一時帰国のためのダイエットの思わぬ誤算

   日本の一時帰国には、一応、色々な用事はあるものの、やっぱり何よりも楽しみなことは、美味しいものをたくさん食べることで、この時ばかりは、ダイエットには、目をつぶり、胃薬片手に食べる気満々で臨みます。 よって、フランスに戻った時には、体重が増加していることは、必須なのですが、それはあとで取り戻すとしも、少しでも、そのギャップを埋めるために、出発前から、準備段階として、少し食事を控え目にして、少しでも痩せてから日本へ行こうと、気持ち、控え目な食事を続けていました。 とはいっても、お土産を買い集めている間、そのほとんどが食料品のために、行く先々で、試食したり、また、日本には持って行け...