2020年1月24日金曜日

フランス人の主人が突然、親友と絶交した理由




 主人には、エディという、とても親しくしている友人がいました。

 主人が前の奥さんと離婚する前に住んでいたアパートの近所に住んでいたのですが、私が、フランスにやってきた時も、主人のお兄さん夫婦の次に、彼が紹介してくれたフランス人の友人でした。

 彼が、外国に転勤になって、数カ国を渡り歩いて、フランスに戻ってきて、家が遠くなっても、彼らの関係は続いており、私も彼と一緒に娘を連れて、エディの家に招かれて、食事をしたりしたこともありました。

 エディは、ごくごく一般的な、会社勤めをする中流階級のフランス人で、彼には、少し年上の幼稚園の先生をしている奥さんと、当時、中学生くらいだったお嬢さんがいました。

 奥様は、とても、お料理が上手で、彼と一緒に行くと、彼女の得意料理であるシュークルート(フランスのアルザス地方の郷土料理)(細く刻まれたキャベツを白ワインやシャンパンなどで発酵させた少し酸味のあるものと、ソーセージなどの豚肉の加工品と一緒に食べる料理)を山ほど作って、もてなしてくれたりしました。

 彼とエディの付き合いは、長かったので、エディのお嬢さんにとっても、主人は、小さい頃から、知っている親戚のおじさんのような存在でした。

 彼の奥さんは、趣味で、絵を描く人でもあり、彼女がパリで友人と開いたグループ展のようなものに行ったこともありました。

 私が仕事を始めて、しばらくして、私の方は、どんどん忙しくなり、また、娘も成長するに連れて、私も彼も、お休みの日には、娘の公文の教室やお稽古事の送り迎えなどで、時間が取られるようになり、エディとは、あまり、会う機会がなくなっていきました。

 それでも、主人とエディは、時々、電話をしあったり、付き合いは、続いていたのですが、それが、ある時、突然、断ち切られたのです。

 それは、エディのお嬢さんから主人にかかってきた電話がきっかけでした。

 私が、最初に彼女に会ったのは、彼女がまだ、中学生くらいで、小柄で、フランス人にしては、珍しく、年齢よりも幼く見えるような感じの女の子でした。

 彼女が主人に電話をかけてきた時には、高校生か大学に入りたての頃だったと思いますが、電話の内容は、今まで、長いこと彼女が苦しんできた衝撃的な告白でした。

 なんと、彼女は、長いこと、父親から、性的虐待を受けてきたというのです。ずっと、誰にも言えず、苦しんできた彼女は、思い余って、彼の父親のことも、自分のことも知ってくれている主人に相談を持ちかけてきたのです。

 私自身は、あまり長い付き合いでもなく、なにせ、フランスに来たばかりの頃で、まだ赤ちゃんだった娘を連れて、右も左もわからない生活がスタートした頃でしたので、あまり、冷静に人を見ることができなかったかもしれませんが、少なくとも、ごくごく普通の、小柄ではあるけれど、少し威勢のいい、人のいいおじさんという印象でした。

 主人にとっては、長い付き合いでもあり、少なからず、ショックでもあり、何より、ショックというよりも、激しい怒りと憤りを隠せませんでした。しかし、これまでの長い付き合いからは、そんな素振りは、微塵も見えずに、エディの家庭の問題については、全く、気がつかなかったそうです。

 その衝撃的な電話以来、主人は、ピッタリとエディとは、付き合わないようになりました。その後、主人は、彼のお嬢さんが、家を出て独立することを勧め、父親から離れられるように手を貸してあげたようです。

 お嬢さんからは、しばらくは、時々、連絡があったようですが、以来、エディとの関係は、プッツリと切れてしまいました。

 ごくごく普通の平和そうに見えていた家庭に潜んでいた大問題に、改めて、恐ろしさを感じた出来事でした。

 それにしても、自分の娘をこんなに苦しめる父親って、許せない。














2020年1月23日木曜日

やっぱりフランス人は、肉食だなと思わされるパリのスーパーの魚売場




 買い物に行くと、フランス人は、肉食人種だなと、つくづく思います。

 我が家の近所には、マルシェがないので、買い物は、どうしても、スーパーマーケット頼りになってしまいます。

 スーパーマーケットは、比較的、値段も安定していて、買い物もしやすいのですが、肉か魚かと言えば、圧倒的に肉になってしまいます。

 なぜなら、ろくなお魚が売っていないからです。(マルシェに行けば、そこそこのものは、手に入ります。)
 しかも、パリのスーパーのお魚コーナーには、季節感がなく、クリスマスの前になると、生牡蠣の箱が積み上げられて、売られていたり、オマールやエビや貝が盛り合わせになったものなどが売られてはいますが、それ以外は、ほぼ、一年を通して、ほぼ、同じものが並んでいます。

 多分、彼らが一番、好きなのは、サーモンだと思いますが、サーモン以外だと、スズキ、ヒラメ、鯖、イワシ、茹でてあるエビ、ホタテ貝、ゴムのような肉厚のイカ、黒ずみかけたマグロの切り身、時にアンコウなどが、細かく砕かれた氷の上に、水と光を浴びて並べられています。

 魚が恋しい私としては、ろくなものがないと知りながらも、恨みがましく、スーパーに買い物に行けば、一応は、魚売り場を一回りして、間違って、新鮮で、美味しそうな魚がおかれてはいないかと、一巡してみるのですが、いつも結果は、虚しく、やっぱりないな・・と、諦めて、お肉のコーナーに戻るのです。

 日本のようにお刺身で生で食べるという習慣がなく、必ず火を通し、バターでソテーしたり、ムニエルにしたり、フランス料理のソースをかけて食べるので、新鮮さは、求められていないのかもしれませんが、日本なら、到底、売り物にはならないだろう代物が、しかも、結構な値段で売られているのです。

 それでも、何回か、買ったことはありますが、ことごとく裏切られ、最悪だったのは、大きな舌平目を奮発して買ってムニエルにしたら、牛タンのような味がしたことがあり、それ以来、ほとんど、このスーパーで、魚は買わなくなりました。

 我が家のお魚は、冷凍食品メーカーのPICARD(ピカール)頼り、ピカールの加工していないフィレになったお魚が唯一の頼みの綱です。特に、うちでは、鯖は常備しており、これは、なかなかの安定したクオリティーを保って、提供してくれています。

 最初に、多分、フランス人が一番、好きなのは、サーモンだと書きましたが、おそらく、フランス人が一番食べているお魚は、poisson pané (プアソン・パネ)といって、
冷凍食品で、(チルド状のものもありますが)細かいパン粉のついた、白身の魚のフライのようなもので、魚の切り身の形をしていることもありますが、その多くは、8cmくらいの棒状になったもので、軽くオーブンで温め直すか、揚げ直して食べます。

 これは、学校のキャンティーン(給食)などでも、定期的に登場するメニューでもあり、家庭でも(子供のいる家庭は特に)おそらく、一番、食べられている魚料理なのではないかと思います。

 ある時、フランスのマスコミで、「今の子供は魚を知らない、プアソン・パネが海を泳いでいると思っている子供がいる・・」などと揶揄されて、書かれていたことがありました。

 肉なら、まずまずのクオリティーで、たくさんの種類のものが簡単に手に入るのに、魚がこれほどまでに悲惨な状態なのは、やはり、圧倒的に、需要が少ないわけで、やはり、彼らは、肉食人種なのだと思わざるを得ません。

 うちの主人(フランス人)が、生きている牛を見て、「美味しそうだ!」と呟いた時には、思わず、主人の顔を二度見してしまいました。

 











2020年1月22日水曜日

フランス人のダンナはよく働く




 フランス人の男性は、家庭の中で、よく働くな・・と、よく思います。

 家庭内で、女性が強いのか? フランス人のダンナさんは、奥さんの言うことをよく聞くな・・とも思います。これは、女性も、あたりまえにかなりの確率で、仕事を持っていることもあると思いますが、とにかく、旦那のフットワークが軽いのです。

 家事や、育児、家庭内のことで、フランス人の家庭では、おそらく、家事や育児をダンナさんが手伝ってくれているという感覚は、ないと思います。

 お互いがやるべきことをやっている・・そう言う感覚なのだと思います。

 日本には、専業主婦も多いので、女性が家事をするのが当たり前のような風潮があり、それが、共働きになっても、その感覚を引きずったままの人(特に男性)が、少なくないのではないかと思います。

 日本のドラマなどで、夫婦喧嘩のシーンで、「ゴミ捨てをするくらいで、家事を手伝っているなんて、大きな顔しないでよ!」などという場面があったりするところを見ると、あまり、家事には、協力的な感じがしません。

 だいたい、協力的という言葉を使うこと自体、家事の主体は、妻が担っているということに他ならないのです。

 フランスでは、子供の送り迎えなども、特に、朝などは、男性が子供を送ってから出勤する家庭も多いですし、(我が家もそうでした。)、娘のクラスメイトの家族には、食事の支度は、パパ・・なんて、家庭もありました。

 娘が病気で一週間ほど、学校を休んだ時に、クラスメイトがその間のノートを貸してくれたことがあったのですが、そんな時に、せっせと、お嬢さんを連れてノートを届けてくれたのも娘の友人のパパでした。

 土曜日の朝のスーパーマーケットなどは、女性よりも、むしろ、男性の方が多く、奥さんに頼まれているのか? それとも自分でリストを作っているのか? とにかく、メモを片手に、男性が熱心に買い物をしています。

 しかも、彼らには、全く、やらされている感じがなく、むしろ、ニコニコ、ウキウキとやっているように見えるのです。

 先日も、ルボンカン(フランス版メルカリ=日本のように全て配送ではなく、交渉して、各々が手渡しをする場合もあります)で、品物の受け渡しの約束をしていて、メッセージでやり取りをしていた方の名前が女性だったことから、最初は、その人だとは、わからず、やってきた男性に、「???」と思い、「女性だと思っていました!」と言ったら、「妻に頼まれて、受け取りに来ました。」と爽やかに答える、非常に感じの良い男性でした。

 うちの場合も、はっきりと取り決めをしたわけではありませんが、子供を朝、学校に送っていくのは、主人、車関係、公的な書類、娘の学校に関して、アイロンかけ、靴磨き、などは、主人がやります。

 料理と洗濯は、私・・と、いつの間にかそれぞれに家庭内での仕事は、分担されていました。その他のことは、それぞれができる時にできる人がやるという感じです。私自身も主人に家事を手伝ってもらっているという感覚はありませんし、彼の方も手伝っているという気持ちは、ないと思います。

 どちらかが、病気になったりすれば、病院に連れて行ったり、看病したりは、お互い様です。

 なので、フランスでは、少なくとも、家事や家のことを男性がやっていても、奥さんにやってもらえなくて気の毒だ・・・などと思う人は、いません。

 自分の家族の家庭内のことをそれぞれが補い合いながらやっていく、そんなに不思議なことでもないと思うのです。自分のことは、自分でやる。自分という意識の中に自分の家族も含まれているのです。

 むしろ、大の大人が自分の家庭内のことを、奥さんにやってもらうことばかりを期待するのは、あまりに幼稚だと思うのです。

 





 


2020年1月21日火曜日

メルカリとルボンカン(フランス版メルカリ)に見る、やたら礼儀正しい日本人とめんどくさいフランス人




 あらためて、家の中を整理すると、いらないものは、数多くあり、買ったは、いいけど、使っていないもの、頂いたけど、使っていないもの、なぜかわからないけど、家にあるけど、使っていないもの・・に溢れていて、実際に、今、生活をするのに使っているものなど、ごくごくわずかなのに気がつくと唖然とさせられます。

 現在、主のいなくなってしまった日本の実家の片付け中、パリのアパートでも断捨離中の私は、コンマリじゃないけど、もう、古くて、どうしようもないものは、「ごめんなさい、ごくろうさまでした。」と捨てさせていただき、それ以外は、少しでも有効に、と思い、知り合いに引き取ってもらったり、寄付したり、できれば、少しでもお小遣いになればと、買取業者に来てもらったり、日本では、メルカリに出品してみたり、フランスでもフランス版メルカリのようなシステムを利用しています。

 日本に帰国しても、滞在期間が限られているので、メルカリに出品するのは、なかなか大変ですが、これだけ、急激に普及したメルカリのシステムというものをちょっと体験するのも、今の日本人の一面を覗けて、興味深い体験でした。

 実際に、メルカリというシステムは、とても良くできていて、品物の配送などは、コンビニ等でも受け付けてくれるし、相互に人と人とが直接に会うことなく、個人情報なども保たれて、また、相手に対しての対応などの態度をお互いに評価するシステムが組み込まれ、メルカリという会社の監視下にあるために、基本的に安心できるシステムになっているのです。

 ネットに写真と商品の詳細を書き加えて載せた時点で、問い合わせや購入希望の連絡が入るのですが、評価を気にしてなのか、皆、大変、丁寧な言葉使いで、一見、とても礼儀正しいのですが、実のところ、そのメールの内容というのは、かなり執拗な値切りであったり、値切ったあげくに、お店でもないのに、お取り置きをしておいてもらえないかというような、訳の分からないものだったりすることにも、とても、日本らしさを感じるのです。

 一方、フランス版メルカリのleboncoin(ルボンカン)というサイトは、メルカリのような、ガチガチに管理されたシステムではありませんが、メルカリのように手数料を取られることもありません。

 お互いがルボンカンの中のアカウントのみに通用するメールで、メッセージを送りあって、品物について、質問したり、値段の交渉や引き渡しの相談をして、小切手を送ってもらうか、ルボンカンを通じて、入金してもらって、郵送したり、実際に待ち合わせ場所を指定して、直接に、引き渡しをしたりします。

 こちらは、フランス人相手なので、興味のあるものもなかなか、意外で、つい先日は、日本の「こけし」に結構な問い合わせと、値段交渉がありました。

 その中で、いかにも、フランス人らしい、めんどくさい人がいました。

 私が、品物の値段を決める時には、他にすでにサイトに載せられているものを検索してから、それを参考にして、値段を設定しているので、その「こけし」も、他に出品されている「こけし」を参考に値段を設定したので、そんなに法外な値段ではないと思うのですが、問い合わせをしてきた、「こけしマニア」のフランス人から、最初、あなたの出品している「こけし」は、大きさのわりには、高いのではないか?というメッセージが入ったのです。

 不思議なことに、その人は、だからと言って、値段を交渉するのでもなく、自分の方が一方的に自分は、これまでに何千というこけしを見てきたが、一般的なこけしは、こんなに小さなものではなく、どこかに展示されていたという人間よりも大きいようなこけしの写真をいくつも送ってきて、自分のこけしに対する思い入れと知識をとうとうと披露してくるのです。(何枚ものこけしの展示会の写真や何行にもわたるこけしについての見解)

 はっきり言って、一般的なこけしについては、おそらく、日本人の私の方が知っている(といっても私は、こけしマニアではありませんが、だいたい日本で流通?している一般的なこけしがどんなものかどうかは、私の方が知っているはず)のです。

 しかし、相手には、私が、日本人だということはわからないのです。

 結論の見えない議論を目的としたやり取り、やり取りというよりは、一方的に自分の知識と見解を相手の反応をお構いなしに延々としようとするのは、フランス人にありがちなことなのですが、こんな機会にそういう人に遭遇するのもフランスだなあと怒るよりも、苦笑するしかありません。

 付き合いきれないので、当然、無視です。

 フランス人は、意外なものに食いつくのにも、ルボンカンでさえも、とうとうと語ろうとするめんどくさい人がいるのもビックリしている次第です。

 こんな、ちょっとしたネット販売にも、国民性というものが垣間見えて、なかなか興味深いです。

 こけしは、今日、別の買い手が、現れ、近所まで、引き取りに来てくれて、けっこう、良い値段で、無事、売れました。










 











2020年1月20日月曜日

「さすがフランス!」の意味が逆転する日 日本人は、なぜフランスを美化するのか?





 私が最初にパリに来たのは、単なる観光旅行で、私の好きな井上靖の小説に度々出てくる、パリのチュイルリー公園や、ロダン美術館などを訪れて、初めて見るパリの街並みに感激し、どこを撮っても絵になると、写真を撮りまくり、うっとりとパリの街並みを眺めながら、もう、二度と来ることはないんだな〜と思いながら、うるうるしたりしたのを一緒に来ていた友人に笑われた記憶があります。

 だからと言って、私は、特に、フランスに憧れていたわけでもなく、ましてや、住みたいと思ったことは一度もなく、それどころか、フランス語だけは、絶対に嫌だ!と思っていたくらいなので、逆に、まさか、フランスに住むことになろうなどとは、思ったこともなかったのです。

 それが、どういうわけか、相手をフランス人とも知らずに好きになり、海外で暮らすことになったかと思ったら、アフリカから、早々に、主人がフランスに転勤になり、以来、もう20年以上フランスに住むハメになってしまったのです。

 パリの街並みの景観の美しさとは、裏腹に、感じ悪いフランス人には、旅行の時でさえ、薄々、感じては、いたものの、実際に生活するとなると、その生活の不便利さ、不合理さなどのもろもろは、計り知れないもので、私の感情は、日々起こるパリでのトラブル満載の生活に対して、怒りから、諦め、そして、悟りの境地に達していったのです。

 そんな実際のパリでの生活事情とは、ウラハラに、日本でのフランスのイメージは、どんなことがあっても崩し難く、なぜ、フランスが日本でのこの美化されたイメージを保ち続けられるのか、不思議でなりません。

 日本のデパートに行けば、フランス語の使われたお店の名前が溢れかえり、食料品売り場などにも、どれだけフランスのお店があるか、ビックリするほどです。

 娘が小さい頃は、娘の洋服などは、ほとんど母や叔母が日本から送ってくれたものを着せていたにも関わらず、会う人は、皆、「さすが、フランスのお洋服、可愛いわね〜!」と「さすが、フランス!」を連呼するのです。

 日本の友人や親戚などには、帰国するたびに、私がどれだけ、フランスでの生活がトラブル満載かを訴えても、それは、あっさりと受け流され、彼らは、美化されたフランスのイメージを抱き続けるのです。

 フランスだって、綺麗なところも良いところもあるには、ありますが、フランスでの生活には、それを上回って余りある苦難と試練があるのです。

 いつの間にか、度々起こるトラブルに対しても、もうすでに、大して、怒ることもなくなり、逆の意味で、「さすが、フランス、やらかしてくれるな・・」、すんなり事が運ばなければ、「まあ、そうだろうな・・ふつうだな・・やっぱ、さすがだな・・あっさり行くわけないよな、フランスだもん!」と、「さすが、フランス!」の意味が、嫌味と自虐の意味を込めた、全く反対の意味になっているのです。

 










2020年1月19日日曜日

フランス人にとっての夫婦の寝室





 主人は、大変な暑がりで、冬でも寝室の窓を開けて寝ようとするので、私は、寒くて寒くて、「じゃあ、違う部屋で寝るから・・」と、言ったことがありました。

 すると、主人は、まるで、私が離婚を申し出たかのごとく、「違う部屋で寝ることは、ありえない!」と言って、血相を変えて、それを拒否したのでした。

 私は、同じ部屋で寝るかどうかということよりも、同じ部屋で寝るということにそこまで、こだわっていた主人にビックリしました。

 私たちは、日頃、別段、仲が悪いわけではありませんが、かといって、そんなにラブラブなわけでも、ベタベタしているわけでもなく、まあ、普通の感じの夫婦の関係だと思っていたのです。

 しかし、彼にとっては、夫婦が別の部屋で寝るということを、とても深刻な問題として、受け止めていたのです。

 彼がフランス人代表とは言いませんが、なんとなく、主人のその言動から、フランス人の夫婦、カップルの関係について思いを馳せたのです。周りのフランス人のカップルの寝室事情は、わかりませんが、やはり、どこか、夫婦がいつまでも男と女の部分を失くさないように思うのです。

 いつか、別のブログでも書きましたが、スポーツジムで見かける女性たち(けっこうな歳のオバサンも含む)の下着の派手さから、フランス人は、女を捨てない!と感じたこととも通ずるところがあるのかもしれません。

<フランス人は、女を捨てない!>https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/07/blog-post_14.html

 そして、主人は、娘が私たちの寝室で寝ることも、頑なに、決して許さず、川の字になって寝るなどということは、一度もなく、時間になると、娘は、子供の部屋に一人で寝る習慣をつけさせていました。

 日本では、夫婦が寝室を別にするという話は、よく聞きますし、夫婦の寝室に子供を一緒に寝かせるという話もよく聞きます。

 なので、私は、それほど、「窓を開けて、寒いから、別の部屋に寝るよ!」と言ったことが、それほどの重大問題とは、思わなかったのですが、彼にとっては、寝室を別にするということは、大変な重大事だったのです。

 たしかに、夫婦が二人で過ごす時間を大切に考えているがゆえの、フランス人にとっての夫婦のあり方、そして、夫婦の寝室へのこだわりに、私は、改めて、文化の違いを思い知らされた出来事でありました。

 




















2020年1月18日土曜日

香水を楽しむフランス人




 我が家は、私だけでなく、弟も海外生活が長く、アメリカに長いこと駐在した後、今は、シンガポールに駐在しています。そんな海外にも慣れている彼が、初めてパリに来てくれた時、パリは、街中がDUTY FREE SHOP の匂い、つまり、香水の匂いに溢れているというのです。

 私は、自分自身も香水(といっても、parfum(香水)ではなく、オードトワレか、せいぜい、オードパルファムですが、)を使うことが習慣になっているので、あまり、街中の香水の匂いが気になることは、ありません。

 しかし、日本に比べれば、きっと香水を使っている人は、多いと思いますし、特に、男性の香水の使用率は、日本と比べたら、かなり高いのではないかと思います。

 例えば、何か、プレゼントをするときに、日本人なら、香水は、好みもあるし、使わない人も多いので、避けることが多いと思うのですが、実際のところ、好みがあるのは、香水だけに限ったことではなく、単に、あまり使う習慣がないからだと思うのです。

 好みがよくわからない人にプレゼントするなら、比較的、万人向けの、軽い香りのものを選べば良いわけで、フランス人に香水をプレゼントして、嫌な顔をされたことは、ありません。嫌な顔どころか、大仰に喜んでもらえます。

 また、香水のフラコン(瓶)のデザインも楽しめて、コレクションをしている人などもいて、蚤の市などでは、空のフラコンでさえ、売られています。

 実際に、香水メーカーも一流どころは、そのデザインにも、かなり力を入れています。
 ニナリッチの L'AIR DU TEMPS(レールデュタン)などは、生産性の悪いことに、同じ香水でいくつもの種類のフラコンを出していますし、シャネルの香水のフラコンは、どれもシンプルですが、洗練されていて、嫌味がありません。

 シャネルの5番のフラコンのキャップは、長方形を加工した形になっていますが、それは、上から見ると、パリの Place Vandome(ヴァンドーム広場)の形になっているのをご存知ですか?

 そんな、デザインの小さなことを楽しんでいるのも、フランスならではのエスプリのような気もするのです。

 しか〜し!!この香水の香りをぶっ飛ばす、激しい体臭の持ち主が、時折、いることも事実です。特に夏場になると、街中、特にメトロの中などで、強烈な体臭に遭遇する確率は、高くなります。

 この時ばかりは、フランスに香水が溢れかえる理由がわかる気がするのです。