2023年6月9日金曜日

フランス全土が震撼とした のどかなアヌシーの公園で起きた難民による子供を狙った襲撃事件

 


 事件は朝の9時45分頃に起こりました。アヌシー(オー・サヴォア県)にあるのどかな湖のほとりの公園で、ナイフを持った男が22ヶ月から3歳の子供たちに襲いかかる(成人1人を含む7名が負傷・子供たちは生死をさまようほどの重症を負った)という、ちょっと信じられない事件に誰もが震撼とさせられました。

 襲われたのが、まだヨチヨチ歩きの子供ばかりというのも余計に恐ろしく不気味な事件で、その日は、一日中、フランス全土はそのニュースでもちきりで、少しずつ判明していく犯人のプロフィールに最も過激に反応し始めたのは、移民を叩き出したい極右政党の政治家と過激派でした。

 犯人は、迅速な警察の介入で、その場で逮捕されていますが、この男性は、1991年生まれ、31歳のシリア国籍で、スウェーデンで難民認定を取得し、10年間スウェーデンに住んでいたものの、昨年秋からフランスに入国し、このアヌスの近辺にホームレスとして?滞在しつつ、フランスでも亡命申請を提出していましたが、すでにスウェーデンで難民認定を取得していたために、フランスはこれを却下しており、その通知を彼が受け取ったのがこの事件の4日前であったと言われています。

 この衝撃的なあまりに狂暴な事件の知らせに当日、開催されていた国民議会も議事を中断して1分間の黙とうが行われています。

 この犯人からは、麻薬などのドラッグやアルコールの反応は出ておらず、また、彼には精神病歴もありませんでした。付近の住民によれば、彼はフランス入国以来、この事件を起こした公園を根城にしていたのを目撃されていましたが、彼は非常に礼儀正しく、周囲の人々の邪魔にならないように、午後7時半頃になるとやってきて、朝8時頃になると公園を出ていき、清潔な身なりで、挨拶をすれば、それに応えて挨拶をし、まるで軍隊生活をしているようにきちんとしていたため、彼が公園に留まっていることを通報する必要は感じていなかったという証言もあるようです。

 彼に対して、毛布や食べ物を提供しようとしても、彼はこれをいつも拒否していたそうです。

 事件後になってみれば、あの彼の行動は周囲を油断させるものだったのだろうか?とその証言者は、ホームレスとしては、あまりに礼儀正しく、清潔にひそやかに暮らしていた彼の様子を逆に不気味に思い返しています。

 また、彼は亡命申請の際にシリア出身のキリスト教徒であると宣言しており、今回の襲撃事件においても、子供たちに襲い掛かる際に「イエス・キリストの名において!」と数回、叫んでいたと言われており、スウェーデンでは、一時、教会で生活していたこともあったと言われています。

 彼は、スウェーデンでは、結婚歴があり、信じられないことに、今回襲った子供たちと同じ年ごろの3歳の子供がいるそうですが、8ヶ月前に離婚しており、元妻が電話でのインタビューに回答しています。

 彼はスウェーデンでの生活も決して順調ではなかった模様で、スウェーデンの新聞によると、スウェーデンにおいて、彼には、研修中に失業手当と奨学金の両方を受け取ったとされる給付金詐欺の前科があり、執行猶予付きの有罪判決と罰金が課せられていたそうで、そんなことも影響してのことか、スウェーデンにおいて取得したかった国籍取得に失敗し、スウェーデンを出国することを決意したと元妻が証言しています。

 彼の今回の襲撃事件の本当の理由は解明されてはいませんが、スウェーデンに亡命し、腰を落ち着けるつもりが、それに失敗し、イタリア、イスラエル、マレーシアなどでも亡命申請をしようとしていたものの、フランスでの亡命申請の結果、すでにスウェーデンでの難民認定があることを理由に却下されたために、今後も他国で亡命申請が認定されないことが予想さたことに失望したとも考えられます。

 しかし、なぜ、彼が襲ったのが自分の子供と同年代の小さな子供であったのか?  一見、冷静そうに見えていたこの男の狂気は何に起因しているのか?

 いずれにせよ、この不可解かつ、狂暴な子供を中心に狙った襲撃事件は、単に恐ろしいだけでなく、再び移民問題に大きな波紋を呼ぶことは間違いありません。

 現段階では、アヌシーでは、この件に関するデモを禁止していますが、いつまでも禁止というはずもありません。この事件に多くの人が憤りを覚えていますが、この事件を間違った方向で騒いでほしくはありません。


アヌシー ナイフによる子供襲撃事件


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2023年6月8日木曜日

モンサンミッシェル1,000周年 自然と融合した神秘的な芸術

 


 モンサンミッシェルの修道院が1000周年を迎えたそうで、週明けにマクロン大統領が夫人を伴い1000周年記念祝賀のために予告なしに訪問しています。

 フランスでは、モンサンミッシェルはミッテラン大統領以来、歴代大統領、あるいは、大統領候補者が何らかの決意、メッセージを伝える場所として、この地を訪れるのがある種の習わしのようになっています。

 年金改革問題を機に数ヶ月にわたる強い不信感を経て支持率が回復しつつある中、マクロン大統領が1000周年を迎えたモンサンミッシェルで何を語るのか?と思いましたが、1,000周年ということ以外に特別な意味はなかったみたいです。

 彼は「私たちが風景が消えていくのを恐れるこの時代に、モン・サン・ミッシェルは不可能なことは何もないということを証明しています。 私たちの国には再び希望を抱く十分な理由があります。モンサンミッシェルに象徴されるように、回復力と抵抗力を兼ね備えているこの国を作り上げていきます」と、マクロン大統領の口から出てきたのは、具体的な話ではなく、強いてあげれば「遺産の修復を支援したい」といった程度の話でした。

 モンサンミッシェルといえば、日本人にも人気のフランスの代表的な観光地の一つで、ユネスコの世界遺産にも登録されているフランスの文化遺産です。ノルマンディーの潮の干満の激しい地にそびえ立っていることから、満潮時には、海の上に浮かんでいるように見える自然と融合した神秘的な芸術であると言われています。

 現在は、すでに工事が完了していますが、一時は、車や観光バスを通すことを目的とした道路が岩の周りの水の循環を妨げ、泥が堆積する恐れがあり、この災害を避けるために、1億8,400万ユーロを費やして、大規模な工事を行い、駐車場を押し戻し、道路を作り直しましたが、このために、モンサンミッシェルの修道院の岩山に到達するために2km歩くか、シャトルバスを使わなければならなくなることについての賛否が分かれ、ゴタついていた時期もありました。

 私がモンサンミッシェルに行ったのは、そんな工事が行われる前だったので、モンサンミッシェルの中にいて、うっかり満潮になる時間にかかってしまい、靴をぬいで、足を海の水につかりながら、戻ってきた覚えがあります。

 その時は、家族で何日かかけて、車でノルマンディー地方を旅行した時に立ち寄ったのですが、その時は、駐車場はそこまで遠くではなかったのですが、周囲約 960 メートル、標高 92 メートルのこの岩山の上にそびえ立つモンサンミッシェルの修道院に上って観光するのは、けっこうな脚力が必要で足がガクガクになった記憶があります。

 一時は、日本人のフランスツアーなどには、必ずといっていいくらいモンサンミッシェル観光が組み込まれていて、そうでない場合は、日本の大手旅行会社がやっているオプショナルバスツアーが毎日のように出ており、しかも、その大半が1日の日帰り観光だというのに、フランス人は目を丸くしていました。

 どうやら、ツアーに参加する人々は東京ー横浜くらいの気分で参加しているのではないか?と思いつつ、実際は、普通は車で日帰りするような場所ではなく、朝7時過ぎにパリを出発し、パリに戻ってくるのは、早くて夜9時過ぎで、モンサンミッシェル滞在時間よりもバスに乗っている時間の方がずっと長い耐久レースのようだ・・とフランス人からは嫌みがましく言われていました。

 当時は、モンサンミッシェルに一番多いのは、日本人観光客だと言われるほどで、日本人は、ずいぶん、この地方の観光業界に貢献してきたのではないかと思います。

 現在は、まだ、日本人観光客が以前ほどは戻ってきていないので、以前ほどは、モンサンミッシェルに日本人が多いとは思えませんが、とにかく観光客が多く訪れる場所であることは間違いなく、色々な言語が聞こえてきます。年間約300万人が訪れるというモンサンミッシェルは、周囲のホテルやレストラン、土産物店など、地域を潤し続けています。

 話は少々、逸れてしまいましたが、そもそも何かの○○周年記念ということは数あれど、1,000周年などという機会はめったにあることではなく、歴代大統領ゆかりの地?であるモンサンミッシェル1,000周年の年に在位しているマクロン大統領というのも、「この男、持ってるな~」と妙な感心をするのでした。


モンサンミッシェル1,000周年


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2023年6月7日水曜日

ユニクロがプリンセス・タムタムとコントワー・デ・コトニエの店舗を大幅閉鎖

  


 ユニクロ・フランスがプリンセス・タムタム (Princesse Tam Tam (ランジェリー)とコントワー・デ・コトニエ(Comptoir des Cotonniers (婦人服)の国内店舗を大幅縮小することを発表したというニュースを聞いて、最初は意味がわかりませんでした。

 この2つのフランスのプレタポルテのブランドは、ユニクロの子会社だということを私はこのニュースを聞くまで知りませんでした。

 ユニクロ・フランス本体は、街を歩いている人が持っているユニクロの紙袋の数や、お店に買い物に行った時の様子などを見るにつけ、どう考えても業績は悪くないと思うのですが、ここのところ、カマイユ、kookai、ピンキー、サンマリーナなどフランスの中堅どころのプレタポルテのブランドは、軒並み倒産が続いています。

 たしかに、フランスのファッション業界は、いわゆるハイブランドか、そうでなければ、かなり思い切った低価格帯のブランドか?両極化しつつある気がします。「フランス人はもはや中堅どころのブランドの名前では買い物をしなくなり、価格で買い物をするようになった・・」とも言われていますが、その中間のところを綱渡りしていけるブランドはそんなに多くなくなってきた気がします。

 今回、ユニクロ(ファーストリテイリング)は、「流通戦略の抜本的見直しプロジェクト」と「販売拠点ネットワークの再編計画」をかかげ、フランスにおける厳しい中堅どころのファッションメーカーのポジションを維持していくために、子会社の中でも、もはや回復の見込みのない、この2つのブランドの55店舗(136店舗中)の閉鎖を検討すると発表し、また、多くの雇用が失われると話題を呼んでいます。

 そもそも、ユニクロがなぜ?この2つのブランドのオーナーになったのか?ということも疑問といえば、疑問でもありますが、そもそもフランスにユニクロが進出した当時は、ユニクロは、その品質には、絶対的な人気があったものの、ファッション的、デザイン的には今一つという評判であったことも否めません。

 そんな中、これらのブランドを買いとることでデザイン性やフランスのファッションブランドの香りを吸収していくことは、彼らにとって一定の狙いがあったのかもしれません。

 しかし、ここ数年の中堅どころのファッションメーカーの急降下の勢いは想像以上に早く、業績不振にあえぐ中堅ブランドは、彼らの顧客層の認識の変化に追いつかず、気が付いた時には、店舗数だけがやたらと過剰に増えており、それと反比例するようにオンライン上での存在感が薄すぎて、それを凌駕する戦略を打ってこなかったことが敗因です。

 おそらく、今回の発表は、現時点では店舗縮小に留まっていますが、すでにユニクロ本体の足を引っ張る存在になりつつあったということだと思います。

 この子会社ブランドの縮小とともに、ユニクロは、パリ・リヴォリ通り店で、アフターサービス、カスタマイズ ワークショップ(リペア・カスタマイズ・リフォーム)を組み合わせた「お直しサービス」を開始すること(3ユーロからの価格で、ボタンの縫い付け、破れの修理、裾上げを依頼できる)、また、使用済のアイテムのリサイクルへの取り組みを開始することも同時に発表しています。

 ユニクロはさらに、NGOと協力して、状態の良い古着を世界中の困っている人々に配布するプロジェクトも開始しています。

 常に何か新しい試みを催し、他のブランドにはないサービスという付加価値をつけることで、他のブランドとの差別化をはかり、また、世界的にも環境問題に積極的に取り組む姿勢をアピールしているあたり、さすが!とうならせられます。

 労働組合が強いフランスでは、店舗の縮小、それに伴う解雇などは、生易しいことではありませんが、会社全体が生き残るためには、不要な人材や店舗を抱え続けるのは命とりです。

 ユニクロがフランスに進出したのは2007年のこと、ラ・デファンスに1号店ができると聞いて、日本人の私は、なんか嬉しくてワクワクしたのを覚えています。当初から、ユニクロは日本式に店員を教育するとかで、お客さんが手に取った洋服はすぐにたたんで棚に戻すとか、レジでは人を待たせないような工夫をするとか、日本人から見たら、当然のサービスを提供するために、フランスでも日本風の店員の教育をしていたため、フランス人がその厳しさに耐えられずに、人がすぐ辞めてしまい、常に求人広告が出ているようでもありましたが、それも店舗が増え、ユニクロがフランスに浸透していくにしたがって、そんな店員の教育も浸透していき、最近では人を待たせないレジどころか、レジ自体の多くがオートレジになってしまいました。

 世の中の変化や流行、人々のショッピングの形態の変化についていけない限り、企業も生き残れないので、ユニクロとしては当然のことをしていると思うのですが、中には、この縮小されるブランドの店舗贔屓の側からすれば、「ユニクロはなぜ、プリンセス・タムタムとコントワー・デ・コトニエを犠牲にするのか?」などという批判じみたタイトルをつける新聞もあったりで、全くそのあたりは、フランスだな・・とも思うのです。

 ただ、現時点では、店舗数縮小を検討するということで、対象店舗の実質的な閉店は2024年7月の予定と1年以上の猶予期間をとっているあたりも、フランスでの解雇の難しさを物語っています。

 それにしても、ユニクロがこんな世界的なブランドになるとは・・。


ユニクロ フランス プリンセス・タムタム  コントワー・デ・コトニエ


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2023年6月6日火曜日

シャンゼリゼでのディクテ(書き取り)大会 参加者5000人 ギネス記録樹立

  


 6月のある日曜日、パリ・シャンゼリゼでは、ディクテ(書き取り・口述筆記)大会が行われていました。このディクテというもの、私が中学生の頃、英語の授業の中でディクテーションというものがあったような微かな記憶がありますが、フランス語、特に正確にフランス語を読み書きするのが大の苦手・・というより、ほとんど無理なレベルの私にとっては、まるでフランス語の難易度をひけらかされているようにさえ感じる嫌みなイベントです。

 しかし、フランス人にとっては、幼い頃から慣れ親しんだ?それなりに苦労してきたディクテには、郷愁のようなものを感じるところもあるようです。

 毎年のように、このディクテの大会はどこかで開催されている話を耳にしますが、今年はシャンゼリゼで行われ、5000人が参加するというので、シャンゼリゼがディクテ会場として、どんなふうにセットアップされるのかだけでも、見ものだと思い、散歩がてら、シャンゼリゼに出かけてみました。

 久しぶりにパリに来ている娘にとって、シャンゼリゼは、なかなか誘惑の多い場所でもあり、洋服などを見ていたら、実際のディクテ会場に到達するのは、遅くなってしまって、下手をすると、もう終わっちゃってる?と思いきや、ディクテ大会は3部構成になっていて、私たちが見に行った時には、ちょうど3部目が始まるところでした。

 司会は、テレビでよく見かける女性司会者で、「世界一美しい通り・シャンゼリゼにようこそ!」と始まりました。このシャンゼリゼで何かが行われる時には、必ず司会者あるいは、解説者が口にする「世界一美しい通り・シャンゼリゼ」という文句には、何度聞いても、「まあ、そうかもしれないけどね・・」とちょっと苦笑させられます。

 この日の参加申し込みには、なんと5万件を超える応募があったとかで、その中から抽選で選ばれた10歳から92歳の約5000人が参加したそうです。(3部構成で、1回につき1779人が参加)

 シャンゼリゼには、凱旋門の目の前にステージと大型スクリーンが用意され、そのステージに向かって、学校で使うような机と椅子がきれいに並べられているという、ちょっと珍しい光景です。

 よくよく考えるならば、このディクテという大会が成立するのも、日本語でいう単に感じの書き取りのようなものではなく、文章の口述筆記で、フランス語の文法や余計?な記号の多さ、複雑さが、このような大会が成立する所以であり、多くの人、ネイティブのフランス人でさえも、正確にフランス語の文章をしっかりと間違いなしに書き取ることがどれだけ難しいかということなのです。

 まあ、私がいつまでもフランス語が苦手な言い訳でもありますが・・。

 最初、フランス語を知らなかった頃、どうして大の大人がちゃんとフランス語を書けるかどうかの大会などが存在するのかと思いましたが、いざ、フランス語を学び始めると、ミスなしにフランス語を書くことが、どれだけ大変なことかがわかります。

 幼少期からの全ての教育をフランスで受けてきた娘は、「ちょっとやってみたいかも・・」などと言いつつ、「学生時代だったら、少しは自信があったけど、最近、あまりフランス語を書いていないから、今だったら、どうだろう?」と言っていました。

 学生時代、幼い頃は、学校でディクテの練習をさせられたこともあったけど、大きくなってからは、論文形式のテストなどの場合は、この綴りや記号、文法に誤りがあると、減点されるので、点取り虫だった彼女はとても気を使ったのだとか・・。それも、文章そのもののテストではなく、本題は、内容のある論文の方に気を取られがちなため、大変なのだとか・・。

 だいたい、フランスの学校のテストというものは、やたらと論文形式のものが多く、長々とした文章を書かされるテストが多いのです。

 そもそも論じることが好きなフランスの国民性は、こんな教育も関係しているのかもしれません。

 英語に比べると文法も記号なども格段に複雑なフランス語は、発音しない文字も多く、しかもアクサンテギューだのなんだの、記号も多く、どうしてもっと簡単に進化していかなかったのか?と恨めしいくらいですが、フランス人はその難しいフランス語に誇りを持っているようなところもあります。

 まあ、考えようによっては、基本的に使われているのは、アルファベットのみ、日本語はひらがな、カタカナ、漢字と文字の種類は格段に多いはず。

 外国人からしたら、それなりに日本語の読み書きは難しいとも思いますが、少し話すことさえできれば、平仮名だけでよければ、とりあえず、書くことはできることを考えれば、日本語って上手くできているなぁ・・などとも思うのです。

 最近は、日本語でさえ、パソコンやら携帯やらで、自分の手で文字を書くということをさっぱりしなくなっているので、実際に自分の手でペンを使って文字を書くということがとても億劫になっていますが、たまには、日本語の文章を紙に書くということも悪くないかな?とこんなイベントを目にして、感じないでもありません。

 なお、このシャンゼリゼのディクテ大会は世界で最も多くの人がディクテを行った(1400人(一部につき)ギネスブックの記録を樹立したそうです。


シャンゼリゼ ディクテ大会 ギネス記録


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2023年6月5日月曜日

イタリア・トロペアで見つけた漁師さんの家族が営む絶品レストラン


正面窓の向こうが魚屋さん


 旅先でレストランを選ぶ時、最近はGoogleの検索に頼ることが増えているのですが、それでも、お店の雰囲気、料理の写真、また、お客さんたちが残しているコメントなどを見ながら、あーでもない、こーでもないと言いながら、真剣に探します。

 それでも、写真に載っているメニューは実際には、今は、なくなっていたり、また、人の好みや印象は、それぞれなので、あくまでも他人のコメントは参考までで、同じレストランでも、ベタ褒めしている人もいれば、クソみそにけなしていたりもするので、必ずしも自分の好みに合うものとは限りません。

 今回のイタリア・トロペアの旅では、幸いなことに、滞在中、訪れたレストランにはハズレがなく、どのレストランもそれぞれの良いところがあり、甲乙つけがたい感じでもあったのですが、今回の旅で一番感動したのは、Googleの検索では、最初はあがってこなかったレストランで、(よくよく調べれば、出てくることは出てくるのですが・・)、たまたま私のパスポート紛失騒ぎで、滞在を1日延ばして、ホテルに忘れたパスポートを取りに戻った帰り(正確には、予定どおりに帰る予定で駅までの道を歩いていた途中にみつけて、「あ~!ここ行きたかったね~!」と目を付けていたレストラン)、滞在を1日延ばさざるを得なくなったおかげで、幸か不幸かその機会に恵まれたレストランでした。

 トロペアの近辺は、その周囲の住宅などの外観から見るに、あまり経済的に豊かな感じはしないため、街の中のレストランの多くは、いわゆる主に観光客が多いレストランが大半を占めていて、それとて、そんなにバカ高いレストランではありませんが(このレストランの価格の基準が私の場合はパリが基準となっているので、比較が相応なものかどうかもわかりません)、本来、私が旅先で探そうとしているのは、地元の民で賑わっているような温かみの感じられるレストランが私の理想で、今回、最後に辿り着いたレストランは、まさに地元の漁師さんの家族が魚屋さんとレストランを両方、家族でやっているアットホームな感じのレストランでした。

 お父さんが海で獲ってきた魚を(息子さんはその助手として修業中といった感じ)自分の家の魚屋さんで売っていて、お母さんとその仲間?親戚?(娘も修行中?)がその魚を使って、魚屋さんのとなりでレストランをやっている、まるで垢抜けない感じではあるものの、地元の人が多そうなレストランでした。

 メニューには、英語訳もついているので、観光客をまるで無視しているわけでもないとは思うのですが、お店の人は皆、イタリア語しか話さないので、意思の疎通が大変なことはあります。しかし、そこは、なんとかなるもので、私たちの場合は、最初にお店の様子をうかがった時にいた、その場にいた地元の民らしきお客さんが英語で通訳してくれました。



 ただ、そんな様相だったし、今どき、クレジットカードも受け付けないので、少し、他のレストランよりは、休めの価格設定なのかと思いきや、他の観光客大歓迎のお店と大して変わらない価格なのは、「ここのお母ちゃん、気取らない感じがするけど、けっこうガッチリしてるんだな・・などと思っていました。

 まずは、突き出し?代わりのオーダーはしていないけど出てくるのが、香りのよいオリーブオイルにトロペア玉ねぎ、トロペアトマト、アンチョビがのったブルスケッタで、その彩りの美しさとそれぞれの素材の良さが際立つ、何気ない一品なれど、ちょっと感動する逸品で驚かされました。



 そして、いざ、注文したお料理が出てきてみると、その分量たるや、思わず、これ何人前ですか?という大きなポーション(普通のレストランの余裕で2~3人前)。最初に出てきた魚介のフリットは、レモンが添えられたイワシ、イカ、エビだったのですが、何より、そのどれもが新鮮で一つ一つが素材そのものの味が濃く、フリットはすべてカリッと揚がっており、カリッとしつつもイワシはふっくら、エビ、イカともにプリプリで、噛みしめるとエビ、イカ、それぞれの味がじわ~っと口に広がります。

これが一人前!


 もう一つ、注文した魚介のリゾットは、お米が崩れない程度に上手く火が通っていて、かつ、しっかり魚介の味が沁み込んでいる、これまた感動的なお味。2種類のエビといか、シャコ、ムール貝、あさり、トマトが入っていて、圧倒的なシーフードの調和されたお味に、出てきた時は、「すっごい量!」と目が真ん丸になったのですが、あまりの美味しさに、ふたりで、ものすごい勢いで食べて、あっという間に完食!

これも一人前!


 食べきれなかった魚介のフリットは、お持ち帰りにしてくれました。

 とにかく、想像を遥かに超えた美味しさに感動した私たちは、これをなんとか、おばちゃんに伝えたいと、おばちゃんたちが通りかかるたびに、満面の笑みで「モルト・ブオーノ!」を大連発。

 感激して食べている私たちにおばちゃんたちも満足そうで、最後に手書きのレシートがやってきて、お支払いを済ませた後に、リモンチェッロをサービスしてくれました。




 ただ、後で、このお店に関するGoogleのコメントを見ていると、めちゃくちゃにけなしているコメントもあり、また、そのコメントに対して、猛然と言い返しているお店側の回答がのっており、娘などは、それを読みながら、「これ、書いたの、きっとフランス人だ・・」と笑い転げていましたが、アンチのコメントに猛然と反発するあたり、なんかあのおばちゃんなら、わかる気がして、どちらにしても、気が強そうだけど、気をよくしてくれたお客さんにはめっぽう優しく温かい感じのおばちゃんの一面が覗けた気がしたのでした。

 いわゆる、体裁のいい感じのこじゃれた感じは全くないレストランではありますが、個人的には、この旅で最高のレストランに出会えたと私は大満足しています。

 また、いつかトロペアに行くことがあったら、また、きっと行きます。


Ristopecheria AngeloDel Mare

Via Degli Orti 26, 89861 Tropea ITALIE


イタリア トロペア 漁師さんの家族がやっているレストラン


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2023年6月4日日曜日

イタリア・トロペアで食べた美味しいもの 魚介のパスタ フィレージャ 

  

魚介のフィレージャ


 旅先にイタリアを選んだ理由は、もちろん、南イタリアの美しい海ということもありましたが、もう一つの大きな理由は「美味しいものを食べること」でした。

 もうこの時ばかりは、ダイエットのことは忘れて(忘れてというほど、日頃から、そんなにダイエットしているわけでもないけど・・)、食べたいものを好きなだけ食べることにして、その代わりに思いきり動いて・・といっても、健康のためというよりも、次の食事をできるだけ美味しく食べられるようにお腹をすかせるために動くという感じです。

 それでも、食事の回数を重ねるごとに、蓄積されたものは、なかなか消化しきれなくなってくるので、それでも食べたい!という食い意地に胃袋が追い付いていかずに、もどかしい思いをするくらいです。

 まず、ホテルを選ぶ段階で、イタリアの場合は朝食がついていることが条件の一つで、イタリアのホテルの朝食はいつもとても楽しみにしています。

 初日の夜は、行きたいレストランを一応、3ヶ所、目ぼしをつけていたのですが、あいにく一番行きたかったレストランは、残念ながら閉店していて、2番目のレストランは、予約していなかったので、20分待ちと言われ、もうその時点で夜8時半くらいだったので、「え~~?」と思って、一旦は諦めようと思ったのですが、結局、同じ場所に戻って、予約しなおして、食事の席についたのが21時頃でした。

 どちらにしても、イタリアの夕食の時間は遅くて長いので、まあ、お店側としては特に遅い時間の予約というわけでもなく、別にふつうな感じだったのですが、こちらとしては、その時間には、もうお腹がペコペコで、一刻も早くという感じだったのです。

 今から思い返せば、すごく空腹だったこともあり、初日の夜が一番、すごい勢いで食べるということに気合が入っていて、怖いくらいだったかもしれませんが、娘と二人で、色々なものをシェアして食べるつもりでした。

 イタリア料理の謎は、アンティパスト(前菜)、プリモピアット(パスタやピザやリゾットなど)に加えてセコンドピアット(メインの肉・魚料理)と最後にデザート・・これを全部コースで食べるのは、ちょっと無理な話ですが、メニューの選択はやたらと悩ましくなるのです。

左からナスのクリーミーコロッケ、ブッラータのブルスケッタ、蛸とトロペア玉ねぎ、ルッコラのサラダ


 特にアンティパストは、あれも食べたい、これも食べてみたい!と思うものが多く、最初はアンティパストを二つ頼んで、あとは、パスタ一つを二人でシェアするくらいでいいんじゃない?という気でいたのですが、あまりに食事の時間が遅くなって、お腹がすきすぎて、もう気持ちが高まりすぎていて、娘などは、本気で、「ふつう、パスタは1人、一皿でしょう!」などと言いだし、「絶対、全部食べるから!」というので、結局二人でアンティパストを3皿とパスタを2皿頼んでしまいました。

 アンティパストには、ブッラータのブルスケッタと、蛸とトロペア玉ねぎ、ルッコラのサラダ、なすのクリーミーコロッケを注文しました。どれもこれも、美味しすぎて、とにかくガツガツと食べ始めましたが、結構な量で、本来の食事ならば、これにパンがついているのですから、もうこれだけで充分な量です。

 そういえば、トロペアは、なぜかレストランでスライスされたパンが紙袋入って出てくるのも面白い文化です。

 前菜といえども、なかなかのボリュームだったので(やっぱりパリとは違う・・)、前菜を食べ終わった頃には、さすがの娘もやっぱりパスタは一つでよかったかも・・などと言いだしたのですが、実際には魚介のフィレージャ(トロペア名産のパスタ)とあさりのボンゴレスパゲティを注文していて、出てくる前までは、ちょっと、もうかなりお腹いっぱいかも・・?とビビっていたのです。

 しかし、オーダーしたパスタが出てきて、ひとくち食べると、??これは・・美味!!もしかしたら、別腹かも・・(常識的には、パスタが別腹なんて考えられないけど・・)と、二人とも、それぞれのパスタを味見しながら、食べ進め、とにかくあさりのボンゴレは想像の範囲内(いや、想像よりもかなり美味しかった)だったのですが、魚介のソースのフィレージャは、あさり、ムール貝、海老、いか、蛸、しゃこなどの魚介がうっすらトマト風味になっていて、とにかく旨味がぎっしり詰まっていて、ちょっと衝撃の美味しさでした。

 


 パスタはトロペアの名産の珍しいパスタ(フィレージャ)で、もちもち、かつアルデンテ。その魚介の味がぎっしり詰まったソースを残すのが惜しくて、そのソースをパンにつけてまで食べたものだから、お腹がパンパン・・でも、あまりに美味しくて、お腹が苦しいながらも二人ともニコニコで、ホテルまでの道のりを苦しいお腹を抱えて歩きながら、「明日の朝食、楽しみだね・・」とまた、翌日、食べることを考えている母娘なのでした。

 2日目、3日目、まだまだ食べ続けます。


イタリア トロペアグルメ 


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2023年6月3日土曜日

最後の最後まで不安だったフライト トランサビア航空

  


 私のパスポート紛失騒動で、当初予定していたパリへのフライトを翌日の直行便に変更したために、当初の予定では、ローマ経由のパリ行きのITA(前アリタリア航空)のフライトでしたが、なにせ、バタバタと慌てて時間的にちょうどよい翌日のフライト、しかも直行便を見つけてラッキー!とばかりに時間と値段と直行便というだけで、ロクに航空会社はチェックもせず、また、CDG(シャルルドゴール空港)に着くかORY(オルリー空港)着くかも、よく見ておらず、当日の朝になって予約を確認したら、「あれ?オルリーだったんだ・・」と思ったくらいです。

 正直、私にとって、パリの空港はシャルルドゴールでもオルリーでもどちらでもよいのです。航空会社も直行便なら、グッと時間も短縮されるし、願ったりかなったりだったので、この際、航空会社にこだわることもありませんでした。

 航空会社は正直、いざ飛行機に乗る段になって、「なんか、この飛行機、初めて見るな・・どこの航空会社?」と思ったくらい・・妙なグリーンがシンボルカラーになっていて、そのグリーン地に白抜きの文字で「t」とあります。

 空港から直接、飛行機に乗れる通路が通っているでもなく、かといって、飛行機がとまっている場所までバス移動なわけでもなく、空港の建物から歩きで飛行機まで活き、飛行機にはタラップがついていて、大空のもと、トラップを上っていく、今どき、こんなのあるんだ・・という珍しいスタイルでした。

 CAさんのスカーフやネクタイなども、なかなかインパクトのあるグリーンで、特にネクタイは、こういう色のネクタイ、たま~にイギリス人ならしてるのを見かけたことあるけど・・という感じの強烈なインパクトがあります。




 どうやら、このトランサビア航空フランスという航空会社は、KLMとエアフランスの子会社の格安航空会社の飛行機であったらしく、フランスを中心に運行しているらしい航空会社で私はその存在を初めて知りました。

 たしかに今回、私がドタバタと前日(直前)に取ったラメッツィア→パリの航空券は200ユーロ(約3万円)くらいで、まさに格安・・なるほど、余計なもの飲み物やスナックなどのサービスはないわけではないものの、希望者には全て有料でサービスを受けることはできます。

 まあ、飛行時間は2時間程度なので、別に特にそのようなサービスも必要はなく、私としては航空運賃が安い方がありがたく、機内の座席については、特に他の航空会社の飛行機の座席に比べて狭いわけでもなく、今回、私が乗ったのは、Boaing 737-800という機種で普通のエコノミークラスと大して変わりません。

 しかし、最後の最後まで不安がつきまとったのは、チェックインの際に手荷物(機内持ち込みできるはずのキャリーバッグ)を預けてください!」と言われたことで、ただでさえ、イタリア離発着のフライトはかなりの割合でロストバゲージ、または、スーツケースを壊されるなどの何等かのトラブルにあってきた経験があることから、私の中ではイタリアに行く時には、荷物は絶対に預けず、すべて手荷物にするのが鉄則なのです。

 それを土壇場になって「今日はお客さんが多いから、キャビンに皆の荷物がおさまりきらない可能性が高いから、荷物は機内に持ち込まずに預けてほしい、無料にするし(荷物預かりに関して)、手荷物にすることにして、もしも最後の最後にやっぱり荷物が持ち込みできる場所がないとなった場合、荷物のタグをつけずに預けることになり、ロストバゲージになる可能性があるから、今のうちにさっさと預けた方がいいです」と、まるで脅される感じで、預けざるを得ない感じになりました。

 まさに「聞いてないよ~~」という感じで、もともと荷物は手荷物にするつもりでキャリーバッグには鍵もつけておらず、誰にでも開けることができるキャリーバッグを預けることには、大変、抵抗がありました。

 しかも、もともとイタリアが関わるフライトでは、イタリア人は荷物と人間は必ずしも同じ飛行機に載せなくてもいいと思っているとしか思えなかったケースなどもあり、ロストバゲージになって、到着後のバゲージクレームに行っても、「ちゃんと明日、ホテルに届けますから・・別にいいでしょ!ちゃんと届けるんだから・・」という印象が私にはあるのです。

 そんなことがあって以来、これまで絶対に荷物は預けずに全て機内持ち込みにしていたつもりが、ほぼ無理矢理、荷物を預けさせられるなど、初めてのことでした。

 結局、飛行機に乗ってみると、皆がそういわれて荷物を預けているために、機内の棚にはスペースがたくさんあったのですが、どういうことやら、全くわかりません。

 とにかく、オルリー空港について、無事に私の荷物が同じ飛行機に載せられていて、また、中の荷物が盗難にあっていないかどうか、ちゃんと荷物を受け取ることができるまでは、全然、安心できないのでした。

 果たして、オルリー空港に到着して、荷物を受け取りに行くと、結構、荷物が出てくるまで時間がかかって、気を揉まされることになりましたが、幸いにも荷物は無事でした。

 だからといって、毎回、問題ないとも思えないのですが、まあ、今回は非常手段での帰国であったこともあり、結果的には、上々で、フライトがあまり長距離ではないならば、これで全然OKなのかな?と思ったりもしました。




 イタリアからの飛行は、結構、空の上から見える景色が楽しく、途中、ここは、ナポリ、カプリ島・・などとアナウンスしてくれたり、は~たしかに、地図どおり・・と思うとちょっと、おもしろかったり、フランス上空に入ると、上から眺めるフランスはけっこうきれいに区画ができているんだな・・と思ったり、2時間ほどのフライトは退屈することはありませんでした。


 パリに帰ってくると、久しぶりのオルリー空港は、いつのまにか、かなり立派になっていてびっくりしたり、なんだかきれいなパリの街なみも、いつもなら、「あ~パリってやっぱり美しい」などと思ったりするのに、海や山のないところに帰ってきてしまった妙なもの寂しさを感じもしました。

 とにかく、トロペアでは、トラブルもけっこうあった(個人的な理由によるもの)ものの、お天気もよく、なにより美しすぎる海と何を食べても美味しいイタリアには、また、すぐ行きたい!と、今はホームシックならぬ、イタリアシックになっています。


トランサビア航空


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