2019年9月4日水曜日

フランス人の夫のヤキモチ




 以前、同じ会社に勤めていた30代半ばくらいのロシア人の女性の同僚がいました。

 彼女は、結婚していましたが、まだ、子供はおらず、退社時刻になると、毎日、毎日、少し年の離れたロシア人のご主人が会社までお迎えに来るのでした。

 普通なら、子供がいてもおかしくない年代で、もし、そうなら、普通は、自分が子供を迎えに行く立場です。

 まあ、子供もいないことだし、ご主人が毎日毎日、お迎えに来ると言うことは、さぞかし夫婦円満で、ラブラブなのかなあと思っていました。

 でも、日を重ねるに連れて、周りのみんなも、いくらラブラブでも、毎日、お迎えって、なんか、ちょっと、じと〜っとしたものを感じるね・・と言い始めました。

 私も、家に帰って、彼女のお迎えの話を主人にしたところ、” それは、間違いなく、ジェラシー、物凄く嫉妬深い男なんだよ!” と即答していました。

 そんな夫も、けっこう妙なヤキモチの焼き方をする人で、一緒に外出したりして、周囲の人が私のことを ” ちょっとあの子いいね!" などと、褒めてくれたりするのをとても、めざとく聞いています。

 お世辞半分なことにも、とても、敏感に反応して、喜んでみたかと思うと、勝手に、それがヤキモチに変わっていたりするのです。

 私が、娘と二人で楽しそうにしていたり、友達と電話で話したりしていても、除け者にされた気がするのか、ちょっかいを出してきたりします。小学校5年生男子くらいのレベルです。(失笑)

 以前、私が、お気に入りだった日本の俳優さんのドラマのDVD を友人に借りてきては、家でよく見ていたことがありました。

 最初は、私は、何も気にせずに、ウキウキしながら、楽しく見ていたのですが、そのうち、私がそのドラマを見ていると、主人の機嫌が露骨に悪くなるようになりました。

 なんと、主人は、その俳優さんにヤキモチを焼いていたのです。

 それからというもの、私は、なんだか、こそこそと、悪いことでもしているように、DVDを見るようになってしまいました。

 DVDを見ている最中に主人が帰ってくると、” あ!パパが帰ってきたよ!” と娘まで気を使うようになる始末。

 ある日、主人が、何やら思いつめた様子で、私のところにやってきて、” 食事だけなら、僕が招待するから、行ってきてもいいから・・” と言い始めたのです。

 最初は、なんのことだかわかりませんでした。

 しかし、すぐに、それが、あのドラマの中の彼であることがわかって、返す言葉も見つかりませんでした。

 本当に、できるものなら、彼と一緒にお食事に招待していただきたいものです。

 












 

2019年9月3日火曜日

フランス人は、不器用なのか?



子供が小さい頃は、やたらと頻繁にお呼ばれするお誕生日会。
その度に、プレゼント持参で、何かと気も使うし、お金も使います。

 ある、お誕生日会に行く時に、娘のお友達と、そのママ友と一緒に行こうということになり、私たちは、すでに、プレゼントは、用意していたのですが、そのママは、まだプレゼントを用意していなかったので、プレゼントを買いに寄りたいから、一緒に付き合って!というので、おもちゃ屋さんに一緒に寄りました。

 プレゼントを選んで、会計を済ませて、急いでいるから(プレゼント用に包装を頼むとすごく時間がかかって、待たされるので)自分で、包むからと言って、包装紙をお店でもらって、プレゼント用の包装を始めたのです。

 (日本は、とかく、包装過剰と言われますが、フランスでは、特別に頼まないと包装はしてくれません。)

 そのおもちゃ屋さんには、自分でパッケージする人のためのスペースも設けられていました。

 一応、子供用とはいえ、プレゼントなのですから、私は、家で、工夫して、可愛いリボンなどをつけて、パッケージをしてきていました。

 ところが、そのママさん、(ちなみに彼女の職業はお医者さんです)、なんとも、雑!
ハッキリ言って、キタナい!とりあえず、包む・・という感じなのです。

 せっかくのプレゼント、紙は歪んで、テープも斜めにはみ出しでいます。
 それでも、本人は、さっぱりしたもので、” ハイ!出来上がり!じゃあ、行こうか!”と 言うので、” それ、ちょっとヒドくない?” と言うほどには、親しくもなかったので、この人、ホントにお医者さんなの?と、ただただ呆気にとられたものでした。

 また、フランスでは、教科書を借りるという形を取っているため、年度始めには、本を汚さないように、その年に使う、全ての本にプラスチックでカバーをしなくてはなりません。
 年度終わりには、そのプラスチックを剥がして、返却しなければならないからです。

 これは、フランスでは、子供が学校に行っている間の年中行事のようなものです。

 これも、いつだったか、娘のお友達が家にやってきて、一緒にやったことがあるのですが、これまたヒドい!何だかうるさい小姑のようですが、返す時に本をキレイな状態のまま、返すのが目的なのに、プラスチックをかける段階で、もう、すでに本にダメージを与えている感じなのです。

 キレイにきちんとやろうという気持ちがないのか? はたまた、不器用なのか?
 あまり、細かいことには、こだわらない、よく言えば、大らかなのです。

 しかし、おしゃれには、気を使うのに・・。

 大して、几帳面でもない私でさえ、こんなの、日本人だったら、ありえない・・と思うのですが、それで、何の問題もないのがフランス。

 まあ、それくらいのユルさが、今の日本には、必要なのかな?と、頭をかすめたりもするのであります。












2019年9月2日月曜日

フランス人特有のジェスチャー




 以前、日本人だけれど、お父様が外交官だった関係で、世界を転々と暮らし、ほとんど日本に住んだことがない、海外暮らしの長い、従兄弟の奥さんに会った時、彼女は、日本語が苦手で、あまり、周りの日本人と話そうとしませんでした。

 彼女の両親は日本人なので、日本語もわかるは、わかるのですが、どうも、話す方は、あまり、自信がなかったようです。

 しかし、うちの娘が相手だと、娘も似たような立場だったこともあって、まだ小さかった娘を相手に、日本語で話をしてくれていました。

 彼女は、普段は、英語圏で暮らしているので、母国語は、英語なのですが、フランスでも暮らしていたことがあったらしく、そんな彼女が私に言いました。

「お嬢さん、日本語も上手だけど、日本語を話していても、身振り手振りがフランス人でかわいい!」と。

 世界を転々としていた彼女だからこそ、娘の身振り手振りがフランス人特有のものであることに、すぐに気が付いたのです。

 それまで、私は、毎日、あたりまえのように、娘と過ごし、周りのフランス人とも普通に接していて、フランス人独特のジェスチャーというものを、特に意識はしていなかったのです。

 ところが、考えてみたら、フランス人のジェスチャーは、第二のフランス語ともいうべく、共通にフランス人が使っているものであったのです。

 きっと、日本で一番有名な、フランス人のジェスチャーは「ノンノンノン!」と垂直に伸ばした人差し指を左右に振る相手の発言を打ち消すポーズかもしれません。

 また、「アタンシオン!(気をつけなさい!)」など、相手に注意を促す時には、同じく垂直に伸ばした人差し指を相手に向けて、2〜3回、縦に振ります。
 きっと、慣れていない人は、威圧感を感じることでしょう。

 「まあまあ・・・」特に良いとも悪いとも言えない時、「コムスィ・コムサ」、ギリギリ、スレスレであることを示す時には、「セ・アンプ・ジュスト」と指を伸ばした手のひらを下に向けて、右に左に幾度か半回転させます。

 きっと、フランスの街中で、何かを尋ねた時、一番、多く目にする機会があるのは、口をちょっとすぼめて、両肩をすくめるようにちょっと上げて、両手の平を上にして、相手に向けるポーズ。

 相手や自分の期待通りにできない状況に置かれて、仕方がないと諦めたり、「ジ・プ・リアン」「セ・パ」など、どうしろというのだと開き直るポーズでしょう。

 その開き直るジェスチャーなどは、フランス人の感じの悪さをより一層、引き立てている気がします。

 とにかく、フランス人は、話をする時に身振り手振りが多く、そのひとつひとつに言葉なみの表現が含まれていて、気をつけて見ていると、とても、面白いものです。

 だから、娘のように、たとえ、日本語を話していても、言語自体は切り替わっていても、身振り手振りは、フランス仕様のままという現象が起こるのです。

 フランスに長く生活している方や、バイリンガルのお子さんなどは、日本語を話している時にも、無意識にフランス仕様のジェスチャーになっているかもしれません。

 「知らない!」と思ったりした瞬間に、両肩をすくめて上げたりしていませんか?

 私は、時々、そんな自分の無意識の動作に気づいて、ハッとしたりしています。
 

 


































 

2019年9月1日日曜日

ピンクのお年頃


ピンクが何より好きだった頃の娘


 3〜4才くらいの女の子にありがちの、とにかく可愛くしたい願望。

 髪の毛を結んで欲しいとか、こんな洋服が欲しいとか、こんな組み合わせにしたいとか、とにかく世界で一番、かわいくしたいと思っている、ちょっぴりナルシストが入った微笑ましくも厄介なお年頃です。

 そんな中でも、彼女は、色へのこだわりが強く、色の組み合わせにもうるさく、とにかく、基本、ピンク色のものがお好みで、また、あま〜い、日本にいるマミー(おばあちゃん=私の母)などが、娘がピンクが好きだということを知ると、ピンク色のものをせっせと送ってくれたりしていたので、娘のピンク狂に拍車がかかることになりました。

 なにかというと、” ローズ "。(ピンク色のことをフランス語では、”ローズ”と言います。)その頃の彼女から、自信満々の ”ローズ!" という言葉をどれだけ聞いたことでしょう。その頃の彼女の持ち物は、何から何までローズで、彼女の部屋はピンク色のもので溢れていました。

 また、洋服の組み合わせにも強いこだわりがあって、毎日の洋服は、自分で選び、自分で着たい年頃でした。

 それは、スカート、Tシャツ、セーターから、靴下、タイツ、靴からパンツに至るまで、何やら自分で好きなようにコーディネートをしたがっていたので、私も彼女のやりたいようにさせていました。

 とはいえ、まだまだかわいいもので、洋服の着方などは、親に言われたとおりに素直に従っていました。

 例えば、どんどん成長して、洋服も、あっという間に小さくなってしまうため、私は、セーターなどの比較的、融通のきく服は、いつも大きめのものを買って、腕まくりをさせて着させていました。

 なので、たまにちょうどいい袖丈の服を頂いたりすると、” ママ!これ、折るとこないよ!” などと、言い出すので、苦笑してしまうこともありました。

 それは、日本に一時帰国した際に、親戚の家に出かけた時のことでした。
日本に持ってきている限られた服の中から、彼女は、自分で服を選んで、自分で着替えて家を出たのです。

 家の中で、おてんばを始めた娘に、睨みを効かせた時、私は、目を疑ったのです。

 おてんばをして、チラッとスカートがめくれたのです。
 
 なんと、彼女は、スカートとパンツの色が合わないからとパンツを履いてきていなかったのです。慌てて、叔母が買い置きしてあったパンツを借りて、履かせて、” いくら色が合わないからといっても、パンツは履いてでるもの!” と言い聞かせたのでした。

 ピンクを世界一かわいい色だと信じて、世界一可愛くしたいと思っていた彼女は、色のあうパンツがないからといって、パンツを履かずに出かけてしまうという奇行に走ってしまったのです。

 大きくなった今はもう、彼女のワードローブは、地味な色の服が大半をしめ、逆に、私がたまには、いいんじゃない?と頼んでも、彼女はピンクの服などは、着てはくれなくなりました。

 ピンクへの憧れは、多くの女の子が通る、あの年頃の麻疹(はしか)のようなものだったのかもしれません。










2019年8月31日土曜日

パリの日本人コミュニティ




私の元同僚の日本人の女性に、パリ近郊に住みながら、日本にどっぷりと使ったような生活を送っている人がいました。彼女は、アラブ系の男性との国際結婚でフランスにやってきたのですが、在仏歴30年以上になります。

 もうすでに、リタイアしていていますが、今でも付き合う人は、ほぼ、日本人で、彼女は、パリの日本人コミュニティーの中で暮しています。

 そんな彼女は、パリの日本人コミュニティの中では、顔も広く、日本人エリアと言われているオペラ界隈を歩けば、数メートルごとに知り合いの日本人に出くわします。

 彼女のバイブルは、日本の週刊誌。日本を行き来する知り合いから手に入れては、大事そうにいつも週刊誌を何冊も抱えています。

 人当たりもよく、とても、親切でいい人なのですが、口を開けば、人の噂話なので、私は、あまり、親しくなることは、ありませんでした。

 私の数少ないパリでの日本人の友人が亡くなった時、私は、その当日に彼女の訃報を聞いて、病院に駆けつけて、霊安室で長いこと、二人きりでお別れをさせて頂き、精神的にもかなり、参ってしまったので、その日の夜のお通夜には、遠慮させていただくことにしていました。

 ところが、日本から駆けつけていた彼女のご家族が、彼女のお通夜がわりにフランスで、彼女の知り合いだった日本人の人とお食事をしたいと仰っているから、ぜひ、来て!と、彼女と共通の友人から連絡があり、重い腰をあげて、出かけて行きました。

 亡くなってしまった友人は、あまり好んで日本人と付き合うタイプでもなく、友達を混ぜるタイプの人ではなかったので、集まった人たち同士は、それほどお互いを知る訳でもなく、ワインが好きだった彼女のさし飲み友達数名だったようです。

 それでも、世間は、狭いもので、そこに来ていた初対面の女性が、たまたま、私の仕事で関係のある方と知り合いだったりして、その方の生活ぶりなども話題に上がりました。

 その方も、もうリタイアして、長い、在仏歴も長い女性だったのですが、日常、ほぼ、毎日を日本人の友人だけで集まって食事をしているといい、それが、この上なく、楽しいのだとか・・。

 まあ、彼女たちは、長い間、フランスで働いてきて、年金もフランスから支給されていますから、老後をパリで日本人の気のおけない友人と楽しく暮らすのもまた、一つの生き方かもしれません。

 フランスに住む日本人の数は、約3万人と言われています。
その過半数は、パリ、パリ近郊に住んでいるのです。

 フランスの美しい街並みやイメージに憧れて来た人から、日本が息苦しくなって、飛び出てきてしまった人、芸術を志してきたけれど、現実には、それが生業にはならずに他の仕事についている人、志を持って、仕事をしにきている人、留学生、研修生、ワーキングホリデー、国際結婚など、フランスに住む日本人は、多種多様です。

 私自身は、フランス人との国際結婚でフランスにおり、子育てと仕事でいっぱいいっぱいで、ほぼほぼ、仕事場と娘の学校と家の往復。休みの日も家族と過ごすことがほとんどで、もともと、人とつるむこともあまり好きではないので、日本人とのお付き合いはほとんどありません。

 ですから、そんな風に日本人コミュニティーにどっぷり浸かっている人が結構いて、そんな生活をしている人の話を聞く機会もほとんどありませんでしたので、こういう生活をしている人もけっこう、パリにはいるものなのだなあと思ったものです。

 パリは、美しい街で、華麗なイメージの国ですが、反面、不便なことも多く、フランス語、フランス人の中に溶け込んで暮らすのは、かなりハードルの高い国でもあります。

 そんな中で、暮らす日本人の暮し方も様々で、日本人との繋がりで生きている人もけっこういるのです。


 








2019年8月30日金曜日

フランスのシェアハウスでいつの間にか寮長のようになっていた娘




 娘は、昨年から、自宅から通学が不可能な場所にある学校に入学したために、生まれて初めての一人暮らしを始めました。

 一人暮らしといっても、シェアハウスのようなところです。

 大家さんが階下に住んで、一応の監督下にはあるものの、シェアしている上の階は、別になっています。

 上の階には、部屋が5つあり、それぞれの部屋には鍵もかかり、個人のスペースはプライバシーが保たれるようになっていますが、キッチン、バスルーム、トイレ、テラス、洗濯物を干したり、アイロンをかけたりする部屋は、共有となっています。

 娘以外の4つの部屋には、男性4人が住んでいて、

 1) 31才のフランスの大手企業の経理の仕事をしている社会人。なぜか、冷蔵庫の彼のスペースには、大きなペットボトルに入った水だけ。
 冷やした水だけで、水風呂に入るというこだわりを持つわりには体臭がきつく、毎朝、毎晩、壁越しにも聞こえるような大きな深呼吸を続ける健康法実践者。

 2)23才の縫製の専門学校生、でも学校には、ほとんど行っていない。でも、将来は、スケボーのウェアのブランドを作りたいという人。ウーバーイーツのアルバイト中。でも、マリファナを使用していることが発覚し、大家さんから、お母さんにマリファナのことを注意されて、大家さんと大げんかして退去。

 3)25才 当初はカーフールの夜中の在庫整理のアルバイト。でも、契約が切れて、契約延長されずに、うちでダラダラと無職。

 4)32才 将来は、映画監督志望の映像関係のAD、シナリオライター。
ヴィーガン、オーガニック、出張が多く、あまり家にいない。

 娘は、高校卒業後、一人暮らしを始める前の二年間は、クラス・プレパラトワール・オ・グランゼコール(グランドエコールのための準備機関のような学校)に行っており、とても授業の進み方が早く、かなり、根を詰めて勉強していたため、私自身もこの2年間だけはと娘に家のことはやらせずに過ごしてしまっていました。

 そのため、一人暮らしで、まあ、なんとかなるだろうとは、思いつつ、内心では、一体どうなることやら?と思っていました。

 最初の引越しの時だけは、私も引越しを手伝いがてら、大家さんにも挨拶をして、一応、どんな環境なのか、様子を見てきましたが、同居人たちは、その時は不在で会うことはできませんでした。

 娘も新生活を始めて、しばらくは、お料理をするにも、ラインで、”肉じゃがってどうやって作るの?” とか、出来た料理の写真を送ってくれたりしていました。

 そして、新しい学校に通い始め、自分の生活も動き始めた頃に、少しずつ、同居人の様子が見え始めたようでした。

 周りは、全てフランス人のしかも、彼女より年上の男性ばかりです。

 しかし、他人と生活したことのなかった彼女の中には、共同生活の不満がムクムクと湧き上がってきたようです。

 ゴミをちゃんと捨てない。大きな音で音楽を聴く。食器、調理器具を洗わない。片付けない。一応、共同スペースの掃除は交代で週末にやることになっているのにやらない・・などなど・・。

 そこで、黙っていないのが、フランスで育った彼女のたくましいところです。

 年上の男性たちに向かっても、臆することなく、掃除をサボった人には、きっちりと注意し、当番制を徹底し、トイレットペーパーや共同で使うものの買い物のお金の徴収や分配をしたり、WIFI の契約を一本化して、みんなで分配して支払うことにしたりとシェアハウスを仕切り始めたのです。

 そして、半年も経つ頃には、彼女は、いつの間にか、そのシェアハウスの寮長のような存在になっていました。

 「掃除当番を苦しい言い訳をしながら、なんとかサボろうとする人に、感情的にならずに注意するのに、苦労をしたんだ。本当は、どなりつけたかったけど・・。」と言う彼女は、家にいたままでは、学べなかったことを学び、社会への一歩を踏み出した自信を持ち始めていました。

 しかし、家に帰ってくると、相変わらず、な〜んにもせず、そんな、寮長ぶりを私には、微塵も見せてはくれないのです。

 

 




2019年8月29日木曜日

フランスのテロの報道と対応




 私は、日頃、あまりテレビを見ないので、フランスで、テロなどの事件がおこったりしても、日本にいる友人などからの、” 大丈夫?” というメッセージで、初めて事件を知り、慌ててテレビをつけたりして確認したりすることも少なくありません。

 大概、日本の報道は大げさで、独特で不安を煽るような報道の仕方をするので、実際には、現地では、そんなに騒いでいないのに・・ということも多々あります。現地では、よほどでない限り、日本の報道のように過剰に反応することは、ありません。

 でも、2015年に起きたパリ同時多発テロが起こった時には、さすがにフランス国内も震撼とし、少しのことでも過剰に反応し、ピリピリとしていました。

 あれは、2015年11月13日、パリ市街と郊外のサン・ドニ地区において、複数のイスラムの戦闘員と見られる複数のグループによる銃撃や爆発が同時多発的に発生し、死者130名、負傷者300名以上を出した大事件でした。

 ちょうど、金曜日の夜だったこともあり、逃走したと見られる犯人がなかなか確認されなかったこともあり、土日にわたり、政府が外出を控えるように声明を出したりする異例の事態で、土日は、家にこもって、テレビの報道を固唾を呑んで見守っていました。

 翌週の月曜日に出勤するために、外に出るのも、なんだか少し怖かったことを覚えています。

 その後、しばらくの間は、パリの街は人出も少なく、ゴミ箱が撤去されたり、四六時中警官や長い銃を持った憲兵隊が巡回していたり、駅でも不審物が見つかるとすぐ閉鎖されたりと緊迫した状態が続いていました。

 私の職場は、パリの中心の大きな通り沿いにあったのですが、ちょうどその建物の前にバス停がありました。

 ある時、大勢の警官が、「この建物から、一刻も早く、退去して、出来るだけ遠くに走って逃げてください!!」と大声をあげながら、突入してきて、慌てて、取るものも取らずに、みんなで汗だくになって、走って逃げたことがありました。

 職場の同僚と共に、一体、どこまで逃げたらいいのか、わけもわからず、とても不安な思いをしました。

 ちょうど、一台のバスがそのバス停で停まったところで、バスの中で不審物が発見され、爆発物と判断されたのだそうです。

 結局のところ、それは、ただの乗客の忘れ物だったようで、事無きを得ましたが、後から考えてみると、なぜ、先にバスからその不審物を撤去してくれなかったのか? もし、それが、本物の爆発物だったとしたら、パリのど真ん中で、沢山のガソリンを含んだバスごと爆発して、大炎上していたはずです。

 危険物から離れるというのもわかるのですが、後になってから思うと、妙な対応だと思ったものです。

 長くパリにいると、色々なことに遭遇するものです。