2022年9月14日水曜日

映画界の巨匠 ジャン・リュック・ゴダールの死と安楽死問題

   


 現代映画の礎を築いた最後の巨匠といわれ、世界三大映画祭の全ての最高賞を受賞しているフランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダールが91歳で亡くなりました。

 このニュースは、単に彼の死が悼まれるだけではなく、彼の死が自らスイスで安楽死の道を選んだものであったことが家族から発表されたことから、また別の意味でも注目されています。

 2014年のインタビューにおいて、すでに彼は、自身が死について、安楽死(自殺幇助)に頼る可能性があることを「私は何が何でも生き続けたいという気持ちはない。あまりに具合が悪いと、一輪車で引っ張られ続けてまで生きるつもりは全くない」ときっちりと語っています。

 これは彼の確固とした死生観は、彼の作品にも度々、表現されてきており、「物事が終わるときにこそ、意味がある」というセリフなどにも象徴されています。

 現在のフランスでは、安楽死は認められていないため、彼(フランスとスイスの二重国籍保持者)はスイスの自宅で死を迎えるために出国していました。

 スイスとて、無条件に安楽死が認められているわけではなく、医学的倫理規範によって規定された一定の条件の下で受動的安楽死や自殺幇助などが認められていますが、一方では、利己的な動機により、致死物質を提供するなど誰かの自殺を幇助した者は、5年以下の拘留または金銭罰に処されます。

 今回の彼の医療報告書の条件によれば、「複数の身体障害のため」とされています。

 スイスでは近年、安楽死(自殺幇助)は年々増加しており、2003年には年間187件だったものが、2015年には965件、2021年には約1,400人がスイスで安楽死を迎えています。

 フランスでは、マクロン大統領が、彼の死の情報に照らして、6ヶ月間にわたる「終末期に関する市民会議の立ち上げ」を発表し、あらたな意味をもたらすことになりました。この会議の立ち上げは、2023年末までの新しい「法的枠組み成立」の可能性を視野に入れています。

 倫理委員会としては、厳格な規制のもとであれば、積極的な臨終の支援も考えられるとしています。

 2021年6月の段階で、国家諮問倫理委員会(CCNE)はすでに、「倫理的に、ある厳しい条件のもとで、積極的な死の援助を適用する方法がある。近年、いくつかの国がそれぞれの法律を改正していますが、フランスは何の対策もとっていない」と問題提起していました。

 国家諮問倫理委員会は、「死の象徴的・精神的表象、恐怖、不安が一体となった終末期問題が極めて複雑であること」を強調しており、緩和ケアにおける公衆衛生対策を強化し、各人の「早期の意思表示」をより促すとともに、深部継続鎮静を専門病棟以外にも拡大することを求めています。

 委員会は、新法は安楽死や積極的臨終支援というテーマだけに焦点を当てるべきでないと考えており、緩和ケアへの取り組みを加速させることを提唱しています。

 フランスの終末期医療を見るに、どこまでも生に固執する感じは日本に比べると薄いような気もするのですが、どのように自分の死を迎えたいのかは、病気に罹患した場合にどこまでの、どのような治療を受けるかにも関わっていることであり、常日頃から、自分がどのように死にたいか、どのように生きていたいかについて、常に考え続け、ある程度、意志は固めて、見極めていることが必要なのだと思わせられます。

 いずれにしても、彼は、映画だけではなく、自分の死をもってして、世界にメッセージを残してくれたさすが、世界最高峰の巨匠でした。

 フランスは、今後、スイスやベルギー、最近ではスペインなど、非常に厳格な枠組みの中で安楽死(自殺幇助)を認めている国々と肩を並べることになると宣言しています。


ジャンリュック・ゴダール 安楽死


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2022年9月13日火曜日

遺体を家に連れ帰る日本と家には連れ帰らないフランス

  


 日本では、一般的に、家族の誰かが亡くなった場合に、無言の帰宅などという言い方もするし、家に連れて帰ってあげたい・・というふうに思われる方もいて、自宅でお通夜をしたりするケースも多い気がしていましたが、フランスの場合は、家に遺体を戻すということは、あまり一般的ではありません。

 現在では、一定の手続きをすれば、埋葬、あるいは火葬までの間、家で遺体を保管することは、可能ということにはなっているようですが、以前はこれは禁止されていたことで、家に遺体を連れて帰るということはあまり一般的ではありません。

 日本で、母が亡くなった時、病院では、「解剖させていただけるのでしたら、葬儀までの間、遺体は預からせていただきますが、もし、そうでなければ、その日のうちにお連れ帰りください」と言われました。

 母の葬儀は、母の通っていた母の大学の先生が牧師を務める近所のキリスト教の教会にお願いしていたので、病院がダメでも、教会の方で安置して頂けるということだったので、家に連れ帰らなくても教会に預かっていただくこともできたのです。

 私は、最期は苦しかったであろう母にさらに解剖などという目に遭わせるのに忍びなくて、最初は解剖することには、反対だったのですが、母の病気が心臓病だったことから、心臓病の多くが遺伝という要因もあることから、その病態の解明は母の遺伝子を引き継いでいるであろう私たちのためにも解剖はお願いした方がよいという意見が親戚の意見としてまとまり、結局、母の遺体は解剖していただくことになり、その後に教会に搬送することになりました。

 私は、母の死後に家に戻してあげたいという気持ちはあまりなく、母が家に帰りたがっているともあまり感じなかっただけでなく、それよりも残された父が、その後にその家で一人で生活(私も弟も海外暮らしのため・・)していかなければならない場所に、亡くなった母が寝かされていたイメージが残像のように父に残されてしまうのはどんなにか辛いだろうか?と思ったのが、母を家に戻さなかった大きな理由でもありました。

 フランスでは、夫が亡くなった時には、それがあまりに若く、急なことであったため、私は、ほぼ放心状態ではありましたが、亡くなった直後に病院で「解剖をさせていただきたいのですが、これは強制ではありません。どうしますか?」と言われて、その時は、あまりに急に亡くなってしまったので、どうしてもはっきり理由が知りたくて、「是非、お願いします!絶対、やってください!」とお願いし、実際に、「できることなら、自分でやりたいくらいだ・・」と思いました。

 夫の遺体は解剖のために病院を移され、解剖の順番待ちのために、数日、病院に安置され、その間、2度、遺体と面会(対面?)に行きました。パリの大きな病院のため、遺体の安置所も大きくて、大きな冷蔵庫の引き出しがたくさんあるところで、遺体との面会をあらかじめ予約しておくと、時間には、冷蔵庫から出してきてくれるのです。

 家の夫のパソコンの裏に、どういうわけか、自分が死んだ場合は家から一番近い墓地に埋葬してほしいという書き置きがみつかったために、家の近所の市営墓地に予約をして、場所を確保し用意してもらいました。

 最近、フランスでも火葬を希望する人が増えたとはいえ、やはり、フランスでは、まだまだ普通の埋葬が多く、私にとっては、火葬以外の埋葬に立ち会うのは、初めてのことで、今から考えれば当然のことなのですが、想像以上に深く土が掘ってあるのが、とても衝撃的でした。

 エリザベス女王の遺体が数カ所を経由しながら、ロンドンに戻られていく様子を見ながら、あまりに次元が違う話ではありますが、自分の家族が亡くなった後のことを思い出しました。


遺体安置 遺体搬送 火葬 埋葬 通夜


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2022年9月12日月曜日

省エネ対策のため、エッフェル塔のライトアップ時間短縮

  


 パリでは、省エネ対策のために、すでに、午前1時から午前6時までの間、電飾広告(広告看板の夜間照明)を禁止していますが、ついに、エッフェル塔のライトアップに関しても時間が短縮されることになりました。

 エッフェル塔はフランスのシンボル的存在であり、また、そのライトアップは、最近では、国全体のメッセージを表現するツールとしての役割も果たしており、つい最近では、ウクライナでの戦争が始まった時には、ウクライナカラーに輝いていたり、つい先日、エリザベス女王がご逝去された日は、弔意を示すためにエッフェル塔は消灯されたりしました。

 しかし、どんな時でも夜のパリには、エッフェル塔が燦然と輝いており、逆に2年半前の完全ロックダウンで、パリの街中から車も人も消え去り、街全体が死に絶えたような時でもエッフェル塔は変わらず、輝き続けていました。

 ロシアからのエネルギー供給が遮断され、エネルギー危機が危ぶまれる中、冬期には、特にエネルギー消費率の高いガラスや金属工場が時短操業に切り替えられることになったりしていると思ったら、今度はエッフェル塔のライトアップの時間も短縮されることになりました。

 エッフェル塔の夜間照明は、エッフェル塔全体の年間エネルギー消費量の4%を占めているということで、パリ市は、省エネ計画の一環として、エッフェル塔の夜間照明を1時間強削減することを発表しました。

 現在、エッフェル塔は、午前1時までライトアップされていますが、今後は最後の訪問者が帰る時間である午後11時45分に消灯されます。

 また、エッフェル塔の外から光を送る336個のスポットライトは、毎日1時間15分早く消すことで、年間約92,000kwを節約することができ、これは40人分の年間平均電力消費量に匹敵する量とされており、また、1時間おきにキラキラとフラッシュされる光が放たれるいわゆるシャンパンフラッシュも午後11時45分でエッフェル塔が消灯されることになると、最終のシャンパンフラッシュは午後11時ということになります。

 このシャンパンフラッシュも、30㎡のワンルームマンションに2人で住む場合の年間消費電力量に相当します。

 このエッフェル塔のライトアップ時間短縮は、大した量ではないという見方もありますが、これは、ある意味、エネルギー節減の意義を呼びかける極めて象徴的なジェスチャーであり、「これが世界的に有名なモニュメントの役割の一部である」としています。

 国民のみならず、エッフェル塔が世界へのメッセージの役割を担っているという言い方も、「これまた、大きく出ましたね・・」と思ってしまうフランスらしいところです。

 しかし、この電力問題は、かなり深刻だと受け止めておく方が良さそうで、もともと、電力発電のほとんどは原子力発電で賄っていたと思っていたフランスの原子炉が、実際には、満足に稼働していなかったことが、このエネルギー危機で明らかになっていて、現在、フランスにある56基の原子炉のうち、32基がメンテナンスのための整備中だそうで、半分以上が稼働していない状態です。

 本来ならば、フランスは電気をかなり輸出していたはずなのに、昨今、エネルギーに関する協約で、フランスで電力供給が逼迫した時にはドイツが、ドイツでガス供給が逼迫した時にはフランスが援助するという取り決めが行われたと聞いて、おかしいと思っていたのですが、フランス側の原因は、この原子炉のメンテナンスが日頃からできていなかったことにあったのです。

 同時にフランスはこの32基の原子炉の復旧作業を急ぐとしていますが、この冬に間に合う感じではありません。

 これは、パンデミックが発生した時に、緊急時のために国が備蓄しているはずのマスクの大部分が廃棄処分にされたままになっていた状態と似ています。

 緊急事態に備えて、備蓄を整えたり、日頃からあらゆる整備を滞りなく行なっていることについては、フランス人はあまり得意そうではありません。

 しかし、最近、夜のエッフェル塔付近の治安悪化が問題になっている今、ライトアップの時間が短縮されることで、夜間にエッフェル塔近辺の人出も減り、犯罪が少しは減少するのではないか?とも考えられ、このエッフェル塔のライトアップ時間短縮がプラスになる面もあるかもしれません。


エッフェル塔ライトアップ時間短縮 省エネ


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2022年9月11日日曜日

エアフランス パリー羽田便運行再開と燃油サーチャージさらに値上げ

  


 しばらく運行停止になっていたエアフランスのパリ⇄羽田便が9月8日から運行再開になりました。これは、おそらく日本側が9月7日から日本への入国制限を1日2万人から5万人に拡大したことによるものだと思われます。

 パンデミック前までは、1日2便はあったはずのエアフランスのパリ⇄羽田便がなくなり、パリ⇄成田便だけになっていました。そもそもどちらにしてもパンデミックから2年以上は、フライト以前に入国制限が厳しすぎて(入国前の検査提示、入国後の検査、入国後の隔離施設での隔離、公共交通機関の使用禁止など)、とても日本に行く気にはなりませんでした。

 それでも、入国後の強制隔離施設での隔離が撤廃された時点で、日本へ行く気にもなったのですが、今度は戦争でパリ⇄羽田便を運行していたJALでさえも、今度は戦争のために、一時、直行便が飛ばなくなった上にロシア上空を飛べないために経由便のうえに迂回フライトになり、再び、日本行きの腰は重くなりました。

 エアフランスのパリ⇄羽田便が再開になったと聞いて、エアフランスのサイトを見てみると、AF272便(パリ13:45発 羽田10:00着)週3便(水、金、日)、AF279便(羽田12:15 発 パリ19:45着)が週3便(月、木、土)が運行されるようです。

 以前は、1日2便運行されていたエアフランスのパリ⇄羽田便ですが、日本への入国制限が2万人から5万人に拡大したとはいえ、外国人にとっては、まだ自由に日本に入国できる状態にはなっていない以上、この程度にしか戻らないのは仕方ありません。

 パリにはすっかり観光客が戻り、エッフェル塔の来場者はパンデミック前の1日2万人までに復活しているそうです。

 それにひきかえ、日本はまだまだ入国には厳しくて、未だパリの日本大使館には、日本入国のためのビザの申請に訪れる人で毎日、行列ができています。1日の入国を2万人から5万人に増やすといっても、基本的に日本人が海外旅行に行って、再入国する場合の入国を見積もっている数字なのかな?と思ってしまいます。

 しかし、エアフランスのパリ⇄羽田便の再開とともに驚いたのは、燃油サーチャージが10月発券分から、再び値上げされるということで、10月以降の発券分はヨーロッパ線は、現行の46,900円から57,100円に値上げされるということで、燃油サーチャージ分だけで114,200円もかかります。

 エアフランスが値上げしたということは、JALやANAもだろうな・・と思いながら、一応、確認してみると、両社ともに10月から値上げ。しかも、エアフランスよりも高く、JALは、47,000円から57,200円へ、ANAは49,000円から58,000円へと値上がりしており、多少ではありますが、燃油サーチャージも航空会社によって違うことにビックリしました。

 現在、日本に行くつもりはないものの、ちょっとチケットを同日の出発、帰国便で比較してみると、かなりの違いがあるようで、またさらにビックリしました。

 燃油サーチャージが最も安いエアフランスでさえも燃油サーチャージだけで114,200円ということは、以前であったならば、季節にもよりますが、これで十分に日本に行けた金額です。

 これに航空券自体の金額が乗っかるとなると、現在の値段は、以前だったら、余裕でビジネスクラスに乗れた金額で、ちょっとウンザリさせられるのは当然なことで、今までよりも時間もかかり、費用もさらにかかるとなると、せっかくエアフランスが羽田便運行を再開させてくれたとしても、やっぱり日本に行くのは、また当分、お預けだ・・と、思うのでした。


エアフランスのパリ・羽田便運行再開 燃油サーチャージ値上げ


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2022年9月10日土曜日

まだまだ続くフランスのイギリス王室フィーバー

  


 エリザベス女王の突然の訃報に、その日は1日中、想像以上に大騒ぎだったフランスに、ちょっとビックリしていたら、そのイギリス王室フィーバーはその翌日もまた、さらに続くことになりました。

 気がつけば、各テレビ局のメインキャスターは、ほぼ、全てロンドン、あるいはスコットランドに飛び、イギリスから生中継。いくら遠くはないとはいえ、メイン級のキャスターがこぞって翌日には現地入りするとは、ものすごいテンションです。

 また、フランス国内でも朝からマクロン大統領がパリのイギリス大使館に弔問に訪れ記帳する様子や在仏イギリス大使の発表を生放送で放送。その後、王位を継承したチャールズ3世がバルモラル城からロンドンに移動する様子を生中継。

 また、バッキンガム宮殿に到着して、カミラとともに、国民から送られた花束や手紙を見て歩いたり、弔問に訪れてくる市民と親しく握手しながら、時にはハグをしたりする様子を流しながら、ずっとイギリス王室の模様を実況中継していました。

 エリザベス女王が25歳で王位を継承したのとは対照的に、チャールズは73歳にして、ようやく王位を継承したのです。あらためて思うに在位70年の威力というのは、国内外ともに、大変な存在感のあるもので、少なくとも70歳以下の全ての人々にとっては、生まれた時から、イギリスの王はエリザベス女王しか知らないわけで、その間、フランスでは8人の大統領が交代し、本国イギリスではもはや歴史の教科書に登場するようなウィンストンチャーチルという歴史上の人物の時代から15人の首相が交代してきた長期間、彼女は王位に君臨し続けて来たのです。

 これまでの世論調査でもチャールズは決して好感度が高くなく、母親のエリザベス女王は81%、息子のウィリアム王子77%にも大きく差をつけられている56%の支持率と王室の中でも最下位に近く、ダイアナ妃が抜群に人気があった分だけ、一連の不倫騒動、離婚、そして結果的にダイアナ妃が悲劇的に亡くなったことによって、彼はダイアナ妃を愛する国民の目の敵になっていた感もあります。

 あまりの不人気に、一時は、チャールズをすっ飛ばして、エリザベス女王の後は、ウィリアム王子が王位を継承するのではないか?などと言われていた時期もありました。

 フランスでも、エリザベス女王の在位中から、何度となく、彼のこれまでの行状をルポルタージュした番組で「残念な皇太子」のような報道が流され続けて、エリザベス女王が亡くなったら、イギリスはどうなってしまうんだろうか?と思わせられる感じでした。

 おそらく、そんな経緯もあって、世界中から敬愛されていたエリザベス女王の後を彼がどのように受け継いでいくのかは、それが上手くいこうといくまいと、逆に上手くいかない可能性も高いと見られていたからこそ余計に注目を集めたのかもしれません。

 だからこそ、チャールズ3世が王位に着任して以来、最初のスピーチは、なんとフランスのマスコミまでが、固唾を飲んで見守る感じでした。

 その日のチャールズ3世の様子を現場で伝えているリポーターたちは、むしろ前のめり気味で、彼の王としての最初の1日を弔問に訪れた市民と距離を縮めて、スキンシップなども含めて触れ合う様子に、「彼のこれまでのイメージを払拭する第一歩を切った!」と興奮気味に伝えてもいましたが、紙面を見ると、「本来ならば、73歳という引退する年齢にようやく王位についたチャールズ3世は・・ようやく・・」などと初っ端からキツめの見出しをつけている新聞などもあります。

 注目された彼のスピーチでは、「エリザベス女王へ女王として、また母親としての生涯への感謝、そして、ハリーやメーガンも含めた彼の家族への期待」を語りました。

 誰が書いたスピーチ原稿なのかは不明ではありますが、これはまことに上手くできている原稿で、特に最後の一文には、ダイアナ妃へのメッセージも含まれていたことも話題になっています。

 「天使の歌声があなたを安息に導いてくれますように・・」

 「May flights of angels sing thee to thy rest」はダイアナ妃の葬儀で演奏された作曲家ジョン・タヴナーの作品『アテネの歌』の歌詞に引用されている一節でもあるのです。

 それにしても、イギリス国民はもちろん、フランスまで多くの人が熱狂的に王室の訃報に接して、エリザベス女王の生涯の軌跡を辿って敬意を示したりしているのを見ると、王室、皇室というものを保ち続けているということが尊い財産であることのように思えてきます。

 フランス人は、やたらと「歴史的な瞬間」という言い方が好きだなぁ・・と思うことが多いのですが、長い歴史を保ち続けている王室や皇室というものは、それを失ってしまった国にとっては、もう再び作りようのないものでもあるのです。

 文化的に異なっているとはいえ、日本の天皇陛下の皇位継承の儀などは、フランスでもかなり高い注目を集め、絶賛されていました。「古式ゆかしい」皇室の行事などは、文化遺産でもあり、一見、意味がわからないようだけど、継承すべき文化なのではないか?と今、あらためて思うのです。

 この民主主義の世の中に政治とは関係なく、信仰とはまた別の形で、国の中で圧倒的に尊ばれる国の象徴的な存在としてあり続けるということが、この不安定な世の中で、人々の心の拠り所のようなものの一つでもあり得るのかもしれません。

 王族、皇族に生まれついた方々には、自由もなく、誠に生きにくいことかとお気の毒な気もするのですが、だからこそ、その不自由な境遇の中でも、イギリス王室のように、不倫騒動や離婚、さらには王室を離脱してしまう人まで現れる逆に人間っぽいドラマもフランス人を惹きつけているのかもしれないと思ったりもするのです。


チャールズ3世 イギリス王室


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2022年9月9日金曜日

エリザベス女王ご逝去のフランスでの報道

  



「私は、長い短いにかかわらず、私の全生涯をあなたのために、そして私たちの属する偉大な王室のために捧げます」21歳のお誕生日の日に、そう宣言したエリザベス女王は、70年にわたり、王位を守り続け、2日前まで新首相に面会する映像が流されていた、ほんの数日後にご逝去されました。

 フランスには皇室がないこともあってか、イギリス王室については、ことのほか、注目度が高く、スキャンダルも含めて、マスコミに取り上げられることも多く、この日も女王陛下の容態が悪いことを昼頃から騒ぎ始めました。

 

指摘されていた女王の右手の手の甲の青あざの確認できる写真


 2日前に公開されたイギリスの新首相任命の映像を振り返り、新首相のリズ・トラスと握手している女王陛下の右手の甲に青あざができていたことや、続々と王族のメンバーがバルモラル城へ向かっているのは只事ではない・・などと伝えていました。

 バルモラル城、バッキンガム宮殿を見守り続ける中継映像は、その日の午後から始まり、女王陛下の訃報が流れたのは午後7時半頃(フランス時間)。全てのニュースが吹っ飛んだと思ったら、その日の夜は、特別番組が組まれ女王陛下のニュースが延々と続きました。

 パリのイギリス大使館にも、すぐにエリザベス女王の大きな写真が掲げられ、大勢の人が集まっていました。

 訃報が流れてすぐにこのようなことができるのも、女王陛下の年齢もあり、イギリスは、各国の大使館も含めて、その時に備え続け、誤解や論争を避けるために、ここ数年は、年に2回は、女王陛下が亡くなった場合について、その段取りなどの細部までが検討され続けて来たようです。

 こうして、フランスでの報道を見ていても、フランスには、どれだけイギリス人がいるのかとも驚かされると同時に、また逆にイギリスにはどれだけフランス人がいるのかとも感じ、フランスとイギリスの繋がりの深さを思わせられます。

 フランスにとっても在位70年にわたるエリザベス女王は代々フランス大統領8人との歴史を持ち、また、女王陛下はフランス語も完璧に話すことができた人で、彼女はフランスにとっても女王でもあり、彼女自身もフランスをこよなく愛していたと伝えています。

 ちなみに彼女のお気に入りのフランス大統領はミッテランだったと言われています。

 個人的にも私はイギリスに留学していた時期もあり、イギリスは私にとって特別な国の一つでもあります。当時、私は、勉強のために、イギリスで多くのホスピスを見学して歩いたのですが、そのどこへ行っても、エリザベス女王がそのホスピスを訪問した際の写真が飾ってあり、また、彼女が訪問してくれた時の話を目を輝かせてしてくれる人など(たまたま、ついこの間、いらしてくださったと・・)に出会ったりもして、イギリスの国民にとって、王室がどれほど大きな存在であり、大きな役割を果たしているのかを直に感じる機会もありました。

 とはいえ、こうして彼女の在位中の歴史を振り返る報道などを見ていると、イギリス王室も平坦な道のりではなかったわけで、王室不要論や数々のスキャンダルに非難を浴び、特にダイアナ妃が亡くなった際の女王の冷たい反応などに国民の反感を買ったこともありました。

 彼女がダイアナ妃の訃報を知ったのも、彼女自身がこの世を去ったバルモラル城でのことでした。

 彼女の死後、ご遺体のロンドンへの搬送からさまざまなセレモニー、国葬、埋葬まで、すべて10日以内のスケジュールやその詳細(イギリス国内がどのように喪に服すか)は、すでに全て細かく取り決められています。

 フランスでも、彼女の国葬は前例のない壮大なものになるであろうと伝えています。

 ちょうど、国葬問題で物議を醸している日本にとって、本当の国葬とはどんなふうに行われるものかを目にするよい機会となるのではないかと思っています。ほぼ同時期に行われる国葬は、悉く比較され、いや、もはや比較の対象にさえならない国葬と呼ぶことが憚られるものになる気がしています。

 

エリザベス女王ご逝去 英国王室


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2022年9月8日木曜日

恐怖の家 子供の児童手当を食い物にして子供に虐待を続けてきた親 逮捕

   


 私は日本で子育てをしたことがないので、日本の児童手当というものが、どの程度のものかはわかりませんが、時代が違うとはいえ、私が子供の頃に両親から児童手当の話というのは聞いたことがなく、そのようなものを国からもらっていたという話も聞いたことがないので、少なからず、育児に対する国の支援はフランスの方が手厚いような気がします。

 フランスでは、子供を育てるにあたって大なり小なりの支援金が支払われます。その金額は、家族構成や親の収入や職業形態によって、支援の金額も方法もリソースも変わってきます。

 たとえば、年度始めには、新年度のための準備費用が支給されたり、公立の場合は授業料は無料ですが、キャンティーン(給食)の費用は両親の収入によって金額は違います。また、子供の人数によって年金のポイントが加算されたり、税制上も子供の人数が考慮され、3人以上子供がいると、グッと優遇されるという話も聞いたことがあり、実際に娘のクラスメイトなども3人兄弟という家族が多いです。

 また、共働きが多い(というか、ほとんど)ため、両親の仕事の時間帯によっては、ベビーシッターが不可欠な場合は、その一部を国が負担してくれるというシステムもあります。また、親の収入が少ない場合などには、住宅手当なども子供の数によって換算されます。

 しかし、どんなに国が援助してくれるとはいっても、実際に子供の教育にかかる費用をそれだけで賄えるはずはなく、私などは、とうていこれ以上は無理だとハナから、もう一人子供を・・などということは考えていませんでしたが、まあ、それも子供をどのように教育したいかによっても異なってくるので、中には、子供の児童手当をほとんど子供には使わずに、自分たちはロクに働かずにいる親もいるということは聞いていました。


 今回、パ・ド・カレー県(フランス最北端の県)で4ヶ月から24歳までの10人の子供を持つ夫婦(40歳と44歳)が、この中の子供の一人が警察に駆け込んで、助けを求めたことから、児童虐待で逮捕されました。

 この家は、「恐怖の家」として知られることになり、この子供のうちの一人(21歳)がテレビなどに顔出しで証言しています。

 この青年が耐えきれなくなって、警察に助けを求めに駆け込んだことにより、警察が家に踏み込んだ時には、幼い子供2人が椅子に縛られ、排泄物まみれになっていたといいます。すべての子どもたちは、常に両親からの脅迫、暴力に怯え続けて育ってきました。

 この家庭は、2013年からソーシャルサービスによって監視されていたものの、両親はソーシャルサービスのチェックの前に子供たちに圧力をかけ、「家で何が起きているのかを言ってはいけない、すべて順調だと言え!。私たちが経験していることを話すと、ホームに入ってみんなから遠ざけられることになる!」と脅迫し、何とか制裁を免れ続けてきてしまったようです。

 この青年の証言によると、父親はこれまでに半年間しか働いたことがなく、夫婦は生活保護と児童手当で生活しており、子供を金づるとしていて、子供が成人して、援助が切られるたびに、子供を作って収入を補うということを繰り返していました。

 子供は彼らの収入源だっただけでなく、この子どもたちの自由を奪い、殴る、蹴るの身体的な暴力や言葉による脅迫、逆らえば長時間の土下座、少しでも動けばリンチ状態。

 その矛先がたとえ、自分に向かないことがあっても、常に兄弟姉妹の誰かが暴力を振るわれる場面を目にすることだけでも、大変な恐怖とストレスを感じ続けていたのです。

 このような家庭ですから、児童手当は子供のために使われることはなく、父親は頻繁に車を買い替えたり自分のためにお金を使っていたようです。

 両親の逮捕により、子供は保護され、現在は特別な施設での生活を始めています。

 この青年は、両親の仕打ちに耐えられなくなって警察に駆け込んだわけですが、この青年が他の兄弟姉妹の命を救ったかもしれません。しかし、少なくともこれまでの間にこの家で育って来た子どもたちの心の傷やトラウマは想像を超えるものであるに違いありません。

 本来は、このフランス政府が行っている児童手当は大変、ありがたいもので、この政策をきっかけにフランスは日本のような少子化の道を辿ってこなかったのも事実です。しかし、中には、このようなクズ親も現れてしまうことも事実です。

 かねてからフランスでのクズは限りなくクズだと思っていましたが、このクズ対応をするべくソーシャルサービスが機能していなかったことは、その被害に遭い続けて来た子どもたちの年月には取り返しがつかないことです。

 以前、私たちがフランスに来たばかりの頃、パリに引っ越してくる前、まだ娘も小さかった頃、突如、「子供を学校に行かせていない(フランスでは2歳から学校)と通報があった」とソーシャルサービスの人が家に訪ねて来たことがあり、「こっちは忙しくしながら、学校だけでなく、公文にまで通わせているのに・・」と憤慨したことがありましたが、そんなことは、学校に聞いて貰えばすぐにわかることなので、何の問題にもなりませんでしたが、逆にそんなすぐに嘘がわかるような嫌がらせの通報をする人がいることの方を不気味に思ったくらいです。

 また、このソーシャルサービスから難癖をつけられて、しっかり働いて子育てしているにもかかわらず、子供をとりあげられそうになって日本に子供を連れて帰国した人も知っています。

 このクズ親も問題ですが、このチェックを行うソーシャルサービスも適正に機能していない印象を拭いきれない気がするのです。


児童手当 児童虐待 恐怖の家


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