安倍元総理が襲撃された事件は、フランスでも衝撃的な事件として取り上げられ、フランス時間でほぼオンタイムで、病院に搬送され、心拍停止状態で、その後、死亡が発表されるまでの様子が生中継で放送されていました。
犯人については、その場ですぐに取り押さえられたことも伝えられ、世界中の首脳がこぞって弔意を示していることまでがセンセーショナルに報道されていました。
それ以上の詳細については、あまり触れられることはないのかと思いきや、その後の日本でのこの事件についての報道や政治と宗教団体のつながり、そして、警察と日本のマスコミの報道について、かなり辛口な指摘がなされています。
以下は、仏大手フィガロ紙などに掲載された内容で、なかなか辛辣で興味深いものでした。
安倍元総理が襲撃された48時間後、日本は議員選挙の投票日を迎え、自民党は安倍晋三が生涯をかけて追い求めてきた憲法改正の可能性に充分な票を獲得しました。しかし、日経新聞が「暗い勝利」と題したように、通常、暴力、特に政治暴力とは無縁の日本における前例のない事件に与党でさえも、しばらく唖然としていました。
しかし、その後、この事件は犯人の安倍氏殺害の動機によって、思いがけない次元に突入してしまいました。
日本の警察とマスコミは、「彼は元海上自衛隊員で、母親が財産を投げ打ってまで入信した宗教団体の指導者とその教団を推した安倍晋三を狙い事件を起こした」と発表しました。
このシナリオは日本という国にとって、非常に恥ずべきことで、この48時間、日本の大手メディアは膨大な人的・物的資源(全国紙5社で9,355人の記者)を導入して、事件の情報収集に当たっており、事件現場にはヘリコプターが飛ばされ、事件現場は模型で再現され、きめ細かく検証されているかのごとく報道されています。
しかし、堕落したマスコミは、これだけの人的・物的資源を導入が単なる水増しされた動員、導入であるかのごとく、愚かしいニュースを流しています。驚くことに安倍晋三が殺害された翌日、日本の大手5大新聞は全て同じ記事を一面トップで掲載し、書体の大きさも含めて一言一句違わないのは、彼らの共犯関係を裏付けています。
操作当局は目に見えて置き換えられた「自白」を彼らが認定した同人記者たちに垂れ流し、彼らは真実性や臨場感さえ気にせずに、それをそのまま掲載しています。
日本の読者は当初、この報道によって、犯人が元海上自衛隊員であったことに無理矢理注目させられ、安倍晋三が無名の宗教団体と繋がっているという誤解を招くような印象を与えられています。
また、フィガロ紙は、この目に見えて置き換えられた犯人の自白を発表した現在の警察のトップが政府に近いジャーナリストの強姦事件の起訴を不起訴処分にしたことで有名な中村格氏であるという説明の仕方をしています。
この宗教団体の名前は、すでに初期の段階から、すでに地元のタブロイド紙や海外の新聞によって明らかにされ、全世界に300万人の信者を持つという統一教会に対して信者に与えている洗脳を批判しているにもかかわらず、選挙が終わるまでは、安倍氏と繋がりがあったと言われるこの特定団体の名前を報じない主要メディアは「卵の殻の上を歩いているようなものだ」と書いています。
日本における宗教は、伝統的なもの(地元の神道など)、確立されたもの(創価学会など)、「新しい」もの(統一教会や生長の家など)が、日本の政治において控えめながら重要な役割を果たしています。信者を選挙戦の力と献金に動員する能力を持つ彼らは、特に多数派で、特に社交の機会が少ないアノマリー人口が多い都市では、政党の貴重な味方となっているのです。
この仏紙が書いている「日本の主要メディアが卵の殻の上を歩いているようなものだ」という表現は、もはや日本の主要メディアが報道機関として成り立っていないということを指摘しているのです。
安倍氏の殺害事件も統一教会の問題とともに、浮き彫りになった日本の報道機関の歪みを指摘しているのです。
日本では、政治や宗教の話題はどちらかといえば、避けられる傾向にある気がしますが、社会問題を浮き彫りにして、問題提起するのがマスコミの使命でもあります。民主主義とか、言論の自由と言いながら、一見、そのような体をとりながら、まったく違う方向に向かっているということは由々しき問題です。
フランスでは、少し前にオルペアという高齢者施設での問題を取材したジャーナリストが出した本により、大きな社会問題として掘り下げられ、政府が動き出したということがありました。フランス政府を見ていると、フランス政府は世論の動きを大変、恐れているなと感じることがあります。国民は黙っていないし、マスコミも黙ってはいないからです。
日本の政府も世論の動きを恐れているからこそ、マスコミを懐柔しているのかもしれませんが、マスコミもまたそれに懐柔され続けているのも本来の役割を果たせないでいるということなのです。取材ができなくなることを恐れて政府や警察に懐柔されている日本のマスコミが本来の役割を果たせずに主要メディアとして存在しつづけているということが、まさに「卵の殻の上を歩いている」というのは絶妙な表現です。
こちらでの日本についての報道を見ていると、時に、こんな視点から見るのか・・というものもありますが、また時には、日本の報道よりも辛辣に真実を語っていることも多いので、なかなか見逃せません。
本来は、マスコミと政府のチカラ関係は逆なはずなのです。このような政府と報道機関の歪(いびつ)な関係こそが今回の事件の闇であるのかもしれません。
日本の報道機関 マスコミ
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