2023年5月26日金曜日

娘の友人関係に見るフランスの社会構造

  


 現在、日本で就職した娘がフランスに一時帰国しており、彼女は久しぶりのフランスで日頃、会うことができていない友人に会ったり、買い物をしたり、私が日本に一時帰国した時と同じようなことをして楽しんでいます。

 まあ、違う点といえば、彼女はそもそもフランスで育ったというのに、フランス料理はあまり好きではなく、圧倒的に日本の食生活に満足しており、私が日本に行った時のように、ここぞとばかりに日本の食料を買い集めて持って帰ろうとするようにフランスの食べ物を買い集めたりすることはなく、日本では、探すのが難しい、彼女の体型に合った洋服などを悠々と探していることで、私が日本に帰った時のように食べ物に対してガツガツした姿勢がないことくらいです。

 日本で生活を始めて約1年半が経ち、日本でもそれなりに友人ができ始めたようで、当初は私が心配していた人間関係も概ね好調のようで、彼女にとっては、特に彼女とほぼ同じような境遇、フランス人と日本人のハーフでパリ育ちで現在、日本で就職して、日本で一人暮らしをし、親はフランスにいる・・という女の子と仲良くなったことは彼女にとっては大きなことだったようです。

 今後のことはわかりませんが、現段階では、フランスで育ってきた彼女にとってはフランスの方が長く知り合っている友人はフランスの方が多いわけで、そんな友人たちに会えることは、何より楽しいことのようです。

 彼女は小学校から高校までは、近所の私立の学校に通っていたので、その学校での友人との付き合いは長く、また、その後、プレパー、グランエゼコールと進む中でも、それなりに友人ができていったのですが、彼女の友人たちの近況を彼女から伝え聞くにつけ、世の中で騒いでいる生活が苦しい学生の話や貧しい若者たちの話などとは、まるで無縁の世界に突入していて、すべて、うまいように人生が転がって行っている感じで、人生は早い時点でその道筋がついてしまっているのかもしれない・・と思わずにはいられない感じがしています。

 とはいえ、皆、仕事を始めて、まだそんなに経っていないので、これからどんな落とし穴が待っているかはわかりませんが、彼女の友人たちは皆、よい就職先に就き、けっこうな高収入を得て、順調にキャリアを積んでいるようで、特にグランゼコールを卒業した子たちなどは、話には、聞いていましたが、普通の人たちが何年もかけて昇格していくところをいきなり管理職だったりするのには、唖然とさせられます。

 私自身は、フランスの学校のシステムをよく理解していたわけでもなく、特に唯一の頼みの綱だった夫が亡くなってからは、彼女にそれらしいアドバイスができていたわけでもなく、なので当然、それを目指して教育してきたわけではないのですが、結局、彼女を小学校から通わせていた私立の学校へ入学させたことが、今から思い返せば、大きな分かれ道だったような気がしています。

 彼女たちは、まだ、20代前半(中盤?)なので、これからも色々なことがあるでしょうが、教育というものは、大変なものだ・・良くも悪くも、人生を全く違うものにするものなんだな・・と実感しています。

 彼女が通っていた私立の学校は、とりあえず、家から近いということで選んだ学校だったのですが、これが、たまたま結構な受験校(フランスには実際に受験らしい受験はないので、受験校という言い方はふさわしくなく、教育熱心な学校という方がよいかもしれない・・)高校卒業時点でプレパー(グランゼコール準備学校)に進む人も少なくないような学校だったのです。

 ですから、そんな学校の中で育てば、負けず嫌いな娘は上を目指すようになったのですが、実際のところ、世間一般の社会の中では、フランス人でもグランゼコールというものを知らない人もいるのには、驚いたことがありました。

 むしろ、在仏日本人の方が、結構、子供がグランゼコールに行っていたとか、ポリテクニック( École polytechnique)に行っていたとか、シアンスポ(Sciences-po)に行っていたとかいう話は、そこここで、よく聞く話なので、そんな学校の存在をフランス人でさえ知らない人がいるということは、もっと知らないはずの日本人の私にとっては、びっくりだったのです。

 ということは、もうその親からして、まるでそういう学校とは無縁の人生を送ってきたということで、家族もろとも、別世界を生きているのだと思わざるを得ません。

 これまでのフランスでの生活で、私自身は、ロクにフランス語もできていないような状況なので、圏外みたいなものですが、話には聞いていた格差社会は根深いものだという裏付けが娘やその友人たちを通して見えるような気がしています。


フランスの社会構造 格差社会


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2023年5月25日木曜日

今度はパリ日本大使館近くで銃撃事件 31歳の男性死亡

  


 パリのど真ん中で銃撃事件が起こった・・事件現場はパリ8区のクールセル大通り、メトロ・クールセル駅の近く、クールセル駅とテルヌ駅の間・・と聞いて、えっ??聞き覚えのある駅だ・・と思いました。

 パリには、かなりの数のメトロの駅があって、もちろん、私の行動範囲は限られていて、自分の通勤圏内だったり、ごくごくよく利用する駅だったりする以外は、なんとなく見覚えがある気がしたりするものの、全部の駅を知っているわけではありません。

 しかし、この駅には、なんか聞き覚えがあったと思ったら、パリの日本大使館から遠くない駅なのでした。大使館といのは、そんなに頻繁に行く場所ではありませんが、パスポートの書き換えだったり、日本での公式な手続きに必要な在留証明書だったり、在外投票だったり、また、娘が義務教育の期間は、日本語の教科書をもらいに少なくとも年2回は、行っていました。なので、そこそこ記憶には、残っている場所です。

 パリの日本大使館は、シャンゼリゼからも近く、凱旋門からも歩いていけるような、とてもよい場所にあるのですが、今回の銃撃事件は、クールセル駅の近く・・というよりは、私にとっては、日本大使館の近く・・と連想する場所でした。

 あのあたりは、ゆったりした優雅な街並みで、とても銃撃事件が想像しがたい場所です。

 銃撃犯は、最初、クールセル大通りにある被害者の父親が経営する不動産屋さんに入っていき、その後、被害者が危険を感じて逃げようとしたところを路上で撃ったようです。目撃者の証言によると、少なくとも3発以上の銃声を聞いたと証言しており、数人の銃撃犯は、その後、青いヤマハのバイクで逃走したとのこと。

 被害者の31歳の男性は犯人が最初、入っていった不動産会社の経営者の息子で10年近く、その不動産屋で働いていたようです。被害者は即死ではなかったものの、かけつけた救急隊の処置も虚しく死亡しました。

 数名の銃撃犯が逃走に使用したバイクは、それからまもなく、シャトネー・マラブリー(オー・ド・セーヌ県)で発見されたものの、彼らはそこで待機していた別の車で逃走したと見られています。

 被害者の男性はパリ16区育ちの富裕層であったものの、子供の頃からのつきあいのあった友人たちの話では、彼は豪華な車を乗り回すわけでもなく、見栄を張るでもなく、歯に衣着せぬ物言いをするところはあったものの、基本的にはとても優しい人だったと話しています。

 しかし、犯行の状況から考えるとこの銃撃事件はなんらかの報復であると見られていますが、それにしても大通りの路上で銃撃とは・・全く無関係の第3者に被害が及ぶ可能性もあったわけで、本当に恐ろしい話です。

 シャンゼリゼのすぐ近くのジョルジュサンク付近で射殺事件がおこったのはついこの間のこと・・。今回の事件ともそんなに離れている場所でもなく、歩いて行ける範囲内の距離にあります。

 だからといって、前回の事件とは、無関係であるとは思われますが、いずれにしても、パリのど真ん中、しかも、かなり高級な住宅や店舗が並ぶような地域での銃撃事件には、ほんとうに閉口してしまいます。

 少なくとも、銃を持つ輩たちは、もはや、ここらあたりではやめておこう・・というような思いはなくなってきていて、所かまわず銃を向けるようになってしまっているということで、こうなってくると、もう危険な地域には近寄らないだけでは済まされないことになります。

 とりあえずは、テロのような無差別な攻撃ではないことだけが、幸いであったとでもいうしかない、本当にショッキングな事件がパリでは続いています。

 犯人は未だ逃走中とのことで、パリの日本大使館も銃撃事件についてのお知らせと注意喚起のメールが届いています。


パリ 日本大使館付近銃撃事件


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2023年5月24日水曜日

しばしの娘の帰省と早々の転職

 


 日本で就職した娘が半年ぶりぐらいにパリに来ています。

 娘が日本で就職して、1年とちょっとが経ちました。昨年の夏頃に一度、友人の結婚式があるとかでパリに来ていたのですが、その時は、「就職して、まだ半年くらいしか経っていないのに、そんなに長くお休みが取れるの?」とビックリしたのですが、娘の仕事は、ほぼリモートで、実際に出勤することはほとんどないので、移動中の日程だけの分のお休みをとれば、あとは、パリに来ても、日本時間に合わせて起きて仕事をすればいいのだとかで、仕事柄ということもあるのでしょうが、まぁ時代も環境も変わったものだと感心していました。

 しかし、日本のリモートでの会議に合わせて夜中に起きたりしていたので、ほぼ、私まで時差ボケ状態で、その合間を縫って、彼女は友人の結婚式に出席したり、友人に会いに行ったり、いくらリモートワークができるとはいえ、若いからこそなせる業だと、その体力とバイタリティが羨ましい気がしていました。

 あれから、さらに半年と少しが経ったころ、日本にいる彼女から電話があって、「ちょっと報告することがある・・」と。ちょっと私はドッキリしたのですが、現在の会社に就職して1年数ヶ月経ったところで、もう次の転職先を見つけたとかで、転職することにしたとか・・。

 理系の彼女の仕事に関しては、私はよくわからないので、何も口を出す気もないのですが、まあ、彼女が就いた仕事を一生続けるともハナから思っていなかったし、今の時代、転職をしてキャリアアップしていくのは、珍しくない話だし、転職先がフランスなら誰でも知っているようなフランスの大手の製薬会社ということもあり、転職先としては文句なしで、しかも、その会社の日本支社ということで、日本に居続けることもできて、まことによいお話で「よかった!よかった!おめでとう!」ということになったのです。

 そんなわけで、最初の就職先を退社して、次の会社との契約が始まるまでのひと月ほどの間が空くので、その間にパリにも行くから・・と。

 だいたい、これまでも、ある程度、時間の自由が利く仕事で、ここぞとばかりに日本に行って以来、なんだかあちこち旅行して歩いて、大いに人生を楽しんでいる様子の娘。

 小さい時から、とにかく日本語をしっかり教えることにこだわってきた私にとっては、娘が日本で仕事ができていることは嬉しい限りですが、これまでの会社は英語圏の会社で、仕事は日本語と英語の職場で、彼女にとって母国語であるフランス語を仕事を使えないのは、なんとも残念なことだと思っていたのです。

 しかし、今度の仕事は日本語、英語に加えて、フランス語も使う機会がありそうなので、ヤレヤレよかったよかった・・と思っています。

 とにかく、今回は、転職する間の本当のお休みで来ているため、前回のような、日本時間での生活をする必要はないわけで、それはちょっとホッとしています。

 日本の便利な生活にすっかり慣れた娘は、パリのCDG(シャルルドゴール)空港について、いきなりエスカレーターが壊れているのに遭遇して、「あ~~フランスに帰ってきたな・・」と実感したとか・・。

 そのうえ、電車に乗ったら、途中で何度も電車が止まって、さらにその実感が増したとか・・。

 私はと言えば、とりあえず、さらにたくましく成長している彼女の顔を久しぶりに見れて、とても嬉しいのですが、それに加えて、自分が長距離フライトに苦しむこともなく、山のような日本の食料が手に入って、とってもごきげんなのでありました。


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2023年5月23日火曜日

もしも彼らが生きていたら・・移り変わる家族環境

   


 今、私の友人の多くは介護とまでは言わなくとも、高齢の親を抱えていて、なかなか自由に旅行したりすることができないという人が多いのです。私の友人には、なぜか独身か、結婚していても子供がいないという人が多く、日本の少子化を現状を物語っているような感じがしますが、それでも、彼女たちにはなかなか自由は訪れないようです。

 私の世代では、20代後半から30代にかけて、親からの「早く嫁に行け!結婚しろ!」プレッシャーはなかなかなものでしたが、もう親も歳をとるにつれ、それがぴったりと止むどころか、逆にいつのまにか「行ってほしくない」に変わっていたのです。

 なので、親子(母娘)二人暮らしという人も結構、いて、親子関係にもよるでしょうが、母親にとったら、高齢になって、娘と二人暮らしというのは一番心強いのだとも思いますが、さすがにその娘の方もかなり年齢を重ねていくと、体力的にも精神的にもきつくなることがあるようです。

 私の母が亡くなったのはもう17年前のことで、そんな友人のぼやきを聞いても、今でも親が生きていてくれるなんて羨ましいと思ってしまうのですが、今後、必ずやってくる親を見送る時が実際に自分が体力的、精神的に衰えた時にやってくるのも、それはそれで、さぞかし辛いことではないか?と思ったりもします。

 それと一緒で、結婚している友人は、相変わらず夫の生活にびっちりと合わせて生活している様子が垣間見れて、こっちの方は、夫を失って、シングルの生活に慣れきってしまっている私には、夫の死後、否応なしに仕事と娘の生活には合わせてきたものの、娘も独立した今、人に合わせて生活するということが、窮屈そうに見えてしまうこともあります。

 しかし、天気の良い日に公園などを老夫婦が仲良く手を繋いで散歩していたりする様子をみるにつけ、羨ましいな・・今も夫が生きていてくれたら私も夫と仲良く手を繋いで散歩でもしてみたかったな・・と思ったりもするのですが、日々の生活の毎日には、仲良く手を繋いで散歩するだけではないだろうと、ちょっと捻たことを考えたりもします。

 これまでに、夫が生きていてくれたら・・とどれだけ思ったことかわかりませんが、そんなことは言っても仕方のないことでもあるし、生きていたら生きていたで猛烈にケンカしていたかもしれません。

 特に夫は比較的、年齢も若く、現役中に亡くなってしまったので、夫の退職後の生活というものを私は体験しておらず、今、もしも生きていたら、そろそろ定年退職を迎えていたであろう生活はまるで想像がつきません。

 フランス人だけあって、初めて定年退職のポイントの通知(現在、何ポイントで満期になるまであと何ポイントとかいう予定表のようなもの)が届いた時には、大喜びで、「やっぱりこの人、フランス人だわ・・」と呆れたのを覚えていますが、結局、彼は定年を迎える前に亡くなってしまったので、亡くなってしまった時には、あんなに定年を楽しみにしていたのに・・と思ったくらいです。

 夫は定年退職後のことをよく語っていて、定年になっても、まだしばらく働くつもりだとか、日本に住みたいとか、ジンバブエに住みたいとか、わけのわからないことを言っていましたが、結局はどれも実現はしませんでした。

 最近はよく、同年代の日本人の女性がつぶやいている、子供が独立して、夫が定年になる生活が苦痛・・というのも、それまでの生活の仕方や夫婦関係にもよるだろうし、それこそ、人それぞれだとは思いますが、一般的には概して日本人男性の方が大変そうだな・・と勝手なことを思ったりもしますが、いずれにしても、私としては、自分が体験できなかったことでもあり、そんなボヤキも含めて羨ましいと思ってしまうのです。

 両親にしても、夫にしても、もしも、彼らのうち誰かひとりでも生きていたら、私の生活は全然、違うものになっていたと思うと、自分が選べることではありませんが、周囲の家族の状態というのも大きく人生を左右するものには違いなく、今は自分は自分に与えられた状況をできるだけ楽しく快適に過ごせるように心がけるのみと思っています。


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2023年5月22日月曜日

8度目の強盗に遭って殺されそうになったパン屋さんの話

  


 毎日のように、どうにも物騒な話ばかりがニュースにあがってくるので、そのたびにウンザリとさせられます。もっとも、物騒な事件だからニュースにあがるのですが、それにしても、その頻繁さに慣れそうになっているのが怖いくらいです。

 フランスはヨーロッパの中で最も殺人事件が多い国なのだそうで、最近はそんなデータにも頷けてしまう感じがしています。

 昨日もマルセイユで若者3人が殺された話題があがってきています。

 もっとも、殺人事件にまでは至らないとはいえ、それに近い事件はもっと頻繁に起こっているのにも閉口してしまいますが、、今回はクレイユ(オー・ド・フランス地域圏・オワーズ県)でパン屋さんが強盗に襲われ殺されそうになったという話に驚いています。

 強盗といえば、宝飾店とか、高級ブティックとかを思い浮かべがちなのですが、なんとパン屋さんまで襲われるとは(決してバカにしているわけではない・・)。

 本人は「本当に殺されるかと思った・・」と言っているそうですが、彼は事件当日の午前3時頃に出勤(パン屋さんの朝は早い・・)しようと自宅を出て、車でパン屋に向かう途中でした。待ち構えていた4人組が車の窓を割って、彼を車から引きずりおろすと別の車に乗せて拉致し、森へ向かいました。

 森の中で、彼らはハンマーで身体中に暴行を加え、ナイフを突きつけて喉を掻き切ると脅し、お金を要求。さらに、お金がどこにあるのかを言わなければ、家に戻って、妻と子供を殺すと脅しました。ナイフを突きつけて脅すだけでもよさそうなものに、この必要以上に殴りつけ、暴力的なところがさらに恐怖です。

 彼らは、彼のキャッシュカードを奪い、暗証番号を聞き出し、パン屋で3,000ユーロを奪って、暴行を加えて、半裸状態にした彼を森の中に置き去りにして逃走しました。

 そして、さらに驚くことには、彼が強盗に遭ったのはこれが8度目だということです。過去の強盗事件がこれほどの狂暴性を持っていたかどうかはわかりませんが、それにしても、彼がこのパン屋で働いて、16年というのですから、8度目だとすれば、2年に一度の割合で強盗に遭っているということになります。いくらなんでも多すぎませんか?

 しかし、なぜ、パン屋が狙われるのかといえば、これだけの成功体験?があるからなのか?とも思いますが、この午前3時という出勤時間が待ち構えて襲撃しやすいということにあるのかもしれないし、また、宝石商などならば、それなりのセキュリティがかかっていて、事件が発覚しやすいのでパン屋さんならば比較的ハードルが低いのかもしれません。

 事件後、このパン屋さんは、現在、「無期限閉鎖」になっており、フランチャイズ側からも、この店舗を永久閉鎖するという話も持ち上がっているそうで、彼自身もいよいよ大きなトラウマを負い、引っ越しを考えていると言います。

 この事件が起こったクレイユは、パリ北部に位置しており、パリから45キロほどの人口、約3万5千人の街で、そんなに田舎町というわけでもありません。

 しかも襲われたのがパン屋さんというのも、しかも8度目だということにも驚きです。

 近隣の店舗のオーナーたちは、この地区の治安レベルの低下に言及し、「20年前にクレイユで商売を始めたが、今日では大きな違いがある。駅の警備をもっと強化すべきだ」と警戒感を強めているようです。

 いつ、わが身にも降りかかるかわからない惨事に街の人々は震撼としているようです。

 このような手口が通用するようならば、本当に商店だけでなく、個人を攻撃しても成り立ってしまう犯罪です。

 警察は、誘拐、拷問および野蛮行為による強制監禁、および武器による恐喝の疑いで捜査を開始していますが、これまでのところ犯人は逮捕されていないようです。


8度目の強盗事件


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2023年5月21日日曜日

G7開催の広島へ来たゼレンスキー大統領 彼はなぜフランス政府の航空機で来たのか?

  


 G7(先進国首脳会議)が広島で開催され、当然、マクロン大統領もこれに参加するために訪日しています。

 現在の世界情勢の中でのG7の開催地が広島であることは非常に意味深く、世界への平和を議論する場としては、ベストチョイスであったような気がしています。

 フランスでもこの広島という地を1945年8月6日にアメリカの原爆が投下された過去を持つ、現在では平和の象徴となっている場所として紹介しています。

 マクロン大統領は、すでに前日に到着していたアメリカ、イギリス、ドイツ、カナダ、イタリアの首脳たちに合流するカタチで当日早朝に訪日しました。

 その時点では、フランスでは、特にはこのG7において、マクロン大統領(フランス)が主張したい内容について、報じていました。

 今回のG7においては、ウクライナについての問題だけではなく、アメリカと中国の緊張の高まりについて、また、気候変動問題についてなどの危機が重なりあう状況で開催される非常に重要な場であるとし、フランスは「アメリカの中国への対立的なアプローチに同調しないように他の欧州諸国に積極的に呼びかける」と発表したマクロン大統領の談話などを紹介していました。

 マクロン大統領はこの中国の立ち位置、中国への対応について、多くの面において、単に対立するのではなく、協調と要求を同時に行っていくことをG7で提案していくと語っています。

 しかし、翌日になって、騒ぎになったのは、当初はリモートでG7に参加すると発表されていたゼレンスキー大統領がフランス政府の航空機で日本に到着したことが話題の中心にのぼりました。

 エリゼ宮は、このゼレンスキー大統領の来日のための航空機要請は、ウクライナ側からの要請によるものであり、アメリカも彼の移動手段については、準備があったにもかかわらず、彼はフランスに要請した・・というようなことを言っています。


 絵的にも、リパブリック フランセーズという大きな文字が刻まれた航空機が日本に到着して、ゼレンスキー大統領が飛行機から降りてくる様子はフランスのウクライナへの連帯を全世界に知らしめた大きなアピールであったと好意的に評価されています。

 先週から勢力的にヨーロッパを訪問していたゼレンスキー大統領は、数日前にパリにも来ていたばかり、その時点で、すでにG7への参加について、航空機の提供については、織り込み済みであったようです。

 ゼレンスキー大統領の移動に使われたのは単なる政府の航空機ではなく、フランス空軍所属の航空機であり、ヨーロッパ間の移動と異なり、長時間フライトで危険度も増すことから、核所有国であるフランス空軍の航空機であることは安全確保のために必要であったとともに、ゼレンスキー大統領とマクロン大統領の緊密な信頼関係のうえに成り立っていたと言われています。

 この航空機は、フランス空軍機であるとはいえ、マクロン大統領の渡航に使われる大統領専用機とほぼ同じ仕様のものであるそうです。


 今回の航空機は、フランスを出発し、ポーランドへ向かい、ゼレンスキー大統領を乗せて、サウジアラビアへ送り、彼はアラブ連盟首脳会談に参加し、その後、日本へというルートをとった模様です。

 しかし、今回はG7ということで、やたらと注目されていますが、ゼレンスキー大統領の移動にフランスの航空機が使われているのは初めてのことではなく、先週の訪仏に際してもドイツからの移動にフランスの航空機が提供されているようです。

 ともかくも、今回の広島訪問は、G7加盟国だけでなく、ブラジルやインドなどの首脳などとも一度に対面で会談できる機会でもあり、これを最大限に利用できる場であると言われています。

 最近は、たいていのことは、リモートで済んでしまうような気になっていますが、やはり実際に対面するかどうかは、人と人との繋がりにおいて、説得力は各段に違い、とても大切なことなんだと思わせられています。


G7 フランス政府専用機


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2023年5月20日土曜日

フランス最大の移動遊園地 フォア・デュ・トローヌ・パリ(Foire du Trône)

  


 フォア・デュ・トローヌ(Foire du Trône)は、春になるとパリにやってくるフランス最大の移動遊園地で、フォア・デュ・トローヌの看板を見かけたりすると、「もうそんな季節か・・」と思わせられる季節限定・期間限定(4月・5月のみ)のお祭り的存在でもあります。

 今年は、350のアトラクションと80の乗り物が出ています。

 娘が小さかった頃は、何回か連れて行ったことがありましたが、勇ましいくせに、遊園地の乗り物があまり好きではなかった娘は、ハッキリ言って、それほど喜んでくれるわけでもなく、そんなに頻繁に行くわけではありませんでした。

 考えてみれば、狭いパリの中で、常設の遊園地というものは思い当たらず、たいていは、季節限定の移動遊園地で、ノエルの前くらいになると、チュイルリー公園の一部などにも遊園地がやってきますが、それ以外の常設の遊園地となると、ディズニーランド・パリをはじめとして、だいたいパリ郊外になります。

 このフォア・デュ・トローヌもパンデミックのために2年間は開催されなかったようで、なんとなく存在自体も忘れていたのですが(昨年はやっていたようです)、今年は、「フォア・デュ・トローヌのアトラクションで子供が落下事故!」というニュースを見て、「ああ、そういえば、今やっているんだ・・」と思い出しました。

 このフォア・デュ・トローヌは、パリ12区のヴァンセンヌの森の一画にあり、天気のよい休日の日は、これが森の人出かと思うほどの人出で、もう近づいていくだけで、それぞれのアトラクションなどが流している音楽や効果音などの爆音が遠くからも聞こえてきて、バーバパパ(綿菓子)や賞品でゲットした大きなぬいぐるみを抱えて歩いている子供などもいたりして、皆が少し、ウキウキしている感じが伝わってきます。

 入場料は無料ですが、入場するには、以前はなかった荷物検査、ボディチェックをされるようになっていて、時代の移り変わりを感じます。


入場にはけっこう厳重なボディチェック


 乗り物なども、以前よりは、規模が大きくなっていて、これを移動してくるの大変だろうな・・と思うような大掛かりなジェットコースターや観覧車がいくつもあり、かと思うと、サッカーボールを蹴って、積み重ねてあるドラム缶を倒すようなシンプルなゲームにさすが、サッカー大好き国民だ・・と思ったり、金魚すくいならぬ、お風呂に浮かべるようなアヒルちゃん釣りだったり、クレーンゲームなどのマシーンもけっこうあり、ポケモンなどが入っていました。



 このような催し物にはつきものの、食べ物屋さんもたくさん出ていて、チュロスや綿菓子、アイスクリーム、ゴーフル、ベニエなどの甘いものから、フライドポテト、チキン、ソーセージ、ケバブなどなど、食事ができるスペースもあります。


ハズレなしのぬいぐるみ釣り


ボールに入って水の上を歩く



アーチェリー


サッカーボールでドラム缶を倒すという・・


クレーンゲームではピカチューが人気


 何よりも、ひとつひとつのアトラクションの色合いが、なかなかケバケバしくて、およそパリらしくないところも珍しいといえば、珍しい空間ですが、これだけの人が集まって、楽しんでいるのを見ると、インフレだの、食事の回数を減らすほどお金がない・・とか言っているのがうそのようで、こういう遊興費を含めてお金が足りないということなのか?などと、ちょっと皮肉なことを感じたりもしました。

 ヴァンセンヌの森という広大な敷地には、場所もあり、これだけ人気ならば、期間限定でなくてもいいかもしれないと思いつつ、期間限定だからこそ価値があって、この期間だけだから、行こうと思うのかもしれません。

 このフォア・デュ・トローヌはパリ市が主催しており、今年は5月29日まで開催されています。この時期にパリを訪れる方は、パリのちょっと違った風景を楽しめるかもしれません。


フォア・デュ・トローヌ・パリ(Foire du Trône)

Pelousse de Reuilly 75012 Paris


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