2019年9月19日木曜日

フランス人は、小学生から万年筆を使う





 現代は、ボールペンだろうと、万年筆だろうと、もはや、手書きをすること自体が少なくなっている時代ではありますが、娘の通っていたフランスの学校では、小学生から万年筆を使わせていました。

 もちろん、ボールペンや、鉛筆なども使っていましたが、メインは、万年筆なのでした。その話を以前、弟にしたら、”さすが、おフランス!小学生から万年筆!” とからかわれたことがありますが、まさに、これも、おフランスの一部分なのではないかと、私は、思っています。

 万年筆を重用し、小学生から授業に使わせたりするのは、きっとフランス人の美学の一つでもあると思うのです。フランス人でも、年長になればなるほど、その類の美学は強いのではないかと思います。我が家にもその年長者が約一名。

 カッコいいスーツに身を纏った男性が、胸元からスッと万年筆を出して、サラサラ〜ッとサインする・・なんか、スマートで素敵ではありませんか?

 もちろん、女性とて同じです。私のかかりつけの美しい女医さんも革張りの下敷きにペーパーを乗せて、処方箋を万年筆で書いてくれています。

 しかし、ことさら、女性と比べて、アクセサリー類をつけることが少ない男性にとって、また、特に、ある一定の年齢以上の男性の間では、万年筆は、ひとつのおしゃれなのではないかと、私は、思っています。

 まあ、実際には、それがピッタリと似合う人にも、なかなかお目にかかれないのも事実ですが・・。

 でも、たまに見かけると、ちょっと気を引かれます。

 私の主人などは、仕事にはパソコンを使って、資料を作ったりは、していますが、大事な人に書く手紙やカードなどは、万年筆の手書きです。主人が使っているのは、そんなに高級でおしゃれな万年筆ではありませんが・・万年筆で書くということに、こだわりがあるようなのです。

 しかも、色にもこだわりがあり、ブルー、ブルーブラック、黒、濃い紫色など、相手や、手紙の内容などによって、色まで使い分けています。しかも、主人の外観には、およそ似つかわしくない、繊細で綺麗な字を書くのです。

 まったくもって、字は体を表してはいないのです。

 主人は、SNSも使いますが、敢えて、手書きで手紙を書くことも少なくありません。

 特に子供には、下手くそな絵などを混じえて、よく手紙を書いています。

 また、本を買ってくると、必ず、本の裏表紙に日付と子供の名前を入れて自分のサインも残したりもします。これも万年筆です。

 このITの時代に、なんともアナログな話ですが、私は、決して嫌いではありません。

 

 




2019年9月18日水曜日

一人暮らしのフランス人の若い世代は料理をしない




 娘が一人暮らしを始めて、一年が過ぎました。

 家では、ほとんど家事らしいことは、してこなかった娘ですが、一人となると、何から何まで、自分でやらなければなりません。

 家にいれば、何もしない娘で、全く一人暮らしなど、憧れていたわけでもなかったようですが、いざとなれば、仕方ありません。

 特に、食い意地の張ったDNAを受け継いでいる彼女は、一人暮らしを始めても、何をおいても、食べ物には、決して、妥協せず、(もともと彼女は、ファーストフードなどが嫌いなのです)自分の好みにあったものを栄養のバランスを考えながら、月々のやりくりをしながら、頑張ってやっているようです。

 娘は、シェアハウスのようなところに住んでいるので、部屋はそれぞれ独立してはいるものの、キッチンやテラス等は、共有なので、必然的に、周りの同居人の食事にも度々、遭遇するのです。

 彼女が驚いているのは、フランス人の若い子の一人暮らしは、ほとんど、料理らしい料理をせずに、野菜などは、ほとんど食べずに、非常にバランスの悪い食事をしているということでした。

 若い子に限らず、フランス人の一般家庭の食事は、とても、質素なのです。

 日本人の食卓は、世界的にもレベルも高くて、非常にハイスペックだということが話題にもなっていますが、彼女は、それを家の外に出て、目の当たりにしたようです。

 私が最初に、引っ越しの際に大家さんに挨拶がてらに、そのシェアハウスを見に行った時も、キッチンや冷蔵庫の中をのぞいて、???と思った印象が実際にそのとおりだったわけです。

 私がのぞいた時には、みんなの共有だという冷蔵庫には、たくさんのペットボトルに入った水と、中をくり抜いたスイカの皮と(なぜ、これを取っているのだろうかと思いましたが)リンゴがいくつか入っているだけでした。

 娘によれば、みんな、朝は、パンかセレアル(シリアル)、夜もハムかパンとスープ、作ったとしても、パスタ、パスタを茹でて、バターかチーズをかけるだけ、良くて、市販のソースをかけるだけ、たまに、見かけるとすれば、カルボナーラ(フランス人の好きなベーコンとバターや生クリームまみれにしたもの)なのだそうです。

 あとは、テイクアウトのファーストフード、(そうは言っても、日本のように、ちょっと出れば、コンビニやお弁当屋さんがあるわけでもない)や、ウーバーイーツ頼り。

 彼女曰く、みんな、あまり、食べることに興味がないみたい・・なのだそうです。

 「美食の国、フランス」などと言われていますが、実際は、こんなもんです。

 

2019年9月17日火曜日

隣人のフランス人のおばさん




 そういえば、私は、彼女の名前も知りません。
お隣のおばさん。うちでは、彼女のことを、そう呼んでいます。

 私たちが、今のアパートに引っ越してきたときには、彼女は、もうすでにそこに住んでいましたが、その時に、初めて見かけた女性は、彼女ではありませんでした。

 引っ越してきて、早々に、エレベーターの前で、たまたま鉢合わせした女性は、" ここには、3人の女性が住んでいるのよ!" と言っていましたが、それは、彼女ではありませんでした。

 しかし、実際の家主の隣人は、パリ市内の病院に勤務しているという年配の女性でした。彼女は、離婚していて、もうすでに独立している息子さんが、時々訪ねていらっしゃるのですが、ちょっと風変わりな息子さんで、とても、優秀ではあるらしいのですが、メンタルな問題で入院歴があるとかいう話を主人がどこからか、聞きつけてきて、少し、気をつけた方がいいなどと言うので、あまり、近づかずに適当な距離をとっていました。

 一方、彼女の方は、そんな様子は、微塵も見せずに、なぜか、私と朝の出勤時間や帰宅時間がかち合うことも多く、世間話をする機会が度々ありました。

 彼女は、独特なオリエンタルな感じのファッションに身を包み、部屋着はサテンか何かでできたアジアティックな着物のようなものを着て、不思議な雰囲気を醸し出している人でしたが、これまで彼女に対して、嫌な感じを抱いたことは一度もありません。

 人の好き嫌いが激しく、大変、気難しく、家を出たがらない猫のポニョは、お隣だけは、別のようで、まるで、自分のセカンドハウスのように、ベランダ伝いにお隣の家に勝手に上がりこんだりしていて、ポニョだけは、頻繁にお隣に出入りしていました。

 おばさんも猫好きで、結構、ポニョのことを可愛がって下さっているようでした。

 ある、日曜日に、我が家は、主人と娘と三人で、ヴァンセンヌの森に散歩に出かけて、手漕ぎボートに乗っていた時のことでした。

 池にかかった橋の上から、「ヴォアザーン(お隣さ〜ん)!」と大声で誰かが叫んでいるではありませんか? 
 振り返ると、橋の上から、彼女が友達と一緒に大きく手を振っていました。

 改めて、彼女の大らかさに、なんだか、ほっこりとした気持ちになりました。

 何年かすると、3人いると言っていたお隣の住民の女性二人はいなくなり、彼女だけになっていましたが、彼女には、頻繁に訪れてくるお友達が何人かおりました。その中には、ボーイフレンドもいたようです。

 たまに、私が気が向いて、ピアノを弾いたりしていると、お友達ともども、ベランダに出てきて、弾き終わると、”ブラボー!!” などと、声をかけてくれたりしました。私としては、子供の頃のお稽古事の延長のようなピアノのレベルなので、とても恐縮したものです。

 そんな彼女が数ヶ月前に、突然、引っ越すことにしたと言いにきました。もう、リタイアするので、ノルマンディーの方に持っている家の方に移るとのことでした。

 長いこと、付かず離れずで、良い関係を保ってきたので、とても残念でしたが、これも仕方ありません。彼女は、私たちがバカンスに出ている間に引っ越して行きました。

 そして、夏のバカンスが終わってまもなく、新しい隣人が引っ越してきました。
どうやら三人家族のようですが、顔を合わせれば、たまに挨拶をする程度で、まだ、詳しいことは、わかりません。

 初めは、もしかしたら、動物嫌いの人かもしれないし、ポニョが今までのように、図々しくお隣に入り込んだりしては大変と思って気をつけていたのですが、予想に反して、ポニョは、パッタリと隣の家には、行かなくなり、ベランダにさえ、出ないようになってしまいました。

 ポニョが何を察知しているかはわかりませんが、ポニョの様子を見て、私まで、なんか少し警戒してしまっています。

 隣人は選べないので、ご近所トラブルは、ご免被りたいのです。

 こうなってみると、あのヴァンセンヌの橋の上から”ヴォアザーン!(お隣さーん)”と手を振ってくれた大らかなお隣のおばさんが懐かしく思えてくるのです。












2019年9月16日月曜日

アカの他人の外国人のオッサンと暮らしている不思議




 私は、今でも娘によく言われます。「ママは、どうしてパパなんかと・・・。」と。

 その人の娘にして、パパなんか・・と言わせるのには、理由がいくつか思い当たりますが、まずは、主人が私とは、けっこう年の離れたオッサンだということがあるのだと思います。

 先日、「アカの他人のオッサンと暮らす人」という記事のタイトルを見て、ああ、そう言えば、私もアカの他人のオッサンだった人と暮らしている・・と思ったのです。

 まあ、言い方は悪いですが、大抵の場合、誰でも最初は、アカの他人です。
それが、オッサンかどうかは別として・・。
 
 私が主人と出会ったのは、青山で行われていた在日の外国人が集まるパーティーでのことで、私は、イギリスから戻った後に、英語を使う機会を持ち続け、何とか、英語のレベルを落とさないようにと思って、時々、顔を出すようにしていました。

 そこで、私が驚いたのは、来ている外国人たちが、あまりにも日本語が上手なことでした。その中でも主人は、ひときわオッサンで、ガタイも良く、派手で、最初は、” このオッサン、マフィアかい!”と思ったほどで、日本語が下手、というよりも日本語をほとんど話しませんでした。

 パーティーがお開きになって、その中の数名と、次へ行こう!という話になり、何人かと出かけたうちの一人だったのです。

 周りのイングリッシュネイティブの人に比べて、英語もあまり上手でもなく、英語圏の人ではないなと思っただけで、(自分の英語のことは、棚あげにして。)(後から考えれば、フランス語訛りの英語でした。)どこの国の人かということも、私は、あまり興味もなく、ただ、顔を合わせたら、話すという程度でした。

 しかし、何回か話すうちに、そのオッサンとは、英語で話しているにも関わらず、話が次から次へと出てきて、いくらでも話すことができたのです。

 普段、あまり、饒舌でもない私が、見ず知らずのアカの他人の外国人のオッサンと、こんなに話が弾むことが、だんだんと楽しくなっていったのです。

 主人は、別に、特にブサイクと言うわけではありませんでしたが、なんといってもオッサンでしたから、私が主人と親しくなったのも、私が特に面食いでもなかったこともあったかもしれません。

 その頃は、私は、フランス語の知識は、ほぼ、ゼロに等しいくらいだったので、電話をしてきて、”アロー”(フランス語は、Hを発音しないために、ハローではなく、アローと発音します)とかいう主人に、”この人、ハローも言えないんだ・・”などと思っているくらい、フランスにも、フランス語に関しても、無知でした。

 むしろ、私は、フランス語は、どんな言語よりも苦手で、フランス語だけは、絶対やるまいと思っていたくらいです。最初から、主人がフランス人だとわかっていたら、あまり、話すこともなかったかもしれないくらいです。

 最初のきっかけは、そんなでしたが、紆余曲折を経て、私は、アカの他人のオッサンだった主人と一緒に暮らすようになり、結局は、フランスで今も暮らしているのです。

 今、冷静に考えれば、どこの国の人かもわからない、アカの他人のオッサンと海外暮らしをするなんて、私もどうかしていたとも思うのですが、その時点では、アカの他人であることも、その人がオッサンであることも、気にならなくなっていたのですから、人生は、わかりません。

 娘が改めて、不思議そうに言うことが、もうひとつあります。
” パパは、自分のことが、すごくカッコいいと思っているよね。どうしてだろう?” と。

 娘にとっては、私が、アカの他人の外人のオッサンをパートナーとして選んだのと同じくらい、不思議なことのようです。



 

























 

2019年9月15日日曜日

フランス人の離婚と再婚 ママ母の気持ち




 フランスは、離婚率の高い国で、約30%、3組のうち1組、パリでは、約50%、2組に1組が離婚すると言われています。

 しかし、その離婚した人たちの四分の一は再婚するとも言われているのです。

 つまり、離婚もするが、再婚もする、懲りない人たちなわけです。

 そう言われてみると、私の知っているフランス人女性にも再婚組の人が何人かいて、それぞれの結婚で、子供を産んでいます。話を聞いていると、一回目の結婚での子供だったか、2回目の結婚での子供だったか、わからなくなることさえあります。

 ただ、よくよく聞いていると、子供の年齢に年の開きがあったりするので、そこで、何んとなく、わかることになりますが、まあ、結果的に2度とも離婚している彼女にとったら、もはや、それが、どちらの子供だったのか?ということは、さして、問題にしていない風でさえあります。

 日本人だったら、子供のために、仲の悪い夫婦が離婚しないでいるという話は、よく聞きますが、フランス人の場合は、仲の悪い夫婦は、一緒にいないようです。

 そういう我が家も、主人には、前の奥さんとの間に3人の男の子がいて、上の二人は、かなり年が上なので、滅多に家に顔を出すこともありませんでしたが、下の男の子は、私たちがフランスに来た時点では、まだ小学生で、月に2回、週末は、主人が会いに行くか、その子が家に来ていました。

 主人の前の奥さんは、かなり、宗教にのめり込んでいる方だったらしく、離婚の理由もそんなところにもあったようですが、普段は、一緒に住んでいる子供たちも、かなり宗教の縛りを受けていて、日々のお祈りはもちろん、週末の礼拝などの宗教活動、慈善活動、テレビ、雑誌、ゲーム類は、一切禁止という規制の多い生活を強いられていたせいか、家に来た時には、のびのびと、好きなテレビを見たり、ゲームをやったり、お父さんに会えるということだけでなく、のびのびと自分の好きなことをやれるという楽しみがあったようです。
 お母さんに見つかると取り上げられてしまうために、家に持って帰れないゲームなどは、家に置いたままになっていました。

 その子の方もカラッとしたもので、大して遠慮するということもなく、かえって、こちらも気兼ねなくいられて、いいなぁなどと感じていました。

 ところが、私も仕事を始めて、だんだんと仕事も忙しくなり、娘もだんだんと成長してきて、休みの日などは、娘のお稽古事の予定がびっしりと入るようになってからは、その送り迎えもなかなか大変で、家の中でも休みの日には、やることが山積みで、私にも余裕がなくなっていた頃でした。

 連休かなにかで、家に彼が家に泊まりに来ていた時のこと、私は、彼の存在が、なんだか煩わしいなと思う気持ちが私の中で芽生えていることに気が付いたのです。自分の中のそんな感情に気付いた時に、これってママ母の気持ちなのかな? これがエスカレートすると、ママ母イジメみたいなことが起こるのかしら?と思い、ハッとさせられたことがありました。

 これは、いけないと思った私は、自分の余裕のない状態をそのまま主人に話し、主人もそれを納得してくれたことで、私も気分がスッキリして、事態は、それまでよりも好転し、私も普通に接することができるようになりました。

 同じことでも、主人が理解してくれると思うだけで、気持ちの向きが変わってくるものです。

 それにしても、色々煩わしいことが付随してくるにもかかわらず、離婚、再婚を繰り返すフランス人の逞しさには、感心させられるばかりであります。



























2019年9月14日土曜日

パリのガイドさんのリッチな生活




私は、パリの日本人のガイドさんを少し、知っています。

 といっても、私の知っているガイドさんの多くは、すでに引退されている方が多いのですが、その世代のガイドさんは、日本のバブル期の日本からの観光客を一手に担っていた方々なので、大きな財産を築かれました。

 もともと、パリのガイド料金は、高いことでも有名です。
 それが、大きなツアーでは、ひとグループ30人くらいのグループが1日に、何十本もひっきりなしに来て、ガイドさんもパリ市内観光を午前、午後のダブルヘッダーで働いていたのですから、パリの日本人観光業界も、それは、それは、バブルに湧いていたのだと思います。

 実際のガイド料ではなく、ツアーにまつわるチップやコミッションだけでも、十分に生活できるほどであったのではないかと思います。

 もとより、フランス政府の公認のガイドのライセンスを取得するのは、そう簡単なことではありません。フランス語の能力はもちろんのこと、英語、正しい日本語、マナー、それから、フランスの歴史、美術史、代表的な歴史的建造物に関する知識も必要です。

 ですから、ガイドさんには、日本でも高学歴な方も多く、プライドも高く、独特な世界観を持たれている方が多いです。

 男性、女性ともに、きちんとした身なりではあるのですが、特に、女性は、そのメイクやファッションにも独特なものがありました。なかなか、日本では、見かけないような、メイクやおしゃれの仕方です。

 経済観念もしっかりされている方が多く、不動産投資をして、パリに何軒もアパートを持っていらっしゃる方や、ガイド御殿と揶揄されるほどの素晴らしいアパートに住まわれていたり、ニースやビアリッツなどに別荘を持っていらしたり、引退した今でも、悠々とした生活を送られています。

 現在では、日本のバブルも弾けて久しく、日本人の団体観光客も少しずつ減り、その旅行の仕方も代わり、旅行会社も経費節約で、ツアーでも、パリ市内観光などでは、ガイドさんをつけずに、日本から同行する添乗員さんがガイドを代行するものが多くなりました。

 現在のガイドさんのことは、よくわかりませんが、今、ツアーの需要が多いのは、モンサンミッシェルへの日帰り。

 モンサンミッシェルは、世界各国からの観光客の中でも、日本人が最も多いと言われるフランスの観光地ですが、パリからの距離を考えると、普通、フランス人なら、とても日帰りする距離ではありません。

 それを日本のツアーの多くは、日帰りで、朝早くにパリを出て、延々とバスに揺られて現地にいるのは、昼食も入れての2時間ほどで、パリに戻るのは夜になります。
まあ、言い方は悪いですが、ほとんどバスに乗りに行くようなものです。

 当然、パリ市内観光などと比べると、ガイドさんの拘束時間も長くなり、体力的にもキツいと思います。実際に、若いガイドさんが、もう、モンサンミッシェル日帰りツアーは、きつくて大変!と言っていたのを聞いたことがあります。

 しかし、時代の波というのは、スゴいものです。

 その一期間の潮流に乗れたガイドさんたちは、今では、悠々とした老後を送っていらっしゃるのですから。




















2019年9月13日金曜日

子育ての不安




 初めてのお産、子育てとなれば、誰でも不安なことがいっぱいあるのは、当然です。
 私も少なからず、不安はありました。

 ましてや、私の場合、お産は、アフリカでしたし、実家も遠いし、病院も、日本のように、母親学級や、詳しいお産の説明もなく、一応、万が一に備えて、一応、遺言めいたことまで書いたりしました。

 しかしながら、私は、妊娠中は、ひたすら眠くて、寝てばかりいましたので、あまり、深刻に考え込むということもなく、ひたすら、お腹の子供に話しかけていました。

 そして、実際に産まれてみれば、赤ちゃんというものを触るのも初めてだった私は、おっかなびっくりで、うっかり落としたら大変!などと思いつつも、アフリカで天気も良いし、洗濯してくれるボーイさんもいるのだから布のオムツにしよう!などと、思いついてしまって、特に、最初の一ヶ月は、そのオムツとミルクのルーティーンに慣れるだけでも必死でした。

 しかし、慣れてくると、うるさく言う外野もいないので、かえって、自分のペースで、周りの赤ちゃんやお母さんとも比べることもなく、まあ、こんなもんかな〜?と構えていました。

 そして、何よりの私の強い味方は、偶然、知り合いになった助産師さんをしていた日本人の女性の存在でした。

 彼女が必要なことだけを的確に教えてくれたおかげで、私は、余計な心配はせずにいられたのです。大らかな彼女がゆったりと構えていてくれたおかげで、当事者である私もなんだか、ゆったりしていられたのだと思います。

 まあ、育てる環境や子供の個性にもよるので、人それぞれではあるとは思うのですが、あまりに、情報が多すぎると、少しでも、その情報と違ったりすると不安になるものです。

 子供があまりミルクを飲まないとか、寝ないとか、体重が何キロ増えたとか減ったとか、極端な場合は、別として、お腹がすけば、ミルクも飲むし、疲れれば、眠くなって寝るのです。

 もう少し、大きくなってからも、娘は、なぜか、なかなか髪の毛が伸びず、歯も2歳になるまで一本も生えてきませんでした。

 それでも私は、髪の毛は、伸びなければ切らずに済むし、歯に関しては、生えてくるまでは、虫歯にもならないし、歯はなくとも娘は、ワシワシと何でも食べていたので、まあ、いつか生えてくるだろうと全く心配しませんでした。

 案の定、娘の歯は、2歳になると同時に一気にドバッと生えてきました。

 また、娘は、寝るのが何よりも嫌いで、お昼寝もしたことがありませんでした。何とか疲れて寝てもらうために、日中にエネルギーを発散させるのに苦労しました。結果、それが、ますます彼女を鍛える結果となり、生半可なことでは、疲れて寝ないようになってしまいました。

 育児と仕事に疲れ気味で私の方がお昼寝をしたくても、”娘に寝ないで〜!寝ちゃダメ〜!” などと揺り起こされるのは、拷問のようだと思ったこともありました。

 しかし、のちになってみると、それが、体力、気力、学力にも繋がり、良い結果となりました。フランスのバカロレアの試験などは、一科目4時間のテストです。体力のない子は、集中力も長時間、続きません。

 それより、私が何よりも心配だったのは、子供が情緒不安定になって、バットを振り回して暴れたり、人を傷つけるようなことをする子供になったら、どうしよう? ということでした。

 私の親戚に、保育の専門家がいて、そのことだけは、聞いたことがありました。

 それは、ハッキリとは、原因も対策も言えないけれど、子供のうちは、とにかく身体を動かして、エネルギーを発散させること!とのことでした。

 ですから、私は、心して、娘をスポーツに駆り立て、主人が休みの時には、グラウンドに連れて行って走らせ、私が休みの時には、プールに連れて行って、水の力までも借りて、娘のエネルギーの発散に努めていました。

 さらに大きくなってから、私が気をつけたことは、娘を人と比べないということでした。人と比べて良いとか、悪いとか言われても、子供は、何が良いのかわからなくなってしまいます。

 親が、いちいち他の子供と比べて一喜一憂していては、子供もたまったものではありません。

 子育てには、その段階ごとに、それなりに不安はあるものです。
 しかし、心配しすぎは禁物です。

 だいじょうぶ、だいじょうぶ。

 親が子供を愛していること、一番大切な存在だということが伝われば、子供は、しっかり育ちますから。