2019年10月18日金曜日

フランスのベビーシッターと子供のお迎え



 パリに引っ越してくる前の数年は、私たちは、パリ郊外の街に住んでいました。

 子供が一歳になったと同時に仕事を始めた私は、クレッシュ(保育園)に子供を預けて働き始めましたが、仕事場がパリだった私も主人も、保育園が終わる時間に迎えに行く事が、なかなか厳しかったので、代わりに保育園に迎えに行ってもらって、私が戻るまで、預かっていてもらうベビーシッターさんを頼んでいました。

 安い私のお給料で、クレッシュにベビーシッターを頼むのは、かなりの出費でしたが、後々は、パリに引っ越すことにしていたので、それまでの間は、仕方ないと考えていました。

 ベビーシッターさんは、クレッシュに掲示してあった広告で、主人が探してきました。彼女は、小学生二人を持つモロッコ出身の主婦で、とても、快く、お迎えという仕事を引き受けてくれました。

 パリであれば、日本人の留学生の方などを探せたのでしょうが、パリ郊外ともなると、そういうわけにもいきません。

 それから、一年くらいは、彼女にお願いをしていたでしょうか? 

 しかし、慣れてくると、馴れ合いというか、甘いことを考え始めたりするのかもしれませんが、ある時、何をきっかけだったかは、忘れてしまいましたが、彼女が小学生の自分の子供にお迎えをさせていたことが、発覚し、今から思えば、小学生の子供に子供を渡してしまうクレッシュもどうかとも思うのですが、すでに、その子供も母親と共に娘のお迎えに付いて行ったりしていたことで、顔見知りになっていたのでしょう。

 とにかく、近所とはいえ、何かあった時に、当時、小学校低学年だった彼女の子供に対応できるとは、思えませんし、彼女の、その責任感のなさに憤慨した私たちは、急遽、他のベビーシッターさんにお願いすることにしたのでした。

 それから、一ヶ月間くらいでしょうか? やめてもらったベビーシッターさんから、夜中に嫌がらせの電話が鳴り止まず、娘に何か仕返し等をされても怖いと思い、警察に通報し、ようやく、嫌がらせの電話はおさまりました。

 しかし、後になって、今度は、我が家の方が、あの家庭は、子供を放置して、学校(幼稚園)にも行かせていないと、警察に通報され、児童保護担当の警察が我が家にやってきたこともありました。

 そんなことは、学校の出席状況を調べればすぐ分かることですし、お休みの日なども、彼女のお稽古事などで、私もびっちり彼女とずっと一緒にいましたので、証人もたくさんおり、まるっきり、問題にはなりませんでしたが、全く、面倒なことをしてくれる人がいるものだと思いましたが、(通報した人の名前は教えてもらえませんでしたが、)考えてみれば、彼女の嫌がらせの通報だったかもしれません。

 私の同僚にも子供を持ちながら、働いている人がほとんどで、そんな話を職場ですると、皆、色々と苦労話を聞かせてくれました。

 ある人は、子供が幼稚園に通っている頃、ベビーシッターさんに子供を預けていたところ、家に帰ってから、子供が鼻水を垂らしていて、風邪を引きかけてしまったようだったので、子供に、” 今日は、何をしていたの?” と聞いたところ、子供は、無邪気に、”シッターさんと一緒に郵便屋さんごっこをしたんだ!” と言ったのだそうです。

 最初は、何の疑問も感じずに子供との会話を続けていた彼女ですが、それがあまりに具体的で、おかしい??と感じはじめ、子供を問い詰めると、何と、チラシをポストに入れて歩く仕事を子供に手伝わせていたことが判明し、即刻、シッターさんを変えたとの事でした。

 まあ、シッターさんからしたら、子供と一緒にいたのだからいいだろうと考えたのかもしれませんが、倫理観の違いとでもいうのでしょうか? 他人事ながら、全く呆れた話で、ベビーシッターさん選びも、気をつけて、子供から出来るだけ、話を聞きださなければいけないと痛感したものです。

 パリに引っ越してからは、学校のエチュード(学校の授業が終わった後に宿題等を見てくれる時間)の時間の終わりには、何とかギリギリで間に合うようになったので、ベビーシッターさんは、雇わなくてもいいようになりましたが、仕事が終わるのがギリギリになってしまったり、途中のバスが渋滞して、遅れてしまったり、ハラハラ、ドキドキの毎日でした。

 フランス人は、時間を守らないくせに、学校が終わる時間だけは、きっちりしていて、時間に少しでも遅れてしまうと、おっかない顔をして、”セ・パ・ポッシブル!!(ありえない!)マダム!” などと怒られ、こんな時だけ、時間を守るフランス人を恨めしく思ったこともありました。

 私自身は、時間には、キッチリしている方ですが、パリの交通事情は、そんなに生易しいものではありません。

 遅れそうになって、メトロの駅のエスカレーターを駆け上がって、転んで、すぐには、立ち上がれずに、転んだ状態のまま、ズルズルとエレベーターで、上に辿り着いた時の恥ずかしさは、今でも忘れられません。

 パリでは、普通は、子供が小学校卒業までは、子供の送り迎えが求められます。

 その年齢までは、送り迎えが求められるということは、それだけ、危険に遭遇する可能性があるということなのです。

 生まれたばかりの頃は、早く、首が座ればいい、次は、歩けるようになったら・・トイレに行けるようになったら・・と、次々と子供の成長を願いますが、本当に大変だった子供の送り迎え。

 子供が一人で学校へ行って、帰って来れるようになったら・・と、どれだけ思ったことでしょうか?

 でも、今から思えば、必死で送り迎えをしていた頃が、大変だったけど、一番、子供との濃密な時間を過ごせた期間だったのかもしれません。









 




























2019年10月17日木曜日

便利な生活がもたらすもの フランスへの修行ツアーのススメ




 フランスに長く住んでいて、日本に一時帰国すると、忘れかけていた日本の生活の便利さ、快適さを身に染みて感じます。

 当たり前のように届く郵便物や配送品、銀行や郵便局などの手続きのスムーズさ、時間通りに来る電車やバスなどの交通機関、感じ良く、親切な接客、そして、いつでもどこでも簡単に手に入る日本食、日本食材。

 日本に一時帰国時に、ある程度のスケジュールを立てて、銀行などの複数の諸手続きに、午前中・・などと、つい、フランスの感じで時間を見積もっていると、あっという間に用事が済んで、自分自身、えっ??と、呆気に取られてしまうこともあります。

 また、スーパーのレジなどでも、これ、ちょっと傷んでいますから、取り替えましょうね・・などと、言ってもらえて、思わず、” うわ〜ん!!親切〜〜!!” と叫んでしまったこともあります。

 フランスのレジなどでは、下手をすると、持って行った野菜に、レジの人の方から、”これ、何という野菜?" などと聞かれるくらいですから、もう比較の対象にすらなりません。

 日本では、ちょっとでも、まごついたりしたら、” お待たせいたしました。失礼いたしました。申し訳ございませんでした。” 、別にそんなこと、いいのに・・と思うことにまで、すぐに謝られます。

 一方、フランスでは、待たせることなど、何とも思っていませんので、そんなことでは、絶対に謝らないし、それ以上のことでさえ、まず、謝りません。

 何かの工事を頼んでいたり、家に水道・電気などの点検が入るという通知があったりしても、なかなかの確率で、時間に大幅に遅れたり、すっぽかされたりします。

 人間、便利で楽な環境に慣れるのは、簡単で、あっという間です。
 そして、もっと便利に、もっと快適にと、更に、上のサービスを求めるようになります。

 日本は、世界基準でも、ちょっと類稀なる、サービスが享受できる国です。

 と、同時に、日本は、クレーム大国でもあるのです。

 ファストフードやチェーン店、コンビニなどの挨拶がマニュアル通りで、目が笑っていない・・とか、ちょっと前に、猛暑の最中に運転しながら水を飲むバスの運転手さんに対してまで、クレームが入ったとか・・。

 マニュアル通りだろうが何だろうが、ちゃんと挨拶しているのだし、猛暑の中でも、ちゃんときっちり運転してくれているのではありませんか?

 お客様は、神様で、神様の声への対応を求められ、神様は、まるで、世直しでもしているかのごとく、踏ん反り返る、恐ろしい悪循環です。

 フランスでは、頼んだ荷物が届くかどうかがまず、不確かなフランスに住んでいると、日本で、宅配便の配送をしている人が走っているのには、仰天してしまいます。

 フランスの、このサービスの悪さもどうかと思いますが、日本のもっともっと便利で快適なものを求め続ける果てのクレームの蔓延も異常です。

 フランスで暮らすようになって、当初は、いちいち、腹を立てていた私ですが、いくら腹を立てても、仕方ないので、予め、不測の事態に備える、ないものは、自分で作る!という姿勢にシフトチェンジしました。

 すんなり、事が運んだだけでも万々歳です。

 より便利で快適さを求める生活は、人間から忍耐力と寛容さを奪います。
 すぐに、キレて、すぐに、クレームです。

 そして、その生活を支えているサービスを提供している、走って配達をしている宅配便の配達をしている人たちがいるのです。

 私は、いっそのこと、日本のクレーマーを集めて、フランスでの不便な生活の体験ツアーをせめて、一ヶ月くらいでいいから、やってみたらどうかと思うのです。

 きっと、どれだけ、日本のサービスが優れて、ありがたいものかを実感として、感じる事ができるでしょう。

 


















2019年10月16日水曜日

男尊女卑 日本人が思いがちな、男性だから・・女性だから・・という感覚





 私が、フランスで育った娘と話をしていて、時々、スイッチが入ったように、娘が怒りを示すことがあります。

 それは、日本人によくある、「男性だから・・」、「女性だから・・」という観念が、話の中に見え隠れした時です。

 彼女の中のセンサーは、実にその観点に敏感に反応します。

 彼女が以前に見ていた日本のドラマで、猛烈に働く女性を描いたドラマがあったのですが、その主人公が仕事モードに入る時、” 男スイッチが入って、寝食を忘れて働き出す。" というナレーションが入るのですが、”なぜ、猛然と働くのは、男スイッチなのか?” というのです。

 確かに、そのナレーションには、社会で、猛烈に働くのは、男性であるというニュアンスが含まれているのかもしれません。

 私も、娘に言われるまで気がつかなかったのですが、娘に言わせてみれば、そのことを見過ごしてしまう時点で、それが当然のことと思って、そのことを受け入れている!というのです。

 また、彼女が高校まで通っていた学校で、私が、泣いている子を見たことがあるのは、男の子ばかりだ・・という話をした時も、それは、ママの中で、男が人前で泣くなんて・・という固定観念があるから、男の子が泣いている場面が、特に印象に残っているのだ・・女の子だって泣いていることはある!と言われたこともあります。

 確かに、「男だから・・」、「女だから・・」という観念は、私の中に存在しているのかもしれません。それは、日本の社会で育ってきた私だからか、また、時代背景もあるのかもしれません。

 主人などは、古い世代の人間なので、フランス人でも、「男たるものは、女性を守らなくてはならない・・」というような観念が、あるようなので、一概に、フランス人は・・と決めつけることもできません。

 それでも、私自身は、自分では、長く海外生活を送る中で、男だから、女だから、という考え方は、ずいぶんと日本で生活していた時に比べると、少なくなっていると思っているのです。

 いずれにせよ、フランスで育ち、教育を受けてきた、今の世代を生きている娘には、男尊女卑とまでは行かないまでも、日本の男性、女性に対する固定観念のようなものに、とても違和感を感じるようなのです。

 フランスでも、全てが、男女平等とは、言えないとは思いますが、少なくとも、専業主婦というものが少ないことからも、女性も社会に出て働き、家事も男女が、分担して行い、家族は、男女二人で築き上げるもの、そして、男だから・・女だから・・という考え方は、ナンセンスだという意識が彼女には、根付いています。

 先日、日本で発覚した医学部の女性受験者に対する点数の差し引き問題なども、彼女は、非常に厳しい目で見ています。

 そのようなことが、まかり通ってきた日本は歪んでいる・・と。

 彼女も、実際に社会に出れば、日本ほどではないにせよ、フランスでも、少なからず、女性に対するハンディに遭遇することがあると思います。

 しかし、現時点では、男性だから、女性だから、こうあらなければならないということを激しく拒否する彼女ですが、そもそも、男性と女性というものは、違う性別を持っているもので、男らしさとか、女らしさとかいうものを彼女は、どう捉えているのか? と、ふと思うのであります。

 別の観点ではありますが、私としては、男らしさや、女らしさも、人間としての魅力のひとつだと思うのですけどね・・。

2019年10月15日火曜日

エチュードの講師のアルバイトをする娘とフランスの中・高校生




 娘は、現在、学生ですが、学業のかたわら、アルバイトをしています。

 日本では、学生のアルバイトというのは、珍しくないことだと思いますが、失業率の高いフランスでは、大学にもよりますが、時間的には、少し余裕ができても、日本のように、学業を優先しつつも、学生が自分の空き時間に、都合よくできるようなアルバイトは、少ないのです。

 彼女は、現在、週に1〜2回、エチュードといって、学校の授業が終わった後に、宿題や補習をする授業の講師のアルバイトをしています。

 フランスなら、おそらく、どこの学校にも、学校の授業とは、別に、エチュードという時間が設けられていると思いますが、これは、授業の単位とは関係のないもので、強制的に参加しなければならないものではありません。

 また、そのあり方も様々で、彼女自身が通っていた中学・高校では、エチュードの時間はあったものの、その時間帯を監督する人がいるだけで、特別に勉強を教えてくれるわけではなく、あくまで、自習のような時間でした。

 しかし、現在、彼女がアルバイトに行っている私立の学校は、学校が場所を提供して、学校側と、その講師を派遣している会社とが契約をして、その学校の生徒の希望者に実際に勉強を教えてくれる人を雇っているのです。

 そんなシステムを取っているくらいですから、その学校自体も地域では、なかなかのレベルの学校なのです。

 保護者がそのために払っている金額も決して、安くはありません。

 彼女が担当しているのは、中学2〜3年生の生徒で、彼女は、やる気がない生徒が少なからずいることを嘆いています。

 科目は、特に決められてはいないようですが、基本的には、個々の生徒の宿題を見て、その問題の解き方や勉強の仕方を教えるのだそうです。

 中には、真剣に取り組んでいる子供もいますが、ダメな子に限って、アドバイスを聞きません。

 サボることばかり考えて、時間中もふらふら歩き回ったり、消しゴムを投げて遊んだりして、トイレは授業の前に済ませるように、そして、実際に授業を始める前にもトイレは、大丈夫ですね・・と確認しているにも関わらず、授業の途中で、トイレに行きたいというので、仕方なく許可したところ、いつまでたっても戻ってこないと思ったら、校庭で遊んでいるというのです。

 頃合いを見計らって、教室に戻ってくる、そんな生徒を、彼女は、教室には、入れず、「あなたが、何のために、ここに来ているのかわかりません。あなたは、何で、ここに来ているのですか? やる気がない人は、他の人にも迷惑になるから、教室から出て行って下さい。」と申し渡すのだそうです。

 全く、我が娘ながら、怖い先生ですが、クラス全体がその子のようなリズムや温度に飲み込まれてしまっては、クラスは収集がつかなくなってしまいます。

 その子への退室命令は、それが初めてのことではなかった様子で、その結果がどうなるのかがわかっているその男の子は、その場で泣き出してしまったそうです。

 というのも、毎回の授業が終わると、その日の授業や勉強の進捗状況を各保護者に簡単なレポートを各保護者に送ることになっているからです。

 保護者の方は、私立の学校の学費プラス、エチュードにお金を払って、子供を勉強させているわけですから、教育に対して、かなり意識が高い親なわけです。

 そのような報告を送っても、保護者からのクレームは一切、ないそうです。

 その生徒も、うちの娘のような、アカの他人の講師に怒られることなどは、その場限りのことで、さほど、気にもかけないでしょうが、家に帰って、その報告が親に行けば、家に帰って、余程、絞られるのでしょう。

 しかし、どんなに親が一生懸命でも、子供にやる気がないならば、仕方ないのです。

 子供のやる気を引き出すには、子供が勉強しないことを怒るのではなく、別のスイッチの入れ方があるように思うのです。

 以前、私の中学の先生で、非常に厳しい、しかし、とても人気のある毅然とした女性の英語の先生がいました。

 授業中に私語が聞こえたり、真剣に取り組んでいない生徒がいると、決して感情的にはならず、しかし、毅然として、「You may go home.」(どうぞ、お帰りください)と言われるのです。

 その先生の授業は、いつも緊張感があり、生徒たちは、皆、いつの間にか彼女の授業に引き込まれていたものです。

 私は、娘の話を聞いていて、その先生の話を思い出しました。

 しかし、まあ、娘がいつの間にか、こんなに強くなったのか、彼女は、教師志望の学生ではありませんが、こうして、アルバイトをして、彼女の専門の研究とは別の、色々な人との関わり方の学びを積み重ねる機会を頂いていることをとても感謝しています。




 




















 

2019年10月14日月曜日

フランス人の金銭感覚 フランス人は、何にお金を使うのか?




 フランスは、れっきとした格差社会なので、上と下の差が日本よりもかなり激しいと思うので、金銭感覚も、その上下の社会のそれぞれで違うとは、思います。

 言ってしまえば、先祖代々、お金持ちの家庭は、親が子供に対する教育の観念をしっかりと持っており、その家庭環境から、しっかりと、それなりにお金もかけて子供に教育を受けさせ、その子供もしっかりと勉強に励み、ある程度以上の地位に登っていきます。

 一方、下の層は、ハナっから、親の方も、子供への教育たるものを深く考えることもなく、逆に子供をたくさん産んで、国から支給される児童手当を子供の教育には使わずに、そのお金で生活しているような人も結構いるのです。

 フランスは、税金も高いですが、弱者に対する国の保証も大きいのです。

 ですから、高収入の人のほど、高額の税金を払い、低額所得者で子供が多かったりする場合は、税金を免除され、国の援助金を受けているのです。

 極端な言い方をすれば、税金を払う人と貰う人に分かれている感じです。

 私などは、どうしても、どちらかというと、日本の子供への教育の感覚でいるので、自分が子供にしてあげたい教育をしようと思ったら、国から児童手当をもらえるからといって、子供を育てるには、児童手当ではまかないきれないくらい、お金がかかるので、やたらと子供を産むことは、考えられませんでした。(それでも、教育費は、日本に比べると格段に安いです。)

 日本は、最近、貧乏になったという話をネット上などで、目にしますが、その下層ぶりが、やはり、日本の比ではないのがフランスの現実だと思うのです。

 しかし、敢えて、総じて、フランス人の金銭感覚を言うならば、一般的には、結構な締まり屋だと思うのです。貧富の差なく、無駄なことには、お金を使ったりはしません。

 流行り物だからといって、みんなが一斉に、それに飛びつくでもなく、ブランド物を買い漁ったりすることもなく、家の内装を整えたりするのも、日本なら、すぐに、工事の人を頼むところだと思いますが、自分でペンキを塗ったり、壁紙を貼ったり、簡単な工事は自分でやる家庭が多いのです。

 おそらく、一般的なフランス人は、日本人がイメージしているよりも、ずっと、地味な日常生活を送っています。中村江里子さんがブログで書いていらっしゃるような生活を送っている人は、本当に一握りです。

 それでも、お金持ちにも、そうでない人にも共通して言えることは、バカンスにお金を使うということです。バカンスに行けない人でも、家族やパートナーと過ごす時間のためにお金を使います。

 フランスでは、職種や契約形態によっても違いますが、正規で働いている人には、少なくとも、5週間の休みが与えられており、また、夏に一日もバカンスを取れなかった場合には、規定のバカンスに数日が追加されるというようなことも、法律で定められています。

 また、有給はあっても、会社で長いお休みは取りづらい雰囲気などというものもフランスには、全くありません。

 それくらい、フランス人は、バカンスのために働いているといっても過言ではありません。特に、夏は、約一ヶ月ほどのバカンスを取りますから、多くの人は、車で、まるで、引っ越し? と思われるほどの食料や自転車などまで車の屋根に積んで、出かけていきます。

 物質的なものではなく、家族との時間のためにお金を使うフランス人。
何かと不便なことも腹が立つことも多いフランスですが、フランスのこんなところは、私は、好きなのです。

 ちなみに、フランスには、家族サービスという言葉はありません。



 

2019年10月12日土曜日

枯れ葉舞うパリのゴミ




 今年の夏のパリは、猛暑で、最高気温が、なんと42℃という記録的な暑さでした。

 以前のパリの夏は、暑くても、湿度がないので、日陰や建物の中に入れば、スッとして、比較的、過ごしやすいものでしたが、ここ数年は、異常な暑さになることが多くて、参ります。

 それでも、ズルズルとその暑さを引きずることはなく、比較的、あっさりと涼しくなり、もう街は、肌寒い、すっかり秋の景色になっています。

 街路樹の木は、すっかり、色を変え、ちらほらと落ち葉を目にするようになってきました。もう少しすると、本格的に枯れ葉が舞う季節になります。

 ほどほどに枯れ葉が落ちているパリの景色というのも綺麗なものですが、季節になると、もうそれは、結構な量になるため、パリの街は、比較的、頻繁に枯れ葉の掃除をしているように思います。

 最初に私がパリに来て、驚いたのは、その枯れ葉の掃除の仕方です。

 それこそ、今、流行り!?の黄色いベストを着た清掃員の人が、中型の掃除機と見られる太いホースを持って、バキュームのように、枯れ葉を吸い込むと思いきや、枯れ葉を吹き飛ばして、一箇所に集めているのです。

 ホコリも立つし、一箇所に集めたものをまた、再び、まとめて捨てるという二重の作業になるので、あまり、合理的には、思えないのですが、発想の仕方が違うのだなぁ・・とつくづく思わせられます。

 発想が逆といえば、瓶のゴミ箱についても同じです。

 一般の家庭のゴミについては、また、別ですが、パリの街には、空き瓶を回収する人間の背丈よりも大きなボックスが置いてある場所がところどころにあります。

 ちょっとした、公衆トイレに近いような大きさです。
 その大きなボックスの中の瓶を回収する車が時々やってくるのですが、大きなボックスを一旦、丸々、クレーンで持ち上げてから、底をガバッと開けて、ガシャガシャガシャ〜と瓶が割れる派手な音をたてて、大きなボックスを空にするのです。

 なんとも、ダイナミックなゴミ収集ですが、重たいものをまとめて、いったん、持ち上げて、ゴミを移動して捨てるという、その発想も、おそらく日本には、ないものだろうと思います。

 また、ゴミではありませんが、パリの街中では、アパート自体の建物が旧建築が多いため、エレベーターがなかったり、あっても小さかったりで、はしご車を使っての引っ越しも時々、見かけます。

 通り沿いの窓から、荷物を運び出したり、運び入れたりするのです。

 こうした、生活の一部であるごみ収集の仕方などを見ていると、発想の仕方の違いを見せつけられている気がします。

 それは、生活のごく一部分ではありますが、きっと、違う部分で、ハッキリと目に見える形ではなくとも、フランスには、根本的な発想が違う部分があるのだろうと思わずにはいられないのです。







2019年10月11日金曜日

フランスの学校のキャンティーン・給食




 フランスの学校のランチは、キャンティーンといって、その多くが、給食のような形態を取っています。働いているお母さんがほとんどなので、子供たちは、ほぼほぼ、キャンティーンを利用しています。

 中には、幼稚園や小学校の間は、働いていないお母さんや、働いているお母さんでも、ヌーヌー(子守さん)を雇って、お昼の時間になると、子供を迎えに来て、家で食事をさせてから、また学校へ連れて行くという人もいましたが、それは、少数です。

 いくら、働いていないとしても、子供を朝、学校に送って行って、お昼に迎えに行って、ご飯を食べさせて、また、学校に送って行って、そして、また夕方、迎えに行く・・なんてやっていたら、一日がほとんど潰れてしまいます。

 最近は、宗教的な食べ物の縛りや、ベジタリアンやアレルギーに対応するメニューもあったりするので、お弁当などの持ち込みは禁止されています。

 学校側も、うちの学校のキャンティーンでは、健康にも充分、留意した食事を提供しています。フライドポテトは、出しません!というのが、ご自慢のようでした。
(それって、自慢することかい!とこっそり思っていましたが・・)

 その代わりに、グーテといって、間食のようなものは、午後4時半に学校の授業が終わった時間からエチュードといって、その後に学校の宿題等を見てくれる時間の間に食べるお菓子やちょっと甘めのパンだったりするものは、持って行くことが許されていました。

 キャンティーンのメニューは、前もって、学校から、一週間ごとに知らされるのですが、メニューだけ見ると、なかなか、しっかりしたもので、アントレ(前菜)、メイン、デザート、とチーズやヨーグルトなどの乳製品が入っており、バランスも考えられていて、一応、コース料理のようなメニューになっています。

 例えば、・前菜 パテ(テリーヌ)とピクルス
      メイン 七面鳥のロースト 人参添え
      デザート 果物(桃)
      乳製品 フロマージュブラン(ヨーグルトのようなもの)
      パン
 とか、
     ・前菜 ジャガイモのサラダミモレット
     ・メイン プアソンパネ(魚のフライ)レモン風味 グリンピース添え
     ・デザート シェーブルのチーズ(ヤギのチーズ)
     ・パン

 メニューを見る限り、まずまずというか、なかなかの食事です。
 (しかし、私自身は、一度も食べたことがないので、お味の方は、わかりません。)

 ところが、娘は、もともと、フランス料理があまり好きではなく、というのも、フランス料理のソース類(ベシャメルソースやマヨネーズ、バターソースなど)、乳製品が苦手で、フランス料理といえば、何らかのソースを使っているお料理が多く、彼女がキャンティーンを好まないだろうことは、わかっていましたが、フランスに住んでいる以上、一生避けて通れるものでもなく、普通のフランス人が食べるものと同じものを食べる機会が1日、一食分、しかも、学校のある期間ぐらいは、食べてもいいだろうと思っていました。

 学校から、帰ってきて、「今日は、キャンティーンで何を食べた?」 と聞くと、「きゅうりとご飯」とか、「トマトとブレ(小麦)」とか、答えるので、「メインは何だったの?」と問いただすと、「お肉になんか、オレンジ色っぽいソースがかかっているものだった・・」とか、「今日は、ベージュっぽいソースがかかっていた・・」とか、もはや、彼女にとっては、かかっているソースの色を説明するのみで、こちらまで、「・・で、今日は、何色のソースだったの?」と聞く始末・・・。

 たまに、プーレロティ(鶏をオーブンで焼いたもの)やステークアッシェ(ひき肉をハンバーグのような形にして焼いたもの)などのシンプルなものがある時には、食べていたようですが、まったく、無残なものでした。

 だいたいにおいて、私は、家にあるものを適当にお弁当にして、職場に持って行っていましたし、主人の職場にも、キャンティーンがありましたが、これまた、公務員価格で破格に安いお値段で、結果的に、娘のお昼ご飯が一番、高かったのです。

 しかも、ロクに食べないのですから・・。

 それにしても、彼女は、クレッシュ(保育園)から、小・中・高プラス、プレパーの2年間、そして現在のエコールを合計して20年近くもキャンティーンの昼食を食べ続けているのです。

 それでも、ずいぶん、キャンティーンの食事も食べられるようになったし、大きくなれば、ある程度、自分で選ぶことができるので、ずいぶんマシになったと思っていたのです。

 ところが、彼女は、「今年からは、キャンティーンはやめた!自分で、お弁当を持って行くことにした!」と言い始めたのです。

 今は、一人暮らしをして、自分でお料理をしている彼女ですが、ロクに食べられないものにお金を払うより、確実に食べられるものを自分で持って行くほうが経済的だし、キャンティーンで並ばなくてもいい、と言うのです。

 自分で作るのだし、まあ、それがいいのなら、そうしたら・・と言っていますが、結局、娘は、20年間のキャンティーン生活を経てもなお、キャンティーンの食事には、一向に馴染まなかったのであります。