
年金改革問題に関して、デモやストライキを通して、根強く強力な反対の意を示し続けてきたフランス国民ですが、ストライキはともかく、今回のデモは、これまでは黄色いベスト運動の時のような破壊的な行為には至っておらず、比較的、おとなしく?しかし、力強くデモを行っていた印象がありました。 しかし、一昨日の49条3項発令による採決なしに法案を突破させる発表がなされて以来、国民の怒りは爆発し、その日のうちに数千人の人々がコンコルド広場に集結する大騒動になりました。 数時間後にはコンコルド広場付近からは、これらの人々は強制的に撤退させられたものの、退去させられた人々が現在、ゴミ収集業者のストライキのためにゴミが山積みになっているパリの街に散り、山積みになっているゴミや車に火をつけ、パリのあちこちで炎があがるカオス状態になりました。 翌日の昼頃に、コンコルド広場からチュイルリー公園、リヴォリ通り、カンボン通り、ヴァンドーム広場から、オペラ、シャトレあたりまで歩いてみましたが、昨夜の塵芥はあっという間に片付けられていました。 ただし、コンコルド広場に通じるリヴォリ通りには、たくさんの警察車両が警護のために控えているのには、物々しさを感じずにはいられませんでした。 これまでは、比較的シンプル?に年金改革問題に反対という話だったのが、49条3項発令による採択なしの強制法案突破というやり方に反発=政府のやり方に反発、というまた別次元の抗議が実際の年金改革問題に輪をかけて反発を激化させてしまいました。 採択なしに強制的に法案を突破させるなど、まことにフランスらしくないし、こんな法律あったの?と驚くくらいですが、この法律は「首相は、閣僚理事会の審議の後、財務または社会保障資金調達法案の投票に関する国会の前に政府の責任を負うことができる」というもので、今回は、これを該当させることができると政府が判断したものです。 2008年の憲法改正で一部、修正が加えられているものの、この法律は思いのほか?(私の思っていたよりは・・と言う話ですが・・)フランスには古くから存在するもので、1958年以来、この49条3項は88回、1988年から1993年までに限ると39回使用されています。 しかし、見ようによっては、これは30年間使われてこなかった禁じ手でもあり、現段階では結果はまだわからないものの、国民の怒り様を見ていると決してよい手段であったとは思えないのです。 私の印象では、今回の年金改革問題については政府の発信力が弱く、「改革か破綻だ!」とマクロン大統領の側近ががなっていた記憶がありますが、どちらかというと、度重なるデモやストライキのわりには、政府首脳は「騒ぎたい奴は騒いでおけ!」とばかりに比較的、余裕に構えていたのを少々、不思議に感じていたのですが、今から考えると、この49.3を使うつもりでいたのかもしれない・・と思ってしまうのです。 今回の国民の怒りを爆発させる情勢に、政府のスポークスマンは、「最後の最後まで、49.3を適用することは回避したかった・・」と述べており、いささか、政府首脳の間でも意見の相違があったようにも受け取れないこともありませんが、「しかし、この重大な問題に関して投票を行うリスクが大きすぎると判断した」と述べています。 国民の怒りは一夜で収まるはずもなく、翌日も再び、パリ・コンコルド広場には4,000人以上が集結し、炎が上がり、警察とのせめぎあいが起こり、二夜連続で警察による群衆の強制退去が行われました。🇫🇷...