2023年4月18日火曜日

マクロン大統領の演説がどうにも、しっくり響かなかった理由

 


 ここ3ヶ月以上、揉めに揉めている年金改革法案が憲法評議会の審査を通過て、ついに決定した後、マクロン大統領が月曜日の夜8時(20時)に国民に向けての演説を行うことが発表されていました。

 彼の演説は、パンデミックや戦争問題の時などは、比較的頻繁に行われていましたが、こと年金改革問題に関しては、これだけ国中が混乱しているにもかかわらず、長い間、彼はこのような演説の機会を持つことはありませんでした。

 3月に一度、ジャーナリストをエリゼ宮に招いてインタビューに答えるという形で話をしたことがありましたが、時間帯も午後1時(13時)と多くの人がオンタイムで見られる時間帯ではなく、また、インタビューに答えるとしながらも、ジャーナリストの質問を遮って自分が言いたいことだけを言うという・・「だったら、何でインタビュー形式をとったの?」と言いたくなるような不快な気分になりました。

 このインタビューの放送でマクロン大統領は国民の怒りの火に油を注ぎ、この直後のデモを一段と盛り上げてしまった感じになりました。

 今回の演説に関しては、もうすでに法案が決定してしまった今、前日から、「マクロン大統領は一体、何を話すのだろうか?」という話でもちきりでしたが、「今にいたって彼が言えることはないだろう・・これ以上に国民の怒りを増長させることを言いかねないのではないか?」と期待というよりも心配されていました。

 果たして、彼は演説の中で、「今回の年金改革が国民に受け入れられていないことは、招致していますが、この改革は国民全体の退職後の生活を守るためにはどうしても必要なことでした」と述べました。

 「何カ月にもわたる協議にもかかわらず、組合との合意を見つけることができなかったことに関しては後悔している、これらの教訓から学ばなければならない」と話し、「あまりにも多くのフランス人にとって、物価の上昇に直面して、もはや十分な生活を送ることができない仕事に直面した怒りや、特に若者によって表明された社会正義と民主的な生活の刷新に対する要求に耳を傾けないままでいることはできない」と語りました。

 このへんまでは、まだ、なんとなく聞けていたのですが、この先、「なので、フランス人がよりよい生活を送ることができるためのプロジェクトを立ち上げたい・・」と話し始めてからは、「協和秩序の改革」、「不法移民の取り締まり強化」、「公共サービスの改善(病院の救急サービスなど)」などについての取り組みを始めるとし、話し合いのための扉は開かれているとし、7月14日(革命記念日・パリ祭)を目途に最初の評価を下してほしいと話しはじめ、途中からは、なんだか煙に巻かれた感じでわけがわからない感じになりました。

 言っていること、ひとつひとつは、間違っている話ではないとはいえ、どうにも腑に落ちない、今、国民が聞きたかった話ではなかっただろうに・・と思いました。

 実際には、すでに、この演説を聞く耳も持たずにパリの街には火があがりはじめていたことには、この暴力行為に走る人々は、火をつけたり、破壊行動そのものが目的なのではないか?と思ってしまう側面もありますが、同時に彼らは「もう、今さら何を言おうとおまえのことは信用していない」と考えていると見ることもできます。

 つまり、全てが決まった後になって、「扉は開かれている」などと言われても、それは順序が違う話で、これまでマクロン大統領自身は直接、話し合いの場に応じることはなく、国民議会も通すことなく、強引に法案を決定して、圧倒的に優位な立場にたってから、ようやく話し合いを始める・・(しかも年金問題そのものではない)というのは、簡単に言えば、ずるいやり方という印象をもってしまいます。

 挙句の果てに年金問題以外のプロジェクトを掲げて、とりあえずの評価の期限を7月14日に設定するというのは、時間稼ぎをしていると思う見方もされています。

 どちらにしても、マクロン大統領にとっては、年金改革法案はすでに決まったものであり、それ以外の問題について滔々と話すあたりは、どうにも国民との認識のズレを感じてしまいます。

 年金改革をしなければ成り立たないので、その代わりのところで国民の生活が少しでも改善されていくように取り組むという点では、なんらおかしな話ではないのに、どうにもスッキリしないのは、なぜなんだろうか?と思ってしまいます。

 マクロン大統領の側からしたら、どうしても年金改革が譲れないとしたら、他のことを改善することくらいしか言いようがないのに、ストレートに説得力をもって伝わってこないのは、言うべき肝心な何かを言っていないという気がします。

 ここ数ヶ月、国内外を問わず、言うべきことを言わず、言わざるべきことばかりを言っている気がするマクロン大統領ですが、時間稼ぎをしているとすれば、まず、国民が話を聞いてくれるようになるまで、なんとか別のきっかけをみつけるしかないような気がしてしまうくらい、マクロン大統領の話からは説得力がなくなっているような気がしています。


マクロン大統領演説


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2023年4月17日月曜日

パリのメトロの中は日本よりも携帯を眺めている人が少ない気がする

  


 日本に一時帰国して、地下鉄など電車に乗ってびっくりするのは、まず電車自体がピカピカできれいで清潔なことです。パリのメトロも最近、オリンピックに向けてお色直しをしているのか、ずいぶんきれいになったり、新車になったりして、かなり近代化された車両を使っている線もあるのですが、清掃の仕方が雑なのか、それを清潔に保てないので、新車でも、すぐにピカピカな感じは失せてしまうような気がします。

 そんなメトロに慣れてしまっていると、日本の電車は眩しく感じられるほどです。

 そして、もうひとつ、日本で驚くのは、電車に乗っている、ほぼ全ての人が携帯電話を見ていることです。日本に行く時には、通勤時間帯は避けて移動するので、あまり混雑している電車に乗ることがないせいもあるのかもしれませんが、概して、みんながお行儀がよく、おとなしく、人の迷惑にならないように同じように下を向いて携帯を眺めているので、視線をあげていると、ちょっと戸惑いを感じる気がしないでもありません。

 正直なところ、最近、私は少々、携帯に疲れており、無ければ不便だし、なんとなく不安な気にさえなるのですが、四六時中、Twitterを覗いたり、ニュースを見たり、LINEをしたりして、画面を眺めていることに疲れてきたのです。

 自分が携帯を眺めているときには、気が付かなかったのですが、いざ携帯を眺めるのをやめてみると、パリのメトロの中は、日本の電車の中ほど携帯を覗いている人が多くはないことに気が付いたのです。

 そうやって周りを見回していると、色々な人が色々なことをしていて、それを観察しているのは、なんだか楽しいのです。バスなどになれば、窓の外の景色を見ている方がなんだかずっと楽しくて、携帯なんか覗いているのがもったいない気さえしてきて、精神衛生上も良いような気がするのです。

 そもそも、パリ市内でメトロやバスに乗っても、そんなに長距離を移動するわけではないので(郊外線だとまた違うのかもしれませんが・・)、すぐに乗り降りするのに、携帯を覗いている間もないこともあるかもしれませんし、パリのメトロの車内は、日本の電車よりも狭く、座席の配置の仕方なども違って、効率よく人を詰め込めるようにはなっていないので、ちょっと混んでくると携帯を見ているのも邪魔になりそうな気もします。

 そもそも、数年前(といっても7~8年前くらい?)までは、携帯をメトロやバスなどで取り出すのは危険だと言われていた時期もあり、「車内での携帯の扱いには盗難事件を引き起こす原因となるので注意しましょう」などと張り紙がしてあったくらいです。

 実際に、会社の同僚などには、メトロの中で携帯を見ていたら、下車していく人にいきなりひったくられたり、道を歩いていて殴られて携帯を取られたなんてこともあったくらいで、もしかしたら、なんとなく、そのころの名残りもあるのかもしれません。

 私自身は、危険だというより、ただ、なんとなく携帯を持っていれば、つい覗いてしまうような、携帯に縛られている感じに疲れて、周囲の人や景色をあらためて眺めてみたら、意外に楽しいという発見をして、なんだか感受性を生に刺激してくれるシンプルなことをこれまで携帯によって、失っていたような気がしているのです。

 それでも、この間、メトロの中に携帯の充電用のプラグがついている車両をみつけて、「すごい!便利になってる!」と感激したものの、そんなに長い線でもないのに、どれだけ充電できるのかな? これ本当に役にたつのかな?とも思うのです。

 もしかしたら、一見、便利そうでも、そうでもないかな?などと思いながら、ちゃんと充電できるかどうか、試してみたりしたのです。(ちゃんと充電できました)

 考えてみれば、以前は電車の中ではずっと本ばかり読んでいた私ですが、そのころは、そんなに疲れると感じることはなかったので、どうやら私はあのスクリーン、そもそも携帯というものが苦手なのかもしれません。


携帯中毒 メトロ 地下鉄


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2023年4月16日日曜日

年金改革交付後 ストライキ・デモの次はオリンピックを盾にする動き

  


 嵐のような国民の反対をよそに憲法評議会が年金改革を承認(一部を除いて)したその日の夜のうちに、マクロン大統領は年金改革を正式に交付しています。

 もちろん国民の怒りが鎮まるはずもなく、当日は無許可のデモがフランス中で起こり、次なるデモの予定やストライキの予定が次々と予告、発表され続けています。

 この国民の怒りをどのように鎮めるつもりなのか? 現段階では鎮めるというより、沈めるという印象が強いのですが、マクロン大統領は月曜日の夜に、久しぶりに夜8時(20時)にテレビで国民に向けて、今一度、この年金改革の必要性について演説する予定になっています。

 そもそも憲法49.3条に則り、国民議会の採決なしに首相の権限で通した年金改革に加えて、たった9名のメンバーによって構成されている憲法評議会で決定されてしまった憤りと怒りは、法律に則っているから・・ということでは、国民を納得させられるものではありません。

 一つの節目を迎えると思われていた、この憲法評議会の決定は、ストライキやデモや暴動を鎮めるものとはならずに、これまでの抗議運動だけでは立ち行かなくなっていると見たのか、今度は、SNS上で、ハッシュタグ「#PasDeRetraitePasDeJO」(引退なしオリンピックなし)が拡散しはじめ、トレンドの上位に上がってきています。

 つまり、今度は日常生活だけでなく、約1年後に迫ってきた2024年のパリオリンピックの妨害を企て始めたのです。

 数年前からパリは、オリンピックに向けて、あちこち工事が続いていて、その工事も、これからの1年で工事も大詰めを迎えようとしていますが、この工事の建設現場などにも大規模な封鎖とストライキを呼び掛けています。



 また、年金改革反対者に対して、4万5千人と言われるオリンピックボランティアに登録することを促し、結局はボランティアには行かない選択をさせ、すべてを混乱させることを呼び掛けています。まことに悪質ですが、今度はいわば、パリオリンピックを盾にする(人質にする)動きのようです。

 1年後まで待てないと急いている人々は、その前にローランギャロス(全仏オープンテニス)、ツールドフランス、ラグビーワールドカップなどを妨害することを提案している人々もいるそうです。

 しかし、現在、高まっている動きは、オリンピック妨害で、この妨害の企てが高まれば、オリンピックの準備に支障がでてくることも十分に考えられ、フランスとしては、世界に向けて恥をさらすことになりかねない事態となっています。


こんなブラックジョークも・・


 どうにもこじれてしまった年金改革問題、一時、首相の口からは「宥和」という言葉が出ていたものの、結果としては、全く宥和しておらず、事態は全く収束がついてはいません。

 パンデミックの時も、一体、いつになったら、終息するのかと思いましたが、今回もまた、まったく先の見通しが立たない状況になっています。


ハッシュタグ 引退なしオリンピックなし #PasDeRetraitPasDeJO


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2023年4月15日土曜日

年金改革法案が憲法評議会通過 パリだけでも1万人の警察・憲兵隊配備 パリの街の警戒ぶりが凄かった・・

  


 49.3条により、国会で採決をとらずに採択された年金改革について、憲法評議会の決定が4月14日に下されることになっていたので、もしも、これが正式に決定されれば、また大変なことになるだろうと思っていました。

 この憲法評議会の決定次第とはいえ、後になって考えれば、憲法評議会を通過することは、ほぼ確実なことではあったのです。

 結果はこの日の夕方に発表されることになっていたので、夕方から夜にかけては、また大変なデモが起こることは容易に想像できることでした。

 私はその日、日本食材の買い物に出かけて、ランチをしてから、また別の場所に行くつもりでいました。日本食材店の多くは、問題の憲法評議会の近辺にあるのですが、まだお昼すぎくらいの時間帯であったし、まさかそんなに人が集まっているとも思えず、ついでに昨夜は、ものものしく警察や憲兵隊が立ちはだかっていたので、その変貌ぶりをちょっと横目で見ていこうかな・・とも思っていたのです。



 憲法評議会の門の前には、頑丈なバリケードができていて、それを取り囲むように、午後の早い時間から、報道陣が取り囲んでいました。憲法評議会の建物は間口もそんなに広くもなく、通常だとあまり目立たない建物でうっかりすると見過ごしてしまうような感じでもあるし、そもそも日常的には、憲法評議会など、そんなに注目される場所でもありません。

 しかし、その日の主役級に注目されていた憲法評議会以上に驚いたのは、もう、すごい人数の警察や憲兵隊がうろうろしていて、紺色の警察車両があちこちに縦列駐車してあり、そして、それは車だけではなく、車をのぞき込むと中にはぎっしり警察官が待機しているのでした。



 また、すぐ近くに消防署があるにも関わらず、消防車までが通りに出て待機しているのには、まさか!何かが燃やされる前から出動しているとは・・と、その警戒ぶりの凄さを見せつけられた感じでした。

 私は、そのまま次の用事を済ませるためにの移動で、メトロの入口まで行ったところ、パレ・ロワイヤルの駅は閉鎖されており呆然。「駅が閉鎖とは・・これは迂闊だった・・」と、天気も悪く、そのまま迂回して行くのも、大変だ・・と、あっさり断念して帰宅しました。

メトロの駅・パレ・ロワイヤルは閉鎖・・


 その後、別の場所で買い物をして帰ると、なんだか疲れて、少し休んでいたら、外から警察車両のサイレンの音が聞こえてきて、年金改革が決定したことを知りました。

 テレビをつけると、その時はすでにもう、パリの街を練り歩く大勢の人の姿が映し出されており、この日の最初の集結場所は、パリ市庁舎であったようです。

 公式発表では、この日、パリだけでも1万人の警察官が出動していたそうで、だいたい警察官だけで1万人とは、驚きです。

 この警察・憲兵隊は、パリ市庁舎、バスティーユ広場と次々にすごい人数のデモ隊が移動する場所を次々と閉鎖していったようで、ゴミ箱を燃やしたり、Velib(パリの貸し出し自転車)を燃やしたり、場所によっては、溜まっているゴミを道路にばら撒いてトラムウェイを止めたとか、最近では珍しくなくなっている光景に、テレビの解説でも、今のところは「セ・パ・トレ・グラーブ(そんなに深刻でもない)」などと言っているのには、「一体、どうなったら、深刻なんだ??」と突っ込みを入れたくなりました。

 しかし、こんな状態はパリだけではなく、フランス全土で多くの国民が大声をあげているのですから、やはり穏やかではありません。この日はレンヌで警察署や教会の扉に火がつけられ、火災が起こっています。

 一方、この日、マクロン大統領は火災から4周年を迎える前日ということで、工事中のパリ・ノートルダム大聖堂を視察し、建設工事に携わっている人々と対面し、「何があっても引き下がらず自分の選択を突き進む大統領である」と自己紹介したとか・・。また、「不人気を受け入れる準備はできている」などと話したとか・・。

 また、ボルヌ首相は、この日は「インフレによる消費低迷のための視察」として、スーパーマーケットを訪れていたというのですから、どうやら憲法評議会が年金改革を決定することは、事前に承知しており、この結果による対応は、警察や憲兵隊に任せて、日常の仕事にまい進している様子は、余計に国民の怒りを増すだけでなく、その距離を痛切に感じさせられる気もしてなりません。

 CGT(全国組合連合)は、次回のデモを5月1日と発表していますが、そもそも5月1日(メーデー)は、フランスでは特別な日。その特別な日は、今年はさらに、「特に特別な日」になりそうです。


年金改革決定 憲法評議会 パリ特別警戒


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2023年4月14日金曜日

パリでお花見 緑の芝生の中にあるソー公園の八重桜(Le parc de Sceaux)

  


 パリ(正確にはパリ近郊)でお花見といえば、ソー公園(Le parc de Sceaux)が有名だという話はよく聞いていましたが、この時期、日本人をはじめ、アジア人がおしかけるというので、あまりの人混みを思い浮かべていて、これまで20年以上もパリに住んでいるのにソー公園のお花見には行ったことがありませんでした。

 昨年のお花見の季節は久しぶりに日本にいたので、日本の桜を楽しむことができたのですが、日本の場合はこんなに街の中に桜ってあったかしら?と思うほど、特にお花見のために公園などに出かけなくとも、桜の木は東京の街の中、あちこちに存在し、また、ほんの短い桜の季節の桜の花が組み込まれることを計算にいれてデザインされているかのごとく作られている東京の街に、やっぱり街に溶け込んでいる桜は美しい・・日本の桜はいいな・・と感じ入ってきたのでした。

 パリはお花の多い街ではありますが、日本のような桜は少なく、あまり街中では桜を楽しむという感じではありません。

 これまで公園のお花見というと、どうも日本の「桜の木の下で宴会」というイメージがあったのも、これまでソー公園のお花見に行かなかった理由の一つでもありました。

 しかし、昨日はパリの街中はまたデモで、どこで足止めを食うかもわからない感じで街中には出たくないと思っていたところ、たまたま Instagramでソー公園の桜を見かけて、「今が桜の時期なんだ!今日はソー公園に行こう!」と出かけたのでした。



 ソー公園は181haもあるけっこう広い公園で、中にお城まである壮大な公園で、樹木なども美しく剪定されている見事な公園です。公園内(西部)には100本以上の八重桜の木が植えられており、この時期、公園入口には「hanami」の看板が立っています。






 緑の芝生の中に咲く桜の花というのも、また別の趣がありますが、それに加えて、日本をイメージしているのか?八重桜が固まって咲いている場所の入口には鳥居がたっており、ちょうちんがかかっています。



 また、日本の桜について、説明しているパネルがいくつか立っており、日本人から見たら、こんなことを紹介するんだ(100円玉に桜の花が刻印されている・・とか、なぜか昨年の日本の桜予報など)と思うような日本における桜の位置づけなどについて、説明しています。


 また、見ている方も「ウ~ラ!セ・マニフィック!モン・フジ!」(ワォ!素晴らしい!富士山!)などと感激して写真を眺めているので、「ん??富士山のカタチとちょっと違うような・・」と思って、写真を覗くと、桜島だったりしましたが、別にいきってそれを訂正する必要もなく、そのくらい緩い感じで日本の桜を楽しんでくれているのは悪くないかな・・と思ったりもしたのです。

 平日にもかかわらず、けっこうな盛況ぶりで、日本人は全くみかけませんでしたが、けっこう観光客も来ているようでした。年金改革問題で荒れている現在のフランスとは思えない、平和で美しい風景でした。





 サンドイッチなどを持ってきて、ピクニックをしている人もいましたが、宴会のような雰囲気ではありません。また、公園は朝7時からで夜20時30分には閉まってしまうため、夜桜見物はできません。



 犬の散歩に来ている人も多いし、この一画以外は、ヨーロッパの公園の風景であることも面白いし、何よりも、ただ日本の桜を植えてあるだけでなく、ちょっと見当違いの鳥居や個人的にはない方がいいかも?と思われるちょうちんを飾ったり、日本の桜を紹介するパネルを立ててくれていたり、なんだか日本文化に対する尊敬の気持ちが見えるようでうれしい気がしたのでした。

 駐車場もあり、車で行くのが楽だとは思いますが、電車(RER B線)でも、パリからそんなに時間がかからずに行けるので、この時期にパリを訪れることがあれば、ちょっとお花見を楽しむのもいいかもしれません。

 なお、電車(RER B線)で行く場合は、Parc de Sceaux駅よりも、La Croix de Berny駅の方が八重桜の一画に近いです。


hanami  ソー公園のお花見 八重桜 Le parc de Sceaux


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2023年4月13日木曜日

噂話好きな知人にうんざりしている・・

 


 1ヶ月くらい前に、買い物に行った際に偶然、昔の同僚二人にばったり会いました。彼女たちは、私よりも一回り以上?年齢が上で、ちょっと世代も違う感じで特に親しくしていたわけではありませんでしたが、職場で顔を合わせれば、普通に話はするくらいの感じで、私がその会社に在職していた間に彼女たちは同時にではありませんでしたが、それぞれ、時間差で定年退職していきました。

 とはいえ、こちらの学校のこととか、子供の教育のことなど、すでに子育てがほぼ終わっていた彼女たちには、色々と教えてもらったりもしましたし、彼女たちにとっては、娘は、孫のような存在で、会社に娘を連れて行ったりすると、娘を散歩に連れ出して遊んでくれたり、これ〇〇ちゃんにあげて・・などとプレゼントをいただいたり、娘のことを心にかけてくださったり、お世話にもなったし、なにせ、けっこう長いつきあいではあったので、それなりに懐かしくはあったのです。

 私の方は、まったく誰かに会うなどとは思っておらず、声をかけられてびっくりしましたが、「あっちに彼女もいるのよ・・」と言われて、二人とは、かれこれ7~8年ぶり、いや10年ぶりくらいの再会でした。

 私に声をかけてくれた彼女はそんなに変わってはいなかったのですが、もう一人は明らかに変わっていて、びっくりするほど痩せていました。「うわぁ~久しぶり!あれっ?なんかすごく痩せたね・・」と言ったら、「うん、ちょっと体調崩してね・・」と、痩せた原因についてはあまり話したくなさそうだったので、それ以上、聞くこともなく、「相変わらず、一緒につるんでるんだね・・」と言って、少しだけ話をして、そのまま別れました。

 それから数日後、今度はまた、別の元同僚の一人からメールが来て、「あの2人に偶然、会ったそうですね・・」と書いてあって、彼女たちや、その他の元同僚などの近況がつづられていたのですが、主な内容は、すごく痩せてしまっていた彼女の病状について、事細かに詳しく書いてありました。

 メールをくれた彼女は、以前からとかく噂話好きな人で、私としては、ちょっと苦手なタイプの人でした。夫が倒れた時なども、かなり深刻な病状をあまり会社の人には話をしたくなかったのですが、たまたま彼女が家に電話をくれたりしたので、うっかり少し話をしてしまって、「騒ぎにしたくないから、他の人には黙っておいてね・・」と念を押したにもかかわらず、彼女の取り巻きだけには、「ここだけの話なんだけど・・」と彼女が吹聴してしまったことで、他の人からは、「なぜ?私には知らせてくれなかったの?」などと責められたりして、面倒な思いをしたこともありました。

 今回の彼女の病気についても、結構、深刻な病状のようなのですが、なにせ、本人はあまり話したくない様子だったのを知っているだけに、またそれを吹聴するようなメールを受け取って、ウンザリした思いでした。

 なんか、嫌なメールだな・・と思って、返信するのを躊躇っていたら、数日後に再び、「先日、メールを送ったのですが、届いていますか?」と確認するようなメールが再び届いて、ますますウンザリして、そのまま放置していたのでした。

 たまたま、別の用事で、共通の知り合いの結構、仲良くさせていただいている友人が別の用事で電話をくれた時に、そういえば、「彼女から電話があって、彼女があなたに連絡をとろうとしているけど、メールの返事もないし、家の電話も繋がらないって言ってたよ・・」と。

 そうそう、私は、もう1年くらい家の固定電話を切ってしまったので、携帯電話の番号を知らない彼女は家に電話をかけ続けていたようなのです。

 「なんで、そこまでして・・?」とその執拗さにますます、ウンザリしていると、また別の友人から電話で、「うちにも、あなたに連絡が取れないって電話があった・・」と。

 付き合いの途絶えている人間の近況を仕入れて、また噂話の種にするのは、見え見えで、また、彼女が話す噂話に付き合うのも苦痛です。

 彼女の今の最大のトピックは、彼女の仲良くしているはずの友人の病状なのには違いないのですが、本人が話したくないことを日常の付き合いのない人間にまで吹聴して歩くのは、悪趣味以外のなにものでもありません。また、それに乗じて、また噂話のネタを仕入れようとしていることも見え見えで、今は本当に固定電話を切っておいてよかった・・と思っているのです。


噂話


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2023年4月12日水曜日

自分はやっぱり日本人だなぁと思うこと・・

  


 妙なもので、自分が日本に住んでいる時には、自分が日本人だと意識することはほとんどありませんでした。しかし、おかしなもので、海外に住んでいれば、あらためて自分は日本人なんだなぁ・・と感じることは少なくありません。

 海外にいると、一般的にアジア人はわりと一括りにされる感じもあり、日本と中国の区別があいまいな人もいるし、圧倒的に中国人が多いせいかもしれませんが、マルシェなどのお兄さんなどには、「ニイハオ!」などと声をかけられて(相手にしてみれば、決して悪気はないとは思うのですが・・)、思わずムッとして、「私、日本人です!」などと、わざわざ訂正してしまったりすることもあります。

 やはり、とりわけ、食事などは、私が一番、自分が日本人だと感じる部分で、パリの街を食べ歩きしたりするのも楽しいし、とても美味しいのですが、しばらく続くと、どんなに美味しいものを食べていても、次第にゲッソリしてきてしまいます。

 高価な星付きレストランが美味しいのはあたりまえだし、肩が凝るし、予算オーバーになるので、私は、手ごろな値段で美味しいレストランを食べ歩くのが好きで(おまけに雰囲気が良ければ言うことないのですが)、これは!と思ったレストランにはできるだけ行ってみるようにしているのですが、しばらくこれを続けていると、結局、家で食事がしたくなって、「もう、本当に簡単にごはんとお味噌汁とお漬物にふりかけだけでもいい・・どんな外食よりも、本当はこれが一番美味しいんだな・・」などとしみじみしてしまうのです。

 最近、よく食べ歩きをするようになったのは、一時、ロックダウンなどで、ほとんど外食できなかったりした反動もあり、また、この間にお店もずいぶん、入れ替わったりもしているので、それも楽しかったりもするのです。

 しかし、結局は家で食べる白いご飯とお漬物・・みたいなものが私にとっての最高のごちそうであるのです。

 長年、海外生活を続けているうちに、こちらで手に入る食材を工夫して作る和食っぽい食事に彩りを添えるために、最低限の薬味のような野菜、紫蘇や三つ葉、小葱、山椒などはベランダで育てるようになり、また、これらは、前年にこぼれた種が春になると芽が出て育ってくれるようになっているのは大変うれしいことです。

 今は山椒の新しい芽が出てきている時で、ちょっと触ってみたら、それはそれは強烈な香りで、思わず鰻が食べたくなりました。しかし、家には鰻はなし・・。しかし、摘んでも摘んでも出てくる春の香り、これはもったいないと、急な思いつきで、自己流でおいなりさんの酢飯に山椒の新芽を混ぜてみたりして、今日は、それはそれは満足したランチになりました。

 こんなささやかなことですごく満足するあたり、私はやっぱり日本人だなと思う瞬間です。

 また、最近、日本食ブームのフランスで、冷凍食品や日本食などがスーパーでも見られるようになり、それなりにアレンジされて作られて、パッケージの写真には、その食品にお箸が添えられていたりするのですが、かっこつけているつもりか、丼の上に置かれたお箸は交差しておかれていたりします。

 


 そんなお箸の置き方が妙に気になって仕方がなかったり、どことなくおさまり悪い気持ちが拭えなかったりするのにも、日本人だな・・と思う瞬間です。

 おまけに上に添付した怪しげな Udon(うどん)なるものも、極めつけには、「中国の味・・」などとご丁寧に書かれており、中国と日本がごちゃ混ぜにされているのをここでも感じます。

 とはいえ、そこそこの外食を楽しみつつも、やっぱり家で作るごはんが一番いいと思ってしまいがちな私は、つい先日、天気の良い日に、ワクワクした気持ちで春菊、水菜、コカブ、ニラなどの種まきをしたのでした。


日本人の実感


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