2019年12月5日木曜日

いつの間にか死語になっていた言葉と新しい言葉




 私が、日本で最初に就職した会社は、ある大手メーカーの本社で、研究部門のトップが集まっている、会社全体の研究を企画、運営しているセクションで、若い男性の存在は、皆無で、かなり年輩の男性が多く、平均年齢が50歳以上という、社内恋愛には、絶望的な環境でした。

 年齢的なものに加えて、理系出身者が多く、浮世離れした人が多かったせいもあるかもしれませんが、当時、彼らの口から発せられた、いくつかのワードに驚かされたことが、ありました。

 私が、「夏休みをとって、海に行くのです。」という話をした私に、「ほ〜っ!海水浴ですか〜!」と言われ、「海水浴」・・なかなか言わないなあ・・と驚かされた覚えがあります。

 また、雨が降ってきて、「今日は、コウモリ持ってきてない・・」と呟くおじさんもいて、「コウモリ」・・って・・と、苦笑させられたこともありました。

 つまり、意味がわからないことは、ないけれど、普通、今は、あまり使わない言葉、「死語」だったわけです。

 海外生活も長くなり、今となっては、きっと、立場が逆転し、私の方が、「死語」を使っている可能性が高いですし、新しい言葉で、日本語にも関わらず、意味がわからない言葉に遭遇して、慌てて、調べる・・ということもあります。

 また、これは、死語ではありませんが、ある時、娘に「レコードって何?」と聞かれて、明らかに世代の違いを感じて、愕然としたことがありました。

 考えてみたら、彼女が生まれた時には、レコードというものは、ほとんと一般的には、存在しなくなっており、恐らく彼女は、レコードを見たこともないのです。

 しかし、死語は、海外で使っていても、自分自身で、あまり気付くことも、気付かれることもありませんが、新しい言葉がわからないことには、ちょっとショックだったりすることもあります。

 私の友人で、30年以上、パリに住んでいる日本人の女性がいますが、彼女は、普段、ほとんど、日本人との接触もなく、ある時、ふと私が、口にした、「イケメン」という言葉に、???「イケメン」ってなに??と問われて、これまた、長いこと彼女が日本語に接していないのだなあ・・と、これは、これで、新鮮な驚きでした。

 私は、ある日本の雑誌で、パリのお店の商品を紹介している記事を見ていて、その中で、「ガーリー」(女の子っぽい、girly )という言葉が使われていて、日本語なのに、わからない言葉との遭遇で、ちょっとしたショックを受けました。

 日本にいたとしても、あまり使う機会がなさそうな言葉ですが、こうして、日本を離れている間に、死語になっていく言葉と新しく生まれる言葉があることに、いつのまにか、積み重なる日本との距離に感慨深いものがあるのです。

 

 

 










2019年12月4日水曜日

アフリカのアパートにいたケチケチな外交官




 私たちがアフリカに住んでいた頃に、わりと、家族ぐるみで、行き来をしているフランス人の外交官がいました。

 私たちが住んでいたのは、フランス人の公務員専用のレジデンスで、高い塀に囲まれ、レジデンスの入り口には、常に警備員が数名おり、気軽に外の人が出入りできるような所ではありませんでした。

 しかし、庭やプールなどを含めると、相当、大きな敷地でしたので、多分、かなりたくさんの人が住んでいたと思うのですが、正直、ほとんど、他の住民には、会ったこともない、今から考えると、不思議な空間でした。

 アパート自体も、ワンフロアに一家庭、しかも、それぞれがメゾネットになっているので、建物の大きさの割合にしては、住民は少なく、出かけるときは、誰もが大抵、車なので、顔を合わせるということもあまりありませんでした。

 そんな中で、同じ、アパートの中に住む、主人が唯一、付き合いのある、主人よりも少し年上のフランス人の外交官がいました。

 彼は、主人の同僚の外交官で、奥さんは、ラオスの人でした。

 アフリカも初めてだった私に、彼ら、特に、奥さんは、色々とアフリカでの生活について、親切に教えてくれました。

 しかし、少しずつ、慣れていくに従って、彼らが異常にケチであることに気づき始めました。フランス人というのは、概してケチで、締まり屋の人が多いのですが、今から考えると、彼らは、異常にケチでした。

 反対に、うちの主人は、フランス人なのに、もう少し、気をつけてよ!というくらい、大盤振る舞いをする人で、うがった見方をすれば、主人は、カモられていたのかもしれません。

 彼らは、主人より年上でもあり、海外生活も格段に長く、色々な国を転々としている人たちだったので、それなりの収入は、あったと思うので、なぜ、彼らがあれほどまでにケチケチな生活をしていたのか? 今から考えれば、とても妙な人たちでした。

 今なら、ネットもスマホも誰でも持っているので、そんな問題も起こらないと思うのですが、当時は、まだスマホもなく、携帯はありましたが、通信手段の大部分を家の電話やファックスに頼っていた時代です。

 彼らは、自分の家に電話もファックスも置かず、電話が必要な場合は、必ず、我が家に電話を借りに来ていました。しかも、その多くが国際電話です。

 また、夜に一緒に、カクテルパーティーをしたりすることがあっても、必ず、場所は、我が家で、彼らの家は、絶対に提供しないのです。

 外で、主人と二人で飲んでいたりして、彼らと偶然出くわしたりしても、支払いは、必ず主人です。

 また、アフリカでは、外国人に対して、現地人の使用人を置くことが義務付けられていますが、彼らは、週3日だけ、しかも半日の最小限に留めていました。

 うちにいたボーイさんは、ほぼ毎日、来てくれていましたが、それでも彼らの月給は、月2万円程度でした。それを半分以下に抑えるのですから、なかなかです。

 現地のボーイさんは、大体が、前任者から、そのまま引き継がれて、雇用されることが多いので、彼らの家に来ていたボーイさんは、雇い主が彼らに変わって以来、収入が半分以下になってしまったわけですから、大変な痛手であったとボーイさん連中の間でも彼らのケチぶりは、有名であったようです。

 ところが、そんなケチな二人は、自慢話が大好きで、特に、パリの16区にアパートを持っているというのが、たいそうご自慢なようで、これまで、転々としてきた任地で買い集めたお宝を16区のアパートに飾っているのだそうで、どれだけ、パリのアパートの話を聞かせられたかわかりません。

 考えてみれば、ケチな人ほど自慢話が多いような気がします。

 当時は、主人との生活自体も、アフリカでの外交官の生活にも不慣れだった私は、自分自身が生活に慣れることに必死で、彼らの振る舞いにも、あまり、疑問を感じませんでしたが、今、思い返してみれば、ツッコミどころが満載です。

 定年を迎えたら、パリの16区で暮らすのだと言っていましたので、彼らの人生設計どおりに行っていれば、彼らは、今、パリに住んでいると思うのですが、私たちがアフリカを離れた時に、彼らは、また、アフリカの別の国に転勤になったので、それ以来、会ったことはありません。

 彼らが今、パリの16区で相変わらずケチケチな暮らしをしているのか? ちょっと覗いてみたい気もします。


 














2019年12月3日火曜日

基本、信用しないことで成り立つフランスでの生活




 我が家の近所には、大きな passerraile (パスレール)(歩道橋、陸橋のようなもの)があって、その陸橋には、かなり高い階段とともに、エスカレーターがついていました。

 私が現在の住まいに引っ越してきた頃から、そのエスカレーターは、動いたり、動かなくなったり、修理を繰り返して使われていたので、運が良ければ、動いているかな?という感じでした。

 それが、5年ほど前に、とうとう、エスカレーターは、撤廃して、新しくエレベーターが設置されることになりました。

 壊れたエスカレーターには、工事中の柵がかけられたまま、工事は、なかなか始まらず、2年くらい放置されたまま、これなら、せめて、エスカレーターの上を歩かせてくれる方が遠回りしなくて済むのに・・と思いながら、陸橋を渡るときには、長い階段を登っていました。

 そして、ようやく工事に取り掛かり始めてから、さらに、また約2年、工事は、何回も中断しながら、ゆっくりゆっくり進み、つい最近、ようやくエレベーターの様相が現れ始めました。

 これから、また、どれだけかかるかと、もはや、期待さえ、しなくなっていましたが、つい先日、どうやら、完成したようで、通りかかった時に、恐る恐るエレベーターのボタンを押してみると、エレベーターが降りてくるではありませんか?

 最悪、途中でエレベーターに閉じ込められることを覚悟で、携帯電話を握りしめながら、エレベーターに乗って、陸橋の上にすんなりと着いた時の感動といったら、ありませんでした。

 エスカレーターが壊れて、エレベーターが設置され、それが普通に動くことに、こんなにも感動する自分に、改めて、いかに、フランスでの生活の一つ一つの事柄を信用しないことを前提に暮らしていることに気付かされたのです。

 それは、もう20年以上にもなるフランスでの生活の一つ一つに、少なからず、痛い目にあってきた結果なのです。

 たとえば、駅で、切符を買うのに、今は、自動券売機が主流ですが、私は、必ず、券売機で切符を買うのにも、駅員がいることを確認してから買います。

 券売機には、問題があった時に、問い合わせのできる呼び出しボタンのようなものが着いていますが、呼び出しボタンに応答してくれる人が出てくれるとは、限らないからです。

 問題が起こった時には、その場で、苦情を訴えなければ、泣き寝入りすることになる可能性が大です。

 以前、券売機にカードを通して、カードが通ったことが確認されてから、切符が途中で、出てこなくなってしまったことがありました。

 幸い、駅員さんが窓口にいたので、返金の手続きをしてくれたので、よかった・・と思っていたのですが、後日、お金は、落とされていないので、返金の必要がないと確認されましたという通知がパリの営団交通から通知が届きました。

 人を介してでさえ、そんなことがその場で確認できない、いい加減さには、もうお手上げですが、トラブルをできるだけ、回避し、トラブルに遭った時には、どう対処するのか、また、対処しやすい方法で生活することをいつの間にか、悲しいかな、身につけてしまっているのです。

 ネットで注文した商品が届かない、紛失する、家の中の工事を頼んでも、約束の日時に来ないことなど、普通です。

 いつか、インターネットが故障した際にネット会社に問い合わせの電話をして、ある程度、色々なことを試みて、やっぱり修理が必要だということになり、修理の担当の人が来てくれたことがありましたが、要領を得ない人で、色々といじった挙句に、「わからない・・、次回、別の人に来てもらいますから・・」と言って、帰って行ったことがありました。

 修理の人が来ただけで、出張料金が取られます。お金だけでなく、こちらもそのための時間をまた、割かなければならないし、何より、その間、インターネットは、使えません。

 フランスでは、修理ができない人も修理に来る可能性があることをその時、学びました。

 果たして、次回は、優秀な人が修理にやってきてくれて、難なく、修理は、完了しました。私は、次回、もし、また、修理が必要になった時のために、その人に頼み込んで、次回は、個人的にお願いしたいからと、連絡先を聞きました。

 彼は、会社には、絶対に言わないことを約束してくれるなら・・と連絡先を教えてくれました。

 幸い、それ以来、インターネットが故障することはなく、彼に連絡したことは、ありませんが、トラブルが起こった時に、少しでも痛手を最小限にする生活の仕方を常に何重にも用意して暮らしているのです。

 「信用しない」「期待しない」「黙って諦めない」これが、私のフランスで生活していくためのモットーのようなものです。

 こうして生活していると、5年がかりで、やっと完成したエレベーターがすんなり動くことに感動するようになるのです。

 正直、こんなことに感動している自分に気づいた時は、とても、微妙な気持ちになりました。


 







2019年12月2日月曜日

フランスは、靴の文化の国




 私が妊娠したのがわかった時、主人が一番最初に娘のために買ってきてくれたのは、赤ちゃん用のかわいいピンクの靴でした。

 妊娠がわかった時には、すでに性別を教えてもらって、女の子だということがわかっていましたので、女の子用にとピンクの靴を選んだのだと思われます。

 しかし、赤ちゃんのための、最初の買い物というのが、靴だというのが、私には、どうにも解せませんでした。

 まだ、歩きもしない赤ちゃんに靴・・しかも、当時は、アフリカにいて、娘が生まれてすぐに、パリへの転勤が決まっていたのに、フランス製の靴をアフリカで買ってくるという不経済。(アフリカでは、輸入品は高いのです。)

 考えてみれば、フランス人というのは、靴の文化の国の人で、我が家では、家の中が汚れるのが嫌なので、土足厳禁ですが、家の中でも土足という人が少なくありません。

 日本人と比べて考えたら、圧倒的に靴を履いている時間が長いのです。

 赤ちゃんにも歩く前から靴を履かせます。

 フランスだと冬は寒いので、防寒の意味もあるのでしょうが、しかし、実際は、四季は関係なく、赤ちゃんにも靴を履かせます。

 そんな、主人は、娘が小さい時から、革靴を履かせ、運動靴を履かせるのを嫌いました。もちろん、スポーツをする時には、スポーツシューズでしたが、それ以外、学校の通学などにも革靴を履かせていました。

 主人曰く、革靴をきちっと履いていないと、足の形が悪くなるというのです。

 娘は、主人が買ってくる革靴を履いて、学校へ通っていましたが、実際、子供が学校で遊ぶとなったら、革靴であることなど、おかまいなしに走り回って遊ぶのですから、その痛み方も半端ではありません。

 また、スポーツも、なんでも、運動靴一本ではなく、randonnée (ランドネ)(ハイキング)用の靴、ボルダリング用の靴(ボルダリングはフランスでは、結構盛んで、学校にもボルダリング用の壁があったりします)、スキーの靴、バレエ用の2種類の靴、乗馬用の靴、などなど、年々大きくなっていく、娘の靴を一体、大きくなるまでにどれだけ買ったことかわかりません。

 その上、フランスの子供は、小さい子供でも、冬はブーツを履いています。

 早く、足の大きくなるのが止まってくれないかと、どれだけ思ったことかしれません。

 それだけ、靴にこだわるだけあって、主人は、靴みがきが好きで、なぜか、トイレにこもって、家族中、みんなの靴を磨いてくれます。ですから、おかしな話ですが、我が家の靴みがきのセットは、トイレの棚の中に入っています。

 先日、メトロに乗っていて、冬になり始めで、周りの人の服装が急に冬めかしくなってきて、メトロの中の人の服装の様子をなんとなく、眺めていて、冬になると、おしゃれな人が目立つなあとぼんやりと思っていました。

 そして、メトロの中で、なんとなく、おしゃれな男性を観察していて、私は、あることに気付いたのです。

 おしゃれな男性に共通するポイントは、靴なのです。

 おしゃれなおじさまは、ちょっといい、良く手入れされた革靴または、ショートブーツを履いているのです。

 服装のセンスがいいだけでなく、その服のセンスを引き締めて、際立たせているのは、靴なのだと、改めて、靴にこだわる主人の気持ちがわかったような気がしました。

 

 











 

2019年12月1日日曜日

パリに長く住む男性が日本でお見合いをして再婚するまで・・




 そういえば、なぜ、パリにいるのかわからないけど、パリにいる日本人というのは、けっこういるもので、彼女もまた、そんな一人でした。

 今、考えてみたら、ビザは、どうしていたのか、わかりませんが、ワーホリという話も聞いたこともないけれど、働いていたこともあるので、学生ビザで、アルバイトのような感じだったのか? 不明です。

 彼女は、30代半ばくらいの、なかなか、綺麗な人で、以前、CAをしていたと言っていましたが、結婚するつもりで退職したのに、結婚話が流れてしまったという話でした。

 それで、気分転換をしたくてフランスに来たのかは、わかりませんが、彼女は、ある日系企業の方からの紹介で、一時、私のいた職場に短期間ですが、アルバイトに来ていたことがありました。

 彼女を紹介してきた、その日系企業に勤める男性は、かなり、パリには、長く住んでいる、現地採用のバツイチの男性で、取り立てて、目立つところもなく、あまり、パッとしない、どこか、セコくて、ずるい感じのする印象でしたが、その会社も、業績不振で、どんどん、人を減らしている中、なぜか、生き残って、そこそこのポストには、ついていました。

 実のところ、彼は、彼女に結構なご執心で、それからというもの、彼女を誘うために、彼は、頻繁に会社に顔を見せるようになったのです。

 彼女の方もアルバイトを紹介してもらったりした手前もあったのか、そうそう彼のことを無下にもできず、誘われれば、食事に行ったりしていたようです。

 彼女がそれ以上に、どんな付き合いをしていたのかは、わかりませんが、そのうち、彼の方はどんどんと彼女にのめり込んで行く様子で、彼女に、手作りのお弁当を届けに来たり、彼女が引っ越すといえば、引越しを手伝ったりと、パリに不慣れな彼女をかなり献身的に支えて、頑張っているようでした。

 彼女の方は、まるで、その気はないようなのに、無下にもできないのか、のらりくらりと交わしていたようですが、引越しの際に、新しいテレビをプレゼントしてくれた・・という話を聞いて、「え〜〜? 付き合ってるの?」と、私は、ちょっと、ビックリしましたが、彼女の方は、「付き合ってるわけじゃないですよ〜! でも、くれるっていうから、もらっちゃった・・」と意外とあっさりとしたものでした。

 果たして、彼女のパリでの生活の方も落ち着き始めると、彼女には、フランス人の彼氏ができました。

 彼の方は、そんな彼女の様子を見て、諦めたのか、日本に一時帰国した際に、日本人の女性とお見合いをして、結婚するということになったようです。

 彼の方は、よほど、結婚(再婚)をしたかったのでしょう。

 彼の再婚が決まって、すぐに、彼の元から、彼女に連絡があり、いつかのテレビを返して欲しいとのことでした。彼女は、苦笑しながら、「別に返すからいいけど・・」と話してくれました。

 アルバイトの世話をしたり、お弁当を作って届けたり、引越しを手伝って、テレビまでプレゼントをして、彼女の気を引こうと頑張ったのに、自分の再婚が決まった途端に、フラれた相手に自分のあげたテレビを返せとは、彼の気持ちも、わからないでもないですが、これまた、ビックリな話です。

 彼が新婚家庭で、そのお見合い相手の奥さんと一緒にテレビを見ているかと思うと、何も知らないであろう奥さんが、なんだか、ちょっと、気の毒な気もします。

 

 











 
 

















 

2019年11月30日土曜日

フランスの休日営業とショッピング




 フランスは、だいたいのお店が日曜、祝日は、お休みです。

 パリに来て当初は、みんな、ウィークデーに働いているのに、日曜日にお店が閉まっていたら、不便だなぁと思っていました。

 だいたい、私は、あまり、買い物が好きではないのですが、それでも、デパートなどは、日曜日に行くもののような気がしていたのです。

 しかし、慣れとは恐ろしいもので、だいたいの日用品の買い物は、土曜日、あるいは、ウィークデーの仕事の合間や、帰りにすれば、日曜日には、まったくの休日を過ごせるので、それは、それで悪くもありません。

 ものぐさで、ショッピングというものが、あまり好きではなく、買わずとも、ウィンドーショッピングをして歩くようなことが私にはないので、まあ、誰か、知り合いがパリに来た時に、付き合って、お店を回ることはあっても、何も買わずに見るだけで・・なんていうことは、私の場合は、まずありません。

 パリでも、シャンゼリゼや、マレ地区、ベルシーヴィラージュなど、観光客が多い地域は、日曜、祝日でもお店はやっていますが、それ以外では、なかなか、日曜日の営業許可を取るのが大変なのだそうです。(レストランなどの飲食店は、別です。)

 特に、通りごとに、日曜・祝日の営業許可がおりやすい通りとそうでないがあるそうで、同じ区内でも、ほんの一本、通りがズレただけでも、難しかったりするのだそうです。

 それに加えて、フランスは、労働組合が強く、それもまた、日曜・休日営業の妨げになっているのです。

 フランスの法律では、日曜出勤の場合は、double payé (ドゥーブルペイエ)といって、日曜出勤の分は、倍額の支払いになるので、独身だったり、子供がいない人などは、むしろ、日曜日に働きたい人もいるだろうし、これだけ、失業者が多いのですから、日曜・祝日だけ働くという人を採用して、休日も営業した方が増益になると思うのですが、労働組合からは、自分たちの職域を侵すとして、それも、ままならないそうなのです。

 なんとも、経済的な効率の悪い国です。

 24時間、年中無休の日本とは、エラい違いです。

 それでも、12月のクリスマス前の多くの人がクリスマスプレゼントを買い集める書き入れ時ともなると、さすがにパリのデパートなども日曜も営業しています。

 フランスでは、一年のうちのかなりの割合の売り上げがこの12月のクリスマス前のシーズンに偏っているのだそうです。

 ところが、昨年は、11月から始まった黄色いベスト運動が加熱して、12月は、ショッピングどころではないことになり、土曜日なのに、デパートが閉店したり、多くのお店がシャッターをおろしてしまったりしていました。

 今年は、12月は、大きな国鉄のストライキが予定されているので、また、パリのショッピング事情は、12月の書き入れ時というのに、ピンチを迎えそうです。

 普段は、あまり、贈り物などをする習慣もない、ケチなフランス人がクリスマスの時だけは、家族みんなにプレゼントを用意して、クリスマスを迎えるので、フランスにとっては、クリスマスは、大きな経済効果をもたらしている行事でもあるのです。

 知り合いに、これぞ、フランス人という、フランス人の良いところも悪いところもキッチリ持っている女性がいるのですが、彼女に去年のクリスマスプレゼントは、どうしたの? と尋ねたら、去年は、全然、買い物に行けなかったから、全て、ネットショッピングで済ませたのよ!と言っていました。

 ネットなら、土日も休まず、テロもデモも関係ありませんから、ますます、フランスでも、路面店やデパートなどから、どんどん顧客は、離れていくでしょう。

 それにしても、こう毎年毎年、経済に大きなダメージが出るようなことが起こっても、持ちこたえているフランスは、スゴい国なのかもしれないです。








2019年11月29日金曜日

フランスの天気予報は当たらないのに洋服選びが上手なフランス人

春夏秋冬を通して、パリは、一日の気温の寒暖の差がとても激しいのです。

 これまでは、真夏でも、日中は、とても暑い日があっても、夜になると、気温が下がり、湿度もないので、夜、帰ってきて、アパートの建物の中に入ると、スッと涼しくなり、そんなに寝苦しいということもなかったので、クーラーもいらないくらいでした。

 ところが、ここ数年は、夏は異常に暑く、今年の夏は、42℃という猛暑を記録しました。しかし、これも、いつまでも、引きずるかと思えば、そうでもなく、翌日には、スッと気温も下がりました。

 日頃も、朝晩と日中の寒暖の差は激しく、今の季節だと、朝晩の、特に朝の寒さが厳しいですが、家の中は、暖房がしっかりと入っているので、夏の場合とは違って、冬は、家の中では、ヌクヌクと過ごすことができます。

 最近は、気温の変化にも気をつけて、必ず、天気予報を見て、洋服には、気をつけてでかける習慣ができたのですが、パリに来た当初は、なかなか慣れず、暖かいと思ったら、寒かったり、寒いと思ったら、暑かったりと、気温の変化に服装を合わせるのが大変でした。

 しかし、この天気予報が、なかなかの割合でハズレるのです。特に、雨が降る、振らないという予報は、当てにならず、1日のうちに予報がコロコロと変わるのです。

 感心するのは、この当たらない天気予報でも、フランス人が、この気温や天候の変化に上手に適応した服をしっかりと着ていることです。

 これだけ、色々なことの段取りが悪く、スムーズにことが運ばない国なのに、気温や天候の変化に適応するのは、見事です。

 子供の頃からの習慣になっているのでしょうが、暑くなりそうな日は、ちゃんと、薄着になれるようなものを着ていたり、逆に寒くなりそうな日は、しっかりと厚手のセーターやコートを着ています。

 私が思うに、フランス人は、日本のようなキッチリとした衣替えらしきものをしないのではないかと思うのです。

 少なくとも、うちの主人は、厚手のコートなどを季節外れには、クリーニングに出したりしておくものの、それが、戻ってきても、タンスの奥の方に押し入れられるだけで、夏も冬も大して変わりません。

 個人差もあるでしょうが、だいたい、持っている洋服の数が、日本人と比べて、圧倒的に少ないように思うのです。

 だいたい、室内は、冬でも、半袖でいられるくらい暖かいのですから、それほど着込む必要もないので、コートやマフラーなどをすれば、コートの中は、大して変わらなくても大丈夫でもあるのです。

 とはいえ、メトロの中の周りの人を見ていると、秋っぽくなってきたと思ったら、急に皮のジャケットを着ている人がグッと多くなってきたり、あれ? なんか、寒いかも・・なんて思うと、そういえば、ちゃんとダウンを着ています。
 
 そして、季節にあった服は、やはり、おしゃれに見えるのです。

 パリジャン、パリジェンヌがおしゃれに見えるのは、ひょっとしたら、この変わりやすいお天気に順応することから、育まれているのかもしれません。