2023年4月18日火曜日

マクロン大統領の演説がどうにも、しっくり響かなかった理由

  ここ3ヶ月以上、揉めに揉めている年金改革法案が憲法評議会の審査を通過て、ついに決定した後、マクロン大統領が月曜日の夜8時(20時)に国民に向けての演説を行うことが発表されていました。 彼の演説は、パンデミックや戦争問題の時などは、比較的頻繁に行われていましたが、こと年金改革問題に関しては、これだけ国中が混乱しているにもかかわらず、長い間、彼はこのような演説の機会を持つことはありませんでした。 3月に一度、ジャーナリストをエリゼ宮に招いてインタビューに答えるという形で話をしたことがありましたが、時間帯も午後1時(13時)と多くの人がオンタイムで見られる時間帯ではなく、また、インタビューに答えるとしながらも、ジャーナリストの質問を遮って自分が言いたいことだけを言うという・・「だったら、何でインタビュー形式をとったの?」と言いたくなるような不快な気分になりました。 このインタビューの放送でマクロン大統領は国民の怒りの火に油を注ぎ、この直後のデモを一段と盛り上げてしまった感じになりました。 今回の演説に関しては、もうすでに法案が決定してしまった今、前日から、「マクロン大統領は一体、何を話すのだろうか?」という話でもちきりでしたが、「今にいたって彼が言えることはないだろう・・これ以上に国民の怒りを増長させることを言いかねないのではないか?」と期待というよりも心配されていました。 果たして、彼は演説の中で、「今回の年金改革が国民に受け入れられていないことは、招致していますが、この改革は国民全体の退職後の生活を守るためにはどうしても必要なことでした」と述べました。 「何カ月にもわたる協議にもかかわらず、組合との合意を見つけることができなかったことに関しては後悔している、これらの教訓から学ばなければならない」と話し、「あまりにも多くのフランス人にとって、物価の上昇に直面して、もはや十分な生活を送ることができない仕事に直面した怒りや、特に若者によって表明された社会正義と民主的な生活の刷新に対する要求に耳を傾けないままでいることはできない」と語りました。 このへんまでは、まだ、なんとなく聞けていたのですが、この先、「なので、フランス人がよりよい生活を送ることができるためのプロジェクトを立ち上げたい・・」と話し始めてからは、「協和秩序の改革」、「不法移民の取り締まり強化」、「公共サービスの改善(病院の救急サービスなど)」などについての取り組みを始めるとし、話し合いのための扉は開かれているとし、7月14日(革命記念日・パリ祭)を目途に最初の評価を下してほしいと話しはじめ、途中からは、なんだか煙に巻かれた感じでわけがわからない感じになりました。 言っていること、ひとつひとつは、間違っている話ではないとはいえ、どうにも腑に落ちない、今、国民が聞きたかった話ではなかっただろうに・・と思いました。 実際には、すでに、この演説を聞く耳も持たずにパリの街には火があがりはじめていたことには、この暴力行為に走る人々は、火をつけたり、破壊行動そのものが目的なのではないか?と思ってしまう側面もありますが、同時に彼らは「もう、今さら何を言おうとおまえのことは信用していない」と考えていると見ることもできます。 つまり、全てが決まった後になって、「扉は開かれている」などと言われても、それは順序が違う話で、これまでマクロン大統領自身は直接、話し合いの場に応じることはなく、国民議会も通すことなく、強引に法案を決定して、圧倒的に優位な立場にたってから、ようやく話し合いを始める・・(しかも年金問題そのものではない)というのは、簡単に言えば、ずるいやり方という印象をもってしまいます。 挙句の果てに年金問題以外のプロジェクトを掲げて、とりあえずの評価の期限を7月14日に設定するというのは、時間稼ぎをしていると思う見方もされています。 どちらにしても、マクロン大統領にとっては、年金改革法案はすでに決まったものであり、それ以外の問題について滔々と話すあたりは、どうにも国民との認識のズレを感じてしまいます。 年金改革をしなければ成り立たないので、その代わりのところで国民の生活が少しでも改善されていくように取り組むという点では、なんらおかしな話ではないのに、どうにもスッキリしないのは、なぜなんだろうか?と思ってしまいます。 マクロン大統領の側からしたら、どうしても年金改革が譲れないとしたら、他のことを改善することくらいしか言いようがないのに、ストレートに説得力をもって伝わってこないのは、言うべき肝心な何かを言っていないという気がします。 ここ数ヶ月、国内外を問わず、言うべきことを言わず、言わざるべきことばかりを言っている気がするマクロン大統領ですが、時間稼ぎをしているとすれば、まず、国民が話を聞いてくれるようになるまで、なんとか別のきっかけをみつけるしかないような気がしてしまうくらい、マクロン大統領の話からは説得力がなくなっているような気がしています。マクロン大統領演説<関連記事>「火に油を注いだマクロン大統領35分間のインタビュー」「年金改革デモ・ストライキのため、英チャールズ国王のフランス公式訪問延期へ」「マクロン大統領の風刺フレスコ画消去要請」「マクロン大統領ゆかりのレストランが燃やされる!...

2023年4月17日月曜日

パリのメトロの中は日本よりも携帯を眺めている人が少ない気がする

   日本に一時帰国して、地下鉄など電車に乗ってびっくりするのは、まず電車自体がピカピカできれいで清潔なことです。パリのメトロも最近、オリンピックに向けてお色直しをしているのか、ずいぶんきれいになったり、新車になったりして、かなり近代化された車両を使っている線もあるのですが、清掃の仕方が雑なのか、それを清潔に保てないので、新車でも、すぐにピカピカな感じは失せてしまうような気がします。 そんなメトロに慣れてしまっていると、日本の電車は眩しく感じられるほどです。 そして、もうひとつ、日本で驚くのは、電車に乗っている、ほぼ全ての人が携帯電話を見ていることです。日本に行く時には、通勤時間帯は避けて移動するので、あまり混雑している電車に乗ることがないせいもあるのかもしれませんが、概して、みんながお行儀がよく、おとなしく、人の迷惑にならないように同じように下を向いて携帯を眺めているので、視線をあげていると、ちょっと戸惑いを感じる気がしないでもありません。 正直なところ、最近、私は少々、携帯に疲れており、無ければ不便だし、なんとなく不安な気にさえなるのですが、四六時中、Twitterを覗いたり、ニュースを見たり、LINEをしたりして、画面を眺めていることに疲れてきたのです。 自分が携帯を眺めているときには、気が付かなかったのですが、いざ携帯を眺めるのをやめてみると、パリのメトロの中は、日本の電車の中ほど携帯を覗いている人が多くはないことに気が付いたのです。 そうやって周りを見回していると、色々な人が色々なことをしていて、それを観察しているのは、なんだか楽しいのです。バスなどになれば、窓の外の景色を見ている方がなんだかずっと楽しくて、携帯なんか覗いているのがもったいない気さえしてきて、精神衛生上も良いような気がするのです。 そもそも、パリ市内でメトロやバスに乗っても、そんなに長距離を移動するわけではないので(郊外線だとまた違うのかもしれませんが・・)、すぐに乗り降りするのに、携帯を覗いている間もないこともあるかもしれませんし、パリのメトロの車内は、日本の電車よりも狭く、座席の配置の仕方なども違って、効率よく人を詰め込めるようにはなっていないので、ちょっと混んでくると携帯を見ているのも邪魔になりそうな気もします。 そもそも、数年前(といっても7~8年前くらい?)までは、携帯をメトロやバスなどで取り出すのは危険だと言われていた時期もあり、「車内での携帯の扱いには盗難事件を引き起こす原因となるので注意しましょう」などと張り紙がしてあったくらいです。 実際に、会社の同僚などには、メトロの中で携帯を見ていたら、下車していく人にいきなりひったくられたり、道を歩いていて殴られて携帯を取られたなんてこともあったくらいで、もしかしたら、なんとなく、そのころの名残りもあるのかもしれません。 私自身は、危険だというより、ただ、なんとなく携帯を持っていれば、つい覗いてしまうような、携帯に縛られている感じに疲れて、周囲の人や景色をあらためて眺めてみたら、意外に楽しいという発見をして、なんだか感受性を生に刺激してくれるシンプルなことをこれまで携帯によって、失っていたような気がしているのです。 それでも、この間、メトロの中に携帯の充電用のプラグがついている車両をみつけて、「すごい!便利になってる!」と感激したものの、そんなに長い線でもないのに、どれだけ充電できるのかな?...

2023年4月16日日曜日

年金改革交付後 ストライキ・デモの次はオリンピックを盾にする動き

   嵐のような国民の反対をよそに憲法評議会が年金改革を承認(一部を除いて)したその日の夜のうちに、マクロン大統領は年金改革を正式に交付しています。 もちろん国民の怒りが鎮まるはずもなく、当日は無許可のデモがフランス中で起こり、次なるデモの予定やストライキの予定が次々と予告、発表され続けています。 この国民の怒りをどのように鎮めるつもりなのか? 現段階では鎮めるというより、沈めるという印象が強いのですが、マクロン大統領は月曜日の夜に、久しぶりに夜8時(20時)にテレビで国民に向けて、今一度、この年金改革の必要性について演説する予定になっています。 そもそも憲法49.3条に則り、国民議会の採決なしに首相の権限で通した年金改革に加えて、たった9名のメンバーによって構成されている憲法評議会で決定されてしまった憤りと怒りは、法律に則っているから・・ということでは、国民を納得させられるものではありません。 一つの節目を迎えると思われていた、この憲法評議会の決定は、ストライキやデモや暴動を鎮めるものとはならずに、これまでの抗議運動だけでは立ち行かなくなっていると見たのか、今度は、SNS上で、ハッシュタグ「#PasDeRetraitePasDeJO」(引退なしオリンピックなし)が拡散しはじめ、トレンドの上位に上がってきています。 つまり、今度は日常生活だけでなく、約1年後に迫ってきた2024年のパリオリンピックの妨害を企て始めたのです。 数年前からパリは、オリンピックに向けて、あちこち工事が続いていて、その工事も、これからの1年で工事も大詰めを迎えようとしていますが、この工事の建設現場などにも大規模な封鎖とストライキを呼び掛けています。❌🇫🇷...

2023年4月15日土曜日

年金改革法案が憲法評議会通過 パリだけでも1万人の警察・憲兵隊配備 パリの街の警戒ぶりが凄かった・・

   49.3条により、国会で採決をとらずに採択された年金改革について、憲法評議会の決定が4月14日に下されることになっていたので、もしも、これが正式に決定されれば、また大変なことになるだろうと思っていました。 この憲法評議会の決定次第とはいえ、後になって考えれば、憲法評議会を通過することは、ほぼ確実なことではあったのです。 結果はこの日の夕方に発表されることになっていたので、夕方から夜にかけては、また大変なデモが起こることは容易に想像できることでした。 私はその日、日本食材の買い物に出かけて、ランチをしてから、また別の場所に行くつもりでいました。日本食材店の多くは、問題の憲法評議...

2023年4月14日金曜日

パリでお花見 緑の芝生の中にあるソー公園の八重桜(Le parc de Sceaux)

   パリ(正確にはパリ近郊)でお花見といえば、ソー公園(Le parc de Sceaux)が有名だという話はよく聞いていましたが、この時期、日本人をはじめ、アジア人がおしかけるというので、あまりの人混みを思い浮かべていて、これまで20年以上もパリに住んでいるのにソー公園のお花見には行ったことがありませんでした。 昨年のお花見の季節は久しぶりに日本にいたので、日本の桜を楽しむことができたのですが、日本の場合はこんなに街の中に桜ってあったかしら?と思うほど、特にお花見のために公園などに出かけなくとも、桜の木は東京の街の中、あちこちに存在し、また、ほんの短い桜の季節の桜の花が組み込まれることを計算にいれてデザインされているかのごとく作られている東京の街に、やっぱり街に溶け込んでいる桜は美しい・・日本の桜はいいな・・と感じ入ってきたのでした。 パリはお花の多い街ではありますが、日本のような桜は少なく、あまり街中では桜を楽しむという感じではありません。 これまで公園のお花見というと、どうも日本の「桜の木の下で宴会」というイメージがあったのも、これまでソー公園のお花見に行かなかった理由の一つでもありました。 しかし、昨日はパリの街中はまたデモで、どこで足止めを食うかもわからない感じで街中には出たくないと思っていたところ、たまたま...

2023年4月13日木曜日

噂話好きな知人にうんざりしている・・

  1ヶ月くらい前に、買い物に行った際に偶然、昔の同僚二人にばったり会いました。彼女たちは、私よりも一回り以上?年齢が上で、ちょっと世代も違う感じで特に親しくしていたわけではありませんでしたが、職場で顔を合わせれば、普通に話はするくらいの感じで、私がその会社に在職していた間に彼女たちは同時にではありませんでしたが、それぞれ、時間差で定年退職していきました。 とはいえ、こちらの学校のこととか、子供の教育のことなど、すでに子育てがほぼ終わっていた彼女たちには、色々と教えてもらったりもしましたし、彼女たちにとっては、娘は、孫のような存在で、会社に娘を連れて行ったりすると、娘を散歩に連れ出...

2023年4月12日水曜日

自分はやっぱり日本人だなぁと思うこと・・

   妙なもので、自分が日本に住んでいる時には、自分が日本人だと意識することはほとんどありませんでした。しかし、おかしなもので、海外に住んでいれば、あらためて自分は日本人なんだなぁ・・と感じることは少なくありません。 海外にいると、一般的にアジア人はわりと一括りにされる感じもあり、日本と中国の区別があいまいな人もいるし、圧倒的に中国人が多いせいかもしれませんが、マルシェなどのお兄さんなどには、「ニイハオ!」などと声をかけられて(相手にしてみれば、決して悪気はないとは思うのですが・・)、思わずムッとして、「私、日本人です!」などと、わざわざ訂正してしまったりすることもあります。 やはり、とりわけ、食事などは、私が一番、自分が日本人だと感じる部分で、パリの街を食べ歩きしたりするのも楽しいし、とても美味しいのですが、しばらく続くと、どんなに美味しいものを食べていても、次第にゲッソリしてきてしまいます。 高価な星付きレストランが美味しいのはあたりまえだし、肩が凝るし、予算オーバーになるので、私は、手ごろな値段で美味しいレストランを食べ歩くのが好きで(おまけに雰囲気が良ければ言うことないのですが)、これは!と思ったレストランにはできるだけ行ってみるようにしているのですが、しばらくこれを続けていると、結局、家で食事がしたくなって、「もう、本当に簡単にごはんとお味噌汁とお漬物にふりかけだけでもいい・・どんな外食よりも、本当はこれが一番美味しいんだな・・」などとしみじみしてしまうのです。 最近、よく食べ歩きをするようになったのは、一時、ロックダウンなどで、ほとんど外食できなかったりした反動もあり、また、この間にお店もずいぶん、入れ替わったりもしているので、それも楽しかったりもするのです。 しかし、結局は家で食べる白いご飯とお漬物・・みたいなものが私にとっての最高のごちそうであるのです。 長年、海外生活を続けているうちに、こちらで手に入る食材を工夫して作る和食っぽい食事に彩りを添えるために、最低限の薬味のような野菜、紫蘇や三つ葉、小葱、山椒などはベランダで育てるようになり、また、これらは、前年にこぼれた種が春になると芽が出て育ってくれるようになっているのは大変うれしいことです。 今は山椒の新しい芽が出てきている時で、ちょっと触ってみたら、それはそれは強烈な香りで、思わず鰻が食べたくなりました。しかし、家には鰻はなし・・。しかし、摘んでも摘んでも出てくる春の香り、これはもったいないと、急な思いつきで、自己流でおいなりさんの酢飯に山椒の新芽を混ぜてみたりして、今日は、それはそれは満足したランチになりました。 こんなささやかなことですごく満足するあたり、私はやっぱり日本人だなと思う瞬間です。 また、最近、日本食ブームのフランスで、冷凍食品や日本食などがスーパーでも見られるようになり、それなりにアレンジされて作られて、パッケージの写真には、その食品にお箸が添えられていたりするのですが、かっこつけているつもりか、丼の上に置かれたお箸は交差しておかれていたりします。  そんなお箸の置き方が妙に気になって仕方がなかったり、どことなくおさまり悪い気持ちが拭えなかったりするのにも、日本人だな・・と思う瞬間です。 おまけに上に添付した怪しげな...