2023年6月16日金曜日

パリのメトロ4号線トンネル内ブロックでパニック状態の大混乱

  


 パリのメトロはよく止まるので、それがたとえ、トンネル内であろうと、そんなに驚きはしません。たいていは、しばらく止まっても、少したてば動き出すし、その時の情報はあまりあてにならないのもわかっているので、たとえ、「プロブレムテクニックでしばらく停車します!」などとアナウンスがあっても、その直後にいきなりドアが閉まって動きだすこともあるので、運よく駅に止まっていても、とりあえずは、そのまま、しばらく我慢して、様子をうかがってみます。

 朝の通勤時間帯だったりすると、皆が遅刻を知らせる電話をしたり、メッセージを送ったりし始めるので、しばらくは、「まあ、みんな慣れたものだな・・」と大して怒りもせずに、淡々とやることを済ませていく様子をなんとなく観察しています。

 時には、駅ではなく、トンネル内で止まってしまうこともあるため、そんな時は止むを得ずに、車内に留まりますが、それとて、ふつうはそんなに長い間のことではありません。

 それが、先日、パリのメトロ4号線で、多くの乗客の帰宅時間帯に電車が止まってしまい、ちょっとパニック状態に陥りました。普段、たびたび止まるパリのメトロにも、日常の彼らの感情的な爆発のさせ方を思うと、比較的、怒っている人が少ない印象を受けるのですが、今回ばかりはちょっと違ったようです。

 それもそのはず、当日のパリは午後の気温が31℃まで上昇する熱波の中、数百人の乗客が2時間近く、オーブンの中のような電車の中に閉じ込められることになり、暑さが怒りに火をつけるかたちになり、パニック状態になりました。

 今回のメトロのブロックは、複数の問題が重なったもので、結果的に最悪の状況を引き起こした模様です。最初は午後6時頃に、信号機の故障により、部分的に自動化されている4号線の南部で最初に交通が減速していきました。

 その後、ポルト・ド。オルレアンとモンパルナス間のネットワーク全体が混乱し、列車の損傷が起こり、シテ駅で乗客がバッグをドアに挟み込み、警報が鳴り響き、これらのいくつかの事故が重なって、ついには、トンネル内で列車5本がストップしてしまいました。

 ブロックしてしまったメトロの車内では、詳しい説明もあまりなく、この暑さは乗客の不安と怒りを煽りたて、メトロの中は赤ちゃんが泣き出したり、1時間を過ぎたころから、子供だけでなく大人たちも怒りはじめ、全てを壊してやる!と警察に通報する者まで現れ始め、カオス状態になりました。

 立往生している車内には冷房もなく、暑さの中、水もなく、何よりも、いつ、復興するかわからない状態に人々の不安と怒りは増すばかりで、そのうち、メトロのドアをこじあけて、脱出し始める人が現れました。


 こうなると、メトロを動かすことは不可能で、警察も出動して、どうにか怒りまくりながら、線路を伝って避難する人々を落ち着かせようとしましたが、パニック状態になった乗客の怒りは鎮まりません。

 フランス人は、日本人のように我慢強くはないのです。

 もしも、自分がこんな長時間メトロに閉じ込められたら、どうするだろうか?と考えますが、私だったら、多分、周囲の人の様子をうかがって、やっぱり、同じように線路を伝って歩くだろうな・・と思います。

 場所にもよりますが、パリのメトロは比較的、一区間が短いところが多いので、次の駅まで歩ける距離であることも多いのです。

 一度、12号線が止まって、線路の上を歩いたことがありましたが、その時は、無理やりというより、運転手さんが乗客が線路におりるためのハシゴをかけにきたので、どちらかといえば、誘導された感じでした。

 いずれにしても、そんなに珍しくないパリのメトロの不通にしても、この暑さの中、2時間という長時間にわたり止まってしまうとは、困りもの・・拷問です。

 この日は、13号線にも事故があり、全線不通となったとかで、年々、着々と値上げしながら、なにかといえば、ストライキのRATP(パリ交通公団)、まずは、トラブルを軽減する努力はもちろんのこと、トラブルが起こった際のマニュアルくらいは用意してもらいたいものです。

 RATPは、今回は「異例の事件」であり、内部調査を始めると説明しています。

 過去には、2018年夏に、やはり自動運転化されている1号線で故障が発生し、過熱状態で数千人の乗客が通行できなくなったという記録が残っています。

 パリのメトロは夏に弱いのかも?


パリ4号線トンネル内2時間足止め


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2023年6月15日木曜日

3ヶ月待たされた医者の予約から、またさらに2ヶ月待ちの検査

  


 そもそも、今回の私の一連の医者・検査通いは、主治医に「あなた、しばらく心臓専門医にかかっていないから、そろそろ、またチェックしてもらった方がいいわよ・・」と言われて、そのために、まず血液検査をしたことから始まりました。

 私には、特にどこか体調が悪いといった自覚症状などはなく、まあ、ざっくりした定期健診のような気持ちでした。

 ところが、血液検査をしてから、心臓専門医に予約を入れようとしたところ、3ヶ月待ちということがわかり、血液検査の結果を持って、とりあえずは主治医のところに行ったのです。すると、肝臓の数値が悪いということで、心臓専門医にかかる前に別の検査をすることになり、今回の予約は、待たされることを覚悟してすぐに予約。

 しかし、こちらのエコーの検査も結局、1ヶ月ほど待たされましたが、検査の結果、多少、問題はあるものの、取り立てて深刻な状態ではなく、次の心臓専門医の診察を待っていました。

 そして、先日、ようやく心臓専門医の診察の日を迎え、予約の時間どおりに行くと、けっこう待たされたのちに、ようやく診察室へ。待合室は、心臓専門ということもあるのか、極度の肥満体型の人や、鼻から酸素の管を通していて、機械を引きずりながらやってきている人などもいて、ちょっとなかなか、普通のお医者さんの待合室とは違う感じでした。

 実は、これまでかかっていた(といっても2~3回かかっただけなのですが、)お医者さんが、あんまり好きではなくて、医者とも相性というものがあるかな?と、今回は、別の医者を紹介してもらったために、彼女とは初めての診察でした。

 血液検査の結果を見せながら、最初は問診から始まりましたが、彼女は、音声入力をしているらしく、どうにも要領がいいんだか悪いんだか・・と思っていたところ、「上半身だけ脱いで、そこに横になってください」と、言ってから、「ちょっと息子の学校のレターを見なくちゃいけないから、ちょっと待ってくれる?」とまた、この医者もまたハズレの気配・・。

 「それ、診察中にどうしてもやらなきゃいけないこと?」とちょっとムッとしつつ、こちらには、選択の余地がありません。数分後に診察が始まったのですが、結局は、まあ、今、飲んでいる薬の処方は変える必要はないけど、ちょっと別の検査もした方がいいでしょう・・?と。

 内心、「え~~?また、検査?」と思いつつ、検査をした方がいいと言われて、それを無視するほどの度胸もなく、結局、また別の検査の予約を取ることに。

 しかも、先生のご提示になられた検査はどこでもやっている検査ではないらしく、パリ市内のいくつかの検査機関を紹介してもらいました。さっそく、予約の電話を入れると、その検査は、ちょっと複雑だから、予約には、ここに来てもらわないと・・と言われて、もう一気に済ませてしまいたい私は、電話を切るとすぐに直行。

 そして、予約がとれたのは、またさらに2ヶ月後の8月のこと。しかも、その前にまた、「血液検査をして、薬局で検査に必要な薬剤?を調達して、持ってきてください・・」と。

 こういうのは、フランスではめずらしくないことで、コロナウィルスの時などは、ちょっと例外的でしたが、必要なものは自分で調達して医者に持参するというのは、よくあることで、特に、あまり一般的ではない検査やワクチン接種などの場合は、医者が在庫をかかえることもなく、合理的といえば、合理的でもあります。

 しかし、日本のようなシステムの中で生活してきた者としては、なにからなにまで自分で用意して、しかも、あちこち違う場所に検査に行って、その結果を持って、また別の医者に行くというのも医者の側からしたら、合理的ではあっても、個人的にはけっこうな時間と労力がかかります。

 そのうえ、予約がいちいち数ヶ月待ちともなれば、なんのためにやっているのか?だんだん、検査といっても緊張感がなくなってきました。

 どこでもやっている検査ではないと聞いた時から、覚悟はしていて、驚きはしなかったものの、またさらに2ヶ月待ちとは・・。一体、いつになったら、スッキリできるんだろうか?と、もうゲンナリ・・。

 私一人でさえも、一度、足を突っ込んだばかりに、こんなに、あちこち行くハメになるのだから、どこの検査機関に行っても、医者に行っても、長い長い予約待ちと大勢の人がいるのも頷けるような気がしてきました。

 もうこれで、約半年間、検査や医者通いが断続的な状態で続いています。もう、こうなったら、年内に片が付いてくれれば・・と全然、期待しないように、さらにこれ以上の最悪のケースをも想定することが、精神衛生上よいかと思い始めています。

 とりあえずは、そんなに急がないということは、そこまで深刻な状態ではないんだと思いたいです。


検査予約 


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2023年6月14日水曜日

パリが暑くて・・今後、パリはスペイン南部のセビリアのような夏になる?

  


 今年のパリは、5月の半ば頃まで、けっこう肌寒い日もあったりで、今一つ、お天気もよくなくて、たまに晴天の日があったりすると、この出不精の私でさえも、せっかくお天気がいいんだから、どこかにでかけなくちゃ損!みたいな気がして、無理やりに何かにかこつけて出かけたりしていたほどでした。

 それが、個人的には、ちょうど娘が日本からやってきた頃から、お天気も良くなり始めて、「ちょっと前までお天気も悪くて、肌寒いくらいだったのに、ついてるね・・」なんてことを言ったりしていました。

 そして、なんやかやとバタバタしている間にあっという間にパリは「お天気がいい・・」を通り越して、夏のようになり、こうなってくると、もう陽ざしが夏・・というか、真夏のようで、もうヘロヘロしながら日陰を探して歩くようになっています。

 特にここ数日は、30℃を超える日が続いていて、早くもちょっと夏バテ気味です。

 以前は、7~8月の真夏がこんな感じだったな・・と思いつつ、今はまだ6月。今からこれでは、全く、先が思いやられます。なにせ、年々、体力が衰えているうえ、今年はイタリアに行って食べすぎた分を歩いたり、運動したりして、なんとか回復しなければならないのに、この暑さでは、せっかくの志が萎えてしまいそうです。

 それでも、湿度は比較的低いので、日陰に入れば、なんとか凌げないほどではないのですが、なんといっても、メトロやバスなどの公共交通機関は冷房車に当たる可能性が低く、運よく冷房車にあたることもあれば、今日などは、一度も冷房車には遭遇しませんでした。

 この暑さで密閉空間になるメトロやバスは、そもそも気温が高くなっているうえに、乗車している人々の体温がさらに熱気を煽り、冷房なしだとかなりキツいです。

 昨年は、5月に記録的な熱波とかで、5月の段階ですでに30℃近い気温になっていましたが、今年は、その期間は、むしろ寒いくらいだったので、逆にその落差が身体にはキツいです。

 以前は、一年で苦しいほど暑いのは、せいぜい真夏の1週間くらいのことで、それさえ乗り越えれば、夏は楽勝だったパリも暑い時期が長期化して、夏も辛くなりました。

 とはいえ、日本のように湿度が高くはないので、その面ではまだ少しはマシな気もするのですが、ここ数日は連日30℃超えで、これがまだ、しばらく続き、少なくとも夏至までは、気温は下がらないというので、なかなか、ウンザリしています。

 本来ならば、6月はジューンブライドと言われるくらい、最も気候の良い時期だったにもかかわらず、これでは、結婚式には、あまりふさわしくない汗だくの季節になってしまいました。

 この熱波は、高気圧異常の結果であり、地球温暖化に伴い、熱波は今後さらに増加することが予想されており、 パリでは、今後数年間の気温がスペイン南部のセビリアに似てくる可能性があると言われています。

 このため、パリ市の一部の商店などでは、お水の提供をするサービスなどを始めたりもしています。夏の異常な暑さは年々、エスカレートするばかり、まだまだ、パリでの夏の異常な熱波への対応は追いついていない気がしますが、最近はルート検索アプリなどでも、冷房車をチェックできる機能が追加されているものなどもあって、涼しい電車やバスを選んで移動することも可能になっています。

 日本だったら、ほぼ全てが冷房車なので、こんなアプリもいらないですね・・。

 来年のパリオリンピックを控えて、この暑さ対策は益々、急務になっていると思われますが、まったく、一年を通して、最もスポーツには適さないような真夏の暑い時期にオリンピックをやるのか? オリンピックは誰のためにやるのか?と、最近、よく言われているようなことを考えてしまいます。


パリ猛暑 異常気象


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2023年6月13日火曜日

フランスードイツ鉄道パス 18 ~ 27 歳の若者向けの無料鉄道チケット6万枚

  


 エリゼ条約およびフランスとドイツの和解 60 周年を記念して、フランスとドイツの若者・居住者(フランスもしくはドイツに居住する1996 年 7 月 1 日から 2005 年 12 月 31 日生まれ)に両国の鉄道を無料で利用できるパス 60,000 枚が提供されます。

 「えっ??ほんと?」と一瞬、図々しくも思いましたが、私は18歳~27歳でもなく、また、このチケットは発表から数時間で完売?(無料なのだから完売というのもおかしいが・・)してしまったようです。

 エリゼ条約とは、1963年フランスのシャルル・ド・ゴール大統領とドイツ連邦共和国 (FRG) のコンラート・アデナウアー首相の間で結ばれたドイツとフランスの間の協力条約で、この条約は、特に防衛、教育、青少年の分野における両国間の協力を強化するものだそうで、仏独協力条約とも呼ばれています。

 6万枚のチケットの内訳はフランス3万枚、ドイツ3万枚で、さらにフランスの3万枚のチケットのうち、半分の1万5千枚は、奨学生 10,000 人、職業訓練中の若者 4,000 人、機会の少ない若者 1,000 人 (JAMO) に割り当てられ、一般公募には1万5千枚というさらに狭まった枠だったようです。

 このチケットでは、1ヶ月以内の自分の好きな7日間、ICE 高速鉄道を含む、ドイツのすべての鉄道にアクセスが無料になり、この間、一度は隣国にも無制限に旅行できますが、TGV を利用する場合は、追加料金 20 ~ 30 ユーロが必要となります。

 とはいえ、TGVを使ったとしても20~30ユーロの追加料金のみで旅行できるなど、このバカンスシーズンに魅力的なチケットに違いありません。

 しかし、これは、単純に先着順ということであったため、アクセスが殺到し、サイトにはなかなか通じずに、やっと通じたと思ったら、もう締め切りになっていたという人が大多数だったようで、そんなに上手い話には、なかなかありつけないのが普通なのかもしれません。

 この発表は、フランスとドイツ間の鉄道網の発展を背景にした一種のキャンペーン的なものでもあり、パリとベルリンを結ぶ夜行列車が2023年12月から再び運行され、2024年には新たな直通高速鉄道リンクが両首都を結ぶことになるにあたっての序章のようなキャンペーンです。

 パリとベルリンの間に TGV と夜行列車の 2 本の直通路線が開設されることにより、フランスとドイツ間の鉄道接続は改善される見込みで、どちらも 2023 年 12 月に予定されています。

 私は何かと言えば、すぐに飛行機での移動手段をまず考えてしまうため、鉄道での旅行はあまりしたことがなく、フランス国外への旅行で鉄道を使ったのは、ユーロスターでロンドンに行くか、TGVでベルギーに行った時くらいですが、たしかに鉄道での旅というのも、趣きがあって楽しいかもしれません。

 先日、イタリア国内で、一部、鉄道で移動しましたが、全くアナウンスがないうえに、急にプラットフォームが変わったりもするので、ちょっと慣れないとドキドキではありましたが・・。

 また、あまりに早く締め切りになってしまった人々のために、運輸省は、大金をかけずにドイツを旅行する別の方法も紹介しています。

 それは、2023 年 5 月に導入されたドイチュラント チケットというもので、月額 49 ユーロで国内のすべての鉄道と公共交通機関を無制限に利用できます (ICE 高速鉄道を除く)。 ただし、国境を越える場合には使用できないそうです。

 また、逆に考えれば、フランスには、少なくとも3万人の若者がドイツからやってくるということで、何もパリとは限りませんが、こんなカタチで若者が行き来する機会が増えるのも、良いことかもしれません。

 旅が若者の成長を促すことはよく知られていますし、 友情を育むと付け加えることもできます。 仏独関係を祝うため、両国政府は若者向けに無料チケットサービスを設定することで両国間での鉄道旅行を促進したいと考えています。

 こんなキャンペーン?もなかなか粋な計らいではありませんか? 日本でも、どこかの国との共同で、若者向けのこんなサービス、あってもいいんじゃない?と思いました。


フランスードイツ間 若者向け無料チケット6万枚


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2023年6月12日月曜日

15歳の少女をメッタ刺し、生きたまま火をつけた未成年の男子に懲役18年の判決は妥当か否か?

  


 フランスに死刑制度がないのは、知っているし、私は死刑制度がよいことだとも思っていません。しかし、今回の判決には、被害者を全く知らない私でさえも、どうにも納得がいきません。思わず、「日本なら死刑だろう・・」と思ってしまったほどです。

 事件が起こったのは、2019年10月クレイユ(オワーズ県)でのできこと。当時15歳だった少女は、彼女のボーイフレンドに刺され、生きたまま火をつけられ死亡しました。彼女は妊娠しており、事件の2年前の2017年に最初の性的暴行を受けた被害者でもあり、そのうえ、その時の映像がネット上で流され、「軽い女」という評判を植え付けられ、モノのように扱われ続けていたと遺族の弁護士は語っています。

 事件の2日後にクレイユのプラトー地区にある庭の小屋の中で少女の焼死体が発見されたことで捜査が開始されましたが、犯行現場付近の目撃者の証言により、彼女のボーイフレンドであった当時17歳であった男性が逮捕されました。

 逮捕、拘留後、「自分の売春婦であったガールフレンドを殺害した」と自白。事件の2日前に彼女が妊娠したことを告白したため、それを受け入れることができなかったと語ったと言われています。

 検死の結果、遺体には少なくとも8~14ヶ所の刺し傷が確認され、直接の死亡の原因は、生きたまま顔を中心にガソリンをかけられ、火をつけ、焼かれたことに起因することがわかっています。ちょっと想像するのもおぞましいほどの残酷な殺人事件です。

 この事件は、容疑者が当時17歳という未成年であったことから、裁判もオワーズ県の未成年向け裁定裁判所において、非公開で行われました。裁判が開始すると、容疑者である男性は、一転して無罪を主張したそうですが、過去の自白や周囲の証言、状況証拠、また、事件の際に負傷したと思われる足の火傷などから、彼には懲役18年の刑が言い渡されました。

 事件の凶悪性、残酷性から、検察側は被告に対して、未成年者のための減刑措置を却下するように求め、懲役30年を求刑していましたが、これは却下されています。通常、フランスでの未成年者への懲役は最大20年とされているそうで、判決が18年ということは、その最大拘留にも達していないことになります。

 裁判は、非公開で非常に緊迫した状況の中での激しい双方の弁論により5日間にわたって行われ、陪審員の4時間にわたる審議の結果、判決陳述には報道陣や一般の人々にも公開されました。

 裁判が始まって以来、被告は事実を否認しており、「自分は無実だ!これは間違っている!」と主張して、18年の判決を不服としているようです。

 しかし、被告以上に不服なのは、被害者の家族の方で、「この犯罪で18年!これがフランスの正義なのか?」と憤りを通り越して、被害者の兄弟である男性は、被告とのあまりに緊迫した話し合いの最中に倒れ、救急車で搬送されています。

 同氏はソーシャルネットワーク上で「フランスの司法を恥じている!」と表明し、未成年者は成人と同様に処罰されないという未成年という言い訳が解除されていないことに憤慨する意見を発信しています。

 そもそも未成年とはいえ、17歳というギリギリの年齢(18歳で成人)のうえ、犯罪自体は成人も真っ青になるくらいの凶悪さと狂暴さと残酷さ。未成年として裁かれるべきかどうかは、甚だ疑問でもあります。

 この判決には、様々な意見が上がっていますが、犯罪そのものは、充分に成人の犯した犯罪となんら変わることない(なんなら、一般的?な殺人事件以上にずっと狂暴)にもかかわらず、未成年扱いの求刑。

「司法は女性に対する暴力を甘く見ており、被告が未成年であるという言い訳を却下することを恐れたにせよ、最大20年にも及ばない判決は不当である」などと、否定的な意見も多く、また、被告がすでに3年半の公判前拘留中であり、今後の更生が認められるなどの恩恵を受ければ「8年以内に釈放されるだろう」という見方もされています。

 この見方が正しければ、現在、20歳の彼は28歳には、出所してくることになります。怖い怖い・・。

 公式統計によると、フランスでは3日ごとに女性が配偶者や元配偶者からの暴力で死亡していると言われており、「フランスはヨーロッパで一番、殺人事件が多い国」というのも、残念ながら納得してしまいます。

 

未成年の凶悪殺人事件に判決18年


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2023年6月11日日曜日

日本に帰っていった娘 親離れ・子離れ

 


 転職を機に、パリに一時帰国?していた娘が日本に帰っていきました。2週間程度の滞在でしたが、その間、彼女は時間を惜しんでパリにいる友人と会ったり、私とも一緒にパリで買い物して歩いたり、食事に行ったり、イタリアに旅行したりと私にとっても、楽しい時間でした。

 私は子育ての過程において、かねてから、子供は、ある程度の年齢になったら、家を出て、独立した生活を経験するべきだと思っていたし、娘の場合は、彼女のエコールがボルドーにあったために、以前にも1人暮らし(といってもシェアハウスのようなところでしたが・・)をしていた期間がありました。

 途中、パンデミックで予定が狂ったりして、海外への留学がキャンセルになったりして、その間は、ボルドーを引き払って家に帰ってきて、パリでスタージュをしたりしている間は、家に戻っていましたが、就職先に日本にある会社を選んだことで、パリの家からは、出ていくことになりました。

 彼女が最初にボルドーで一人暮らしを始めるときは、親元を離れて生活するということが初めてだったので、日本っぽいとか、少々、親バカかとも思いつつ、どんなところで彼女がこれから生活するのかも見ておきたかったし、大家さんにも一応、挨拶をしておこうと思って、日帰りですが、一緒についていったし、また、日本で生活を始めるにあたっても、日本には何度も行ったことがあるとはいえ、日本で生活するのは初めてのことなので、住民票のこととか、銀行のこと、また、空き家になっていた私の実家で生活するために、家に不具合はないかとか、周囲の親戚や、私の友人など、色々な人に一応、声をかけておこうと、親として、私が彼女にしてあげられる最後のこと・・と思って、最初だけ一緒に日本に行き、その後、私は1人でパリに帰ってきました。

 彼女が日本で仕事をし、一人暮らしを始めて、1年とちょっとが経ち、今回、彼女がパリに帰ってきて、普段、時々、電話で話したり、メッセージを送りあったりしているものの、ゆっくり話をするのは、久しぶりで、彼女の様子から、日本とフランスの違いを肌で感じながら、着々と1人での生活を確立していっている様子が見えて、もともとしっかりした娘ではありましたが、またワンステップ、人として、成長した様子が見えて、やっぱりよかったな・・とそんな気持ちでいます。

 経済的にも、今の彼女はけっこう稼いでいるにもかかわらず、旅行などはけっこうしているらしいものの、実生活は、かなりガッチリとしていて相変わらずのケチケチ生活をしているようで、そんなところも、自分の生活を自分で営んでいるところが垣間見えて、微笑ましい限りです。

 正直、夫が亡くなって以来、親一人子一人の生活をずっと続けてきて、私は、これまでは何よりも娘のことを優先に生活してきたし、当初は、私も自分だけのために何かをするというリズムをすっかり忘れていましたが、今では、すっかり自分のリズムで生活することに慣れてしまいました。

 多少、寂しい気もすることはありますが、やっぱり、ある程度の年齢になったら、親から独立することは、必要なことだと思っています。

 私が彼女くらいの年齢の時は、時代も国も違うので、必ずしも、比較の対象にはなりませんが、父親がうるさくて、女の子が一人暮らしをするとか、あり得ない感じだったし、夜、出かけるにも、旅行に行くにも、いちいち親がうるさくて、かといっても、なんだかんだいって、自分は親がかりの生活を抜け出す勇気もなかなかなくて、どこか不満に思いながらも中途半端だったなぁと思います。

 日本は成人しても親元に居続けることが珍しくもないし、親の方も子供を独立させたがらないので、その時は、そのことをあまり、おかしいとも思っていなかったのですが、こうして海外に出てみると、子供が成人したら、わりと普通に独立していくのを見るにつけ、ある程度の年齢になったら、男女問わず、親離れ・子離れしていくことは、親にとっても、子供にとっても、人間として大事な成長の過程であると思うようになりました。

 海外での子育ては本当に大変でしたが、思い返すと本当に楽しかったし、子供がいなければできなかったであろう、このうえない経験を沢山させてもらいました。本当に楽しかったし、子供を産んで育てるという経験ができて、本当に有難い経験でした。

 しかし、この先もズルズルと親も子も、もたれかかりあう生活はどちらのためにもならないとも思い、区切りをつけることも必要だと私は自分に言い聞かせるようにしています。

 私の両親はもう他界してしまっているので、私は親の介護という問題からも卒業?し、今のところは、私が介護してもらうような状態でもないので、今は私は一応、子育ても卒業し、自分自身の生活を有意義に過ごせるように楽しみながら生活し、娘は娘でこれから彼女が自分自身の家庭を持つまでは、独身生活を謳歌しながら送っていくと思います。

 もともと、私は、彼女が生まれた時から、娘には国際人になってほしいと思っており、彼女には、日本にも海外にも共通に存在する名前をつけました。日本語も必死で一生懸命教えてきたし(英語はほんの少しだけだったけど・・)、こうして、今、色々な国の人々と仕事をし、海外を自由自在に行き来している彼女の姿は私の理想にかなり近かったかもしれないとも思います。

 彼女の今回の来仏は、できるだけ安いチケットを探したと言っていて、ベトナム経由のフライトを選び、ついでにベトナムにも数日、滞在するとかで、その体力とバイタリティには、感心するやら羨ましいやら・・。今、私にもそんな自由はあるものの、とても体力的に無理になってしまいました。

 とはいえ、離れて生活している以上、いつ何があるかもわからないし、「あれが最後だった・・」なんてことにもなりかねないため、空港までは送って行って、「次は私が日本に行くね・・元気でね・・」とお見送りをしてきました。

 今回、彼女がパリに着いた時に、エスカレーターが壊れていて、「フランスに帰ってきたなぁ・・」と実感していた彼女でしたが、彼女を見送って、早々に電車で帰ろうとした私は、不審な荷物があるとのことで、空港の駅が閉鎖・・。

 どうにか、違う駅まで移動して、もう娘の飛行機は出ている頃だろうな・・ヤレヤレ・・と家に帰ってくると、娘からメッセージで「飛行機が遅れていて、まだ出ていない・・」と。飛行機は結局1時間半も遅れて離陸し、彼女は、行きも帰りもフランスらしさを満喫することになったようです。

 彼女の選んだフライトは、ベトナムエアラインで日本への直行便ではないのに、「日本人観光客がいっぱいで、乗り継ぎに間に合わなくなると日本人が騒いでいる!」と・・。

 多くの日本人観光客も同じエアラインを選んでいるということは、やっぱり今、ベトナム経由が安いのかも??などと、思ったりしました。

 そんなわけで、彼女は今、フランス、イタリアに次ぎ、ベトナムでのプチバカンスを楽しんでいます。パリを出る時にスーツケースの計量とともに、自分の体重を測りながら、「ヤバい!4キロも増えてる!」と焦っていた娘・・ベトナムに着いても、「食べ物が美味しくて、しかも安い!これで4ユーロ!」などと写真を送ってきています。

 彼女のダイエットは日本に帰ってからになりそうです。


親離れ 子離れ


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2023年6月10日土曜日

一日にして、フランス中のヒーローになったバックパックの男

 


 アヌシーの平和な公園で突如、ナイフで小さい子供4人を含む6人を襲った凶悪事件にフランス中が震撼とした翌日、この凶行の様子は、居合わせた人々が撮影していた動画がテレビやSNSで拡散されました。

 この動画は、犯人の動向とともに、犯人を追いかけまわし、持っていたリュックサックでナイフ男を払いのけ、犯人に立ち向かう若者の姿が映されていて、この「バックパックの男」は、瞬く間に有名人になりました。

 この犯人は、犯行時に「キリストの名のもとに!」と叫びながら、子供にナイフで襲い掛かったと言われており、自らをキリスト教徒であると名乗っていたそうですが、皮肉なことに? この犯人に立ち向かっていった24歳の男性もまた、敬虔なカトリック教徒で、哲学と国際経済学を専攻していた彼は2ヶ月間にわたり、バックパックを背負って、フランスの大聖堂巡りをしている最中でした。




 恐らく事件現場は、異常な緊迫感と恐怖に包まれていたと思われますが、彼は、「自分自身の身の危険は全く思いもせず、飛び散る血を見て、何もせずにはいられなかった・・自分自身の命よりも、危険にさらされている人々の身の危険を恐ろしく感じた・・」とインタビューに答えています。

 ちょっと美談すぎる気もするのですが、動画を見ると、最初、彼は非常に大きなバックパックを背負ったまま、犯人を追いかけていっているので、彼があまり深く考える間もなく、行動を起こしていたことがうかがえます。

 彼は、途中でバックパックをおろしてから、もう一つのリュックサックで犯人を攻撃?回避しながら、彼がベビーカーに近付こうとするのを追い払いながら、闘っています。

 彼自身は、自分のとった行動が自分の身に危険が及ぶことであったと気が付いたのは、犯人が逮捕されて、ストレスから解放された後だったと話しています。

 この男性は、瞬く間にフランス中のヒーロー・英雄となり、事件の翌日に犠牲者の病院を訪れたマクロン大統領にも対面し、直接、称賛の言葉を受けています。大聖堂マニア?の彼は、マクロン大統領に来年行われる予定のパリ・ノートルダム大聖堂の再建祝賀式に招待してほしいと頼み、マクロン大統領は「私が個人的に手配します」と快諾の返事をもらっています。このあたりは、なかなかちゃっかりした面も持ち合わせているようです。

 もしも、自分がこのような現場に遭遇した場合、後になってみれば、犯人は一人であったことがわかりますが、事件が起こっている現場では、はっきりとした状況は把握することは難しかったはずで、自分の身の危険を考えたら、まず逃げることを考えてしまうのが普通で、逃げたところで誰も攻めはしないと思うのですが、そこで、彼のような行動に出ることは、なかなかできないことです。

 また、このような動画が残されているということは、その緊迫した状況で、襲われている子供を助けずに、自分自身も逃げずに動画を撮り続けていた人もいたということでもあります。

 しかし、この動画のおかげで、彼の勇敢な行動はフランス中から称賛の声を受けることになったのです。

 彼がバックパックで犯人と闘っている間に警察が到着した模様ですが、警察とて、ナイフを持った犯人が暴れていれば、パリなら、警察が現れた時点で犯人は射殺されてしまいそうなところですが、彼は撃たれることなく、逮捕されています。犯人が射殺されてしまわなかったのも、ちょっと不思議といえば、不思議でもあります。

 逮捕された犯人は、英語、アラブ語を話すのみで、フランス語が話せないそうで、あまり多くを語らず「kill me」とつぶやいたという話も上がってきているくらい、取り調べも難航しているそうです。

 後から出てくる犯人についての目撃証言では、彼が大人しく、礼儀正しい?ホームレスであったということもあるのでしょうが、けっこう、周囲の人々も彼に食べ物や薬を差し入れようとしていた模様で、結局は、大変なしっぺ返しを受けたとはいえ、そういうところ、困っている?人に対して、フランス人って優しい人が多いな・・などと、妙なところに感心したりもしています。

 バックパックの彼はインタビューの中で、「私はフランス人らしく行動し、最も弱いものを守るという本能に従いました。 襲われた子供を守りたかった。誰でもできることをしただけだ・・」と語っていますが、彼ほどの勇敢さはなくとも、彼が言っている「フランス人らしく行動し、最も弱いものを守る・・」という点については、たとえ、彼ほどの勇気がなくとも、最も弱いものを守ろうとする・・というところは、たしかにフランス人らしいところだ、私も感じます。

 今回、思わぬ事件に遭遇してヒーローとなったこの男性もまた、これを機に人生が変化していくかもしれません。

 とりあえず、彼が大聖堂めぐりをしながらアップしているInstagramのアカウントは、あっという間に、フォロワーが10万人に迫る勢いで増えており、ハッシュタグ#MerciHenri(アンリーありがとう)がネットを駆け巡り、多くの著名人が称賛のメッセージを送り、特に極右活動家の間で人気になっているのも、これはこれで、微妙な気持ちにさせられます。


フランスのヒーロー 英雄 バックパックの男


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